第5小節 「錆びないトランペット」
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黒川透は、
学校で有名な問題児だった。
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授業中に寝る。
遅刻する。
教師の注意を聞かない。
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「また黒川か」
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そんな言葉を、
何度聞いただろう。
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透自身も、
否定する気はなかった。
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別に、
良い生徒になりたいわけじゃない。
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誰かに期待されることも。
失望されることも。
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全部、
面倒だった。
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家にある音
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透の家は、
母親との二人暮らしだった。
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父親はいない。
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正確には、
いなくなった。
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両親は透が幼い頃に離婚した。
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理由は詳しく知らない。
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ただ。
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母親が父親の話をするとき、
いつも悲しそうな顔をしていた。
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父親。
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黒川蓮司。
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かつて、
ジャズトランペット奏者として活動していた男。
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透にとって父親は、
憧れの存在ではなかった。
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家族を置いて出て行った人間。
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母親を傷つけた人間。
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「俺には関係ない」
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そう思っていた。
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それでも残ったもの
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透の部屋の片隅。
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そこには一本のトランペットが飾られていた。
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古いケース。
少し傷のある金色の楽器。
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父親が使っていたもの。
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「捨てればいいのに」
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透は何度も思った。
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母親も、
一度だけ言ったことがある。
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「もう処分してもいいんだよ」
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でも。
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透はできなかった。
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理由は分からない。
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父親が嫌いなのに。
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その楽器だけは、
嫌いになれなかった。
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音楽準備室
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ある日の放課後。
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透は校舎を歩いていた。
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いつもの帰り道。
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いつものように、
何も考えず歩いていた。
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その時。
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音が聞こえた。
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ピアノ。
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クラリネット。
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そして。
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誰かの笑い声。
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音楽準備室。
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最近、
妙に気になる場所。
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扉の向こうには、
廃部寸前だった吹奏楽部がある。
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「……くだらない」
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透は呟く。
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興味なんてない。
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そう言い聞かせる。
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しかし。
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足は一瞬止まった。
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中から聞こえる音。
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まだ未完成。
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でも。
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楽しそうだった。
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透は小さく笑う。
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「下手くそ」
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そう言いながら。
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その場を離れる。
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父親の音
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その夜。
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透は部屋のトランペットを見る。
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ケースを開けることはない。
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触れることもしない。
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ただ。
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そこにあることを確認する。
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昔。
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父親が吹いていた音。
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テレビで見たことがある。
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ステージの上で、
自由に音を奏でる姿。
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その時の父親は、
透の知っている人間とは違って見えた。
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「……なんで」
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透は呟く。
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「なんで、そんな音を出せる人が」
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「家族を捨てられるんだよ」
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答えは返ってこない。
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まだ知らない未来
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翌日。
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透はまた音楽準備室の前を通る。
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中から音が聞こえる。
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奏。
美琴。
玲央。
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まだ三人だけの音。
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透は扉を見る。
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そして。
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いつものように目を逸らす。
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「俺には関係ない」
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そう言って歩き出す。
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でも。
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その手は。
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無意識に、
自分の鞄の中にあるものを握っていた。
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古いトランペットのキーホルダー。
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透自身はまだ気づいていない。
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自分もまた、
音楽を求めていることを。
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そして。
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あの音楽室が、
いつか自分の居場所になることを。
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第5章
「錆びないトランペット」
完




