第9小節「夏への期限」
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朝の職員室。
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「桐谷先生、教頭先生がお呼びです。」
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職員の声に、桐谷響子は顔を上げた。
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「……はい。」
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何だろう。
そんな小さな疑問を抱きながら、教頭室の扉をノックする。
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「失礼します。」
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教頭は机の上の書類を閉じ、静かに桐谷へ視線を向けた。
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「吹奏楽部の件です。」
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その一言で、桐谷の表情が少しだけ強張る。
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「まずは、昨日の演奏会、ご苦労さまでした。」
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「ありがとうございます。」
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「生徒たちからも好評でした。」
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そこまで聞いて、桐谷は少し安心した。
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しかし。
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教頭の表情は変わらない。
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「ですが。」
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一枚の資料が机の上へ置かれる。
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今年度の部活動予算一覧。
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「学校全体の予算が厳しくなっています。」
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「来年度へ向けて、活動実績の少ない部活動は整理対象になります。」
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桐谷は黙って資料を見る。
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「吹奏楽部も、その対象です。」
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胸が締め付けられる。
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「そんな……。」
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「部員は増えました。」
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「昨日も演奏会を成功させました。」
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教頭は静かに頷く。
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「それは承知しています。」
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「だからこそ、猶予を設けます。」
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桐谷は息をのむ。
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「夏休みに入るまでに。」
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「学校へ明確な成果を示してください。」
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「例えば校内演奏会の成功、地域イベントへの出演、あるいは大会出場への見込み。」
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「何か一つでも学校が認められる実績を残せれば、活動継続を前向きに検討します。」
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「ですが、それが叶わなければ……。」
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教頭は言葉を切り、静かに告げた。
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「吹奏楽部は廃部です。」
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部屋の時計だけが時を刻んでいた。
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桐谷はゆっくりと頭を下げる。
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「……分かりました。」
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何も知らない部員たち
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放課後。
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音楽準備室。
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昨日よりも賑やかな空気が流れていた。
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一年生二人は楽器を選びながら笑い合う。
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玲央はチューバを構え、
「今日は昨日よりいい音出してやる。」
と意気込む。
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美琴は新入部員へクラリネットの組み立て方を教えている。
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奏は全員の楽譜を並べながら言う。
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「少しずつだけど、本当に部活らしくなってきたね。」
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透は窓際でトランペットの手入れをしていた。
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その光景を見つめる桐谷は笑顔を作る。
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「今日は基礎練習から始めよう。」
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「はい!」
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元気な返事が音楽室へ響く。
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桐谷も笑顔で指導する。
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しかし。
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その笑顔の奥には、
教頭室で聞いた言葉が重く残っていた。
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(夏までに結果を……。)
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(もし間に合わなかったら。)
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(この子たちの居場所がなくなる。)
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その不安を、
誰にも見せるわけにはいかなかった。
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違和感
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練習は夕方まで続いた。
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「ありがとうございました!」
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部員たちは帰り支度を始める。
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奏、美琴、玲央、新入部員たちは笑いながら音楽室を出ていく。
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「じゃあまた明日!」
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「お疲れさまでした!」
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音楽準備室は少しずつ静かになる。
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桐谷は一人、楽譜を片付けていた。
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「……はぁ。」
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思わず、小さなため息が漏れる。
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その時。
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「先生。」
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低い声がした。
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振り返ると、
透がまだ部屋に残っていた。
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「帰ったんじゃ……。」
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「忘れ物。」
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そう言いながら、
透は桐谷をじっと見つめる。
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「……嘘だ。」
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桐谷は苦笑する。
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「何が?」
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透は少しだけ視線を落とした。
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「先生。」
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「今日、一回も本気で笑ってない。」
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桐谷の表情が止まる。
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「そんなこと……。」
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「ある。」
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透は静かに続ける。
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「無理して笑う人、分かる。」
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「母さんが、ずっとそうだったから。」
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「だから。」
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「先生も何か隠してる。」
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桐谷は言葉を失う。
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目の前の少年は、
誰よりも人を寄せつけないように見えて、
誰よりも人の心の揺れに敏感だった。
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しばらく沈黙が流れる。
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やがて桐谷は、小さく息を吐く。
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「黒川君……。」
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「実はね。」
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その言葉が、
静かな音楽準備室に落ちたところで——
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物語は次の章へ続く。
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第9章
「夏への期限」




