第3小節 「小さな音色」
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水野美琴は、
いつも正しい答えを選んできた。
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先生が望む答え。
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両親が喜ぶ答え。
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友達が求める答え。
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「水野さんなら大丈夫」
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その言葉を、
何度聞いてきただろう。
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成績は学年上位。
委員会も真面目。
先生からの評価も高い。
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誰が見ても、
問題のない生徒。
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けれど。
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美琴自身は知っていた。
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本当の自分が、
どこにいるのか分からなくなっていたことを。
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古い音楽室
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ある日の放課後。
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美琴は偶然、
使われていない音楽準備室へ足を踏み入れた。
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理由はなかった。
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ただ。
教室にいることが、
少し苦しかった。
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そこには、
古い楽器が並んでいた。
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その中に。
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一本のクラリネットがあった。
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黒く光る木製の楽器。
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美琴はそっと手に取る。
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「……綺麗」
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吹奏楽の経験などなかった。
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でも。
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なぜか気になった。
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ケースの中に残された楽譜。
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誰かが大切に使っていたもの。
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美琴は、
恐る恐る息を吹き込んだ。
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最初は。
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かすれた音だった。
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綺麗とは言えない。
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失敗だった。
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それでも。
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美琴はもう一度吹いた。
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すると。
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小さな音が、
誰もいない音楽室に響いた。
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その瞬間。
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胸の奥が熱くなった。
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「……音が出た」
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ただそれだけだった。
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なのに。
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嬉しかった。
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誰かに褒められたからではない。
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期待されたからでもない。
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初めて。
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自分自身が選んだことだった。
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「もう一回……」
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美琴は吹く。
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音が少しずつ変わる。
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震える音。
不安定な音。
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でも。
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確かに自分の音だった。
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放課後の音楽室
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「いい音だね」
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突然。
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後ろから声がした。
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美琴は驚いて振り返る。
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そこには、
桐谷響子が立っていた。
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「す、すみません!」
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美琴は慌てて楽器を置く。
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「勝手に触ってしまって……」
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桐谷は首を振った。
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「謝らなくていいよ」
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「むしろ」
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「嬉しい」
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美琴は不思議そうに見る。
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「嬉しい……?」
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桐谷は音楽室を見渡す。
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「この部屋」
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「ずっと音がなかったから」
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誰もいない。
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誰も期待していない。
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廃部寸前の吹奏楽部。
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でも。
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今。
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確かに音が生まれた。
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「水野さん」
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「吹奏楽部、興味ある?」
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美琴は戸惑う。
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「私なんて……」
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その言葉に、
桐谷は少し寂しそうな顔をした。
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「また、その言葉を使うんだね」
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「私なんて」
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「できない」
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「向いていない」
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「でも」
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桐谷はクラリネットを見る。
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「今の音」
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「私は好きだったよ」
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美琴は黙る。
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誰かに評価されたわけではない。
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才能を認められたわけでもない。
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ただ。
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「好き」と言われた。
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それだけだった。
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初めての部員
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翌日。
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放課後。
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音楽室。
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神谷奏が入る。
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「……新しい部員?」
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美琴は小さく頭を下げる。
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「水野美琴です」
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「クラリネットを……始めます」
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奏は少し驚いた。
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「経験は?」
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「ありません」
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少し間を置いて。
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美琴は続ける。
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「でも」
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「吹いてみたいです」
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その言葉に、
奏は微笑む。
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「それなら十分だと思う」
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誰もいなかった吹奏楽部。
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そこに二つ目の音が加わった。
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ピアノの記憶を失った少年。
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クラリネットで自分を見つけた少女。
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まだ小さな音楽隊。
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でも。
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少しずつ。
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ブレーメンへの道は、
始まっていた。
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第3章
「小さな音色」
完




