第15小節 「前夜」
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地区コンクールまで——
残り一日。
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いつもの音楽準備室。
窓の外では、夕焼けがゆっくりと夜へ変わろうとしていた。
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「……よし。」
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最後の音が静かに消える。
部屋に、しばしの静寂が訪れた。
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桐谷響子は、部員たちを見渡す。
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「ここまでにしましょう。」
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誰もすぐには返事をしなかった。
それぞれが、自分の楽器を見つめている。
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神谷奏はピアノの鍵盤をそっと閉じる。
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水野美琴はクラリネットを優しく布で磨く。
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白石玲央はチューバを静かにケースへ戻した。
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黒川透は、何も言わずトランペットを抱きしめるように持っていた。
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ここまで来るのに、
どれだけの時間を重ねただろう。
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誰もいなかった音楽準備室。
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三人から始まった部活。
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演奏会。
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仲間との出会い。
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ライバルとの約束。
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父との再会。
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すべてが、
明日へ続いている。
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美琴の涙
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「……終わっちゃうんですね。」
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ぽつりと、
美琴が呟いた。
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「え?」
玲央が振り向く。
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美琴は少し恥ずかしそうに笑った。
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「もちろん、コンクールは終わりじゃないって分かってます。」
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「でも……。」
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窓の外へ目を向ける。
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「初めてクラリネットを吹いた日。」
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「誰もいなかった音楽室。」
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「中庭で演奏した日。」
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「みんなで笑いながら練習したこと。」
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一つひとつの思い出が胸をよぎる。
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「全部、楽しかったなって……。」
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言葉が震える。
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目には涙が浮かんでいた。
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「だから。」
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「明日が終わるのが少し怖いです。」
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部屋が静かになる。
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誰もが、
同じ気持ちだった。
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その時。
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「泣くには早ぇよ。」
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透だった。
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全員が驚いて振り向く。
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透は照れくさそうに頭をかきながら言う。
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「結果なんて明日まで分かんねぇ。」
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「だったら今日は。」
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「明日のことだけ考えろ。」
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「俺たち。」
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「ここまでちゃんとやってきたじゃねぇか。」
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「それなら。」
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「胸張って吹けばいい。」
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「……それだけだ。」
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静かな部屋に、
その言葉がまっすぐ響いた。
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美琴は涙をぬぐって笑う。
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「……うん。」
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「ありがとう。」
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その様子を見ていた奏が、
ふっと笑みをこぼす。
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玲央も肩を震わせる。
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一年生たちも顔を見合わせて笑い始めた。
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「……何だよ。」
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透が眉をひそめる。
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奏が口元を押さえながら言う。
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「いや。」
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「透がそんなこと言うなんて思わなくて。」
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玲央も笑う。
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「一番励ましてるじゃねぇか。」
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「意外と優しいな。」
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「うるせぇ。」
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透は顔を赤くしながらそっぽを向く。
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「勘違いすんな。」
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「明日、お前らが失敗したら。」
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「俺まで恥かくだろ。」
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「だからだ。」
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その苦しい言い訳に、
部屋は笑いに包まれた。
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最後の言葉
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桐谷はそんな部員たちを見つめ、
優しく微笑んだ。
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「みんな。」
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笑い声が止まる。
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「ここまで、本当によく頑張りました。」
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「先生は。」
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「みんなと出会えて幸せです。」
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桐谷は深く一礼した。
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「明日は。」
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「思い切り楽しんできましょう。」
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「はい!」
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力強い返事が重なる。
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それぞれの夜
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練習が終わる。
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楽器をケースへ入れる音。
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譜面をそろえる音。
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制服のバッグへ荷物を詰める音。
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誰も無駄話はしなかった。
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明日は、
人生で初めての地区コンクール。
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奏は静かにピアノへ手を置いた。
(もう逃げない。)
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美琴はクラリネットケースを抱きしめる。
(笑って吹こう。)
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玲央はチューバを見つめる。
(支えるのが、俺の音だ。)
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透はトランペットケースを肩に掛ける。
(最高の音を届ける。)
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四人は互いに目を合わせ、
静かにうなずいた。
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夏の夜風が、
音楽準備室の窓を揺らす。
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明日。
放課後ブレーメンは、
初めての大舞台へ立つ。
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第15章
「前夜」




