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紙垂の付いた榊


気が付けばまた、1階と2階の間の踊り場にいた。ありさとまひる君の背中が見えた。どうやら2階に行くようだ。その前にはさえぎとつむぐもいた。声をかけてもしょうがないことが分かったので、そのまま黙って階段を登る。先ほど感じたなまりのような足の重さを、全く感じなかった。驚くほどすいすいと2階についた。廊下の端にはあの蠢く黒い液体が零れ落ち、這いずった痕が残っていた。


家庭科室の扉を黒いものをよけながら、つむぐが開けた。中にいたのは七門君だ。

「たまよと一緒にいたのに、いなくなった。2階は一通り調べたんだが、いなかったんだ。」

「玉木さんなら保健室で、えっと、眠ってた?よ。」

「そっか、無事ならいいんだ。」

七門君はほっとしたようにへらっと笑った。一応家庭科室の中を確認したが、黒板についていた大きなサナギはいなかった。じゃあ保健室に戻ろうか、と話している時、ウサギが今度は同会にある職員室に走って行った。何かあるのか?と言いながらつむぐが扉を引くと、中に入って行ってしまった。

「行ってみよう。誰かいるかもしれない。」

さえぎがつむぐに続いて中に入って行った。静まり返った職員室には、あの蠢く黒いものはいなかった。むしろ今の学校の中で一番、いつもの学校の空気があった。普段入るのは少し緊張するのだが、今は心の底から落ち着いた。

「ここ、綺麗ね。」

きょろきょろと周りを見ていたありさがぽつりと言った。あの黒いのが無いだけで、いつもの職員室が10倍綺麗に見えた。

「あ、なんか落ちてる。」

つむぎのつぶやきを拾ったまひる君が、神棚の下にあった榊を拾った。白い紙が付いている。

「これは、ウサギからだな。」

「またおせっかいな。」

さえぎは口をとがらせていたが、まあそういうな、と七門君になだめられていた。私はふと、先生の机の上の資料に目が言った。一番上の提出物には、『エレシュキガル』と書かれている。あの女の名前だ。嫌なものを見た。目線を無理やり外し、神棚を見た。神棚には神酒を入れる白いとっくりと、真ん中に鏡、両脇に榊が活けてある。

「とりあえず戻って話し合いでもするか。」

コーン・・・とチャイムが鳴りだした。17時55分下校のチャイムだ。やっぱり前と流れが違う。なんで違うのか、私にはさっぱり分からなかった。




保健室に戻ると、玉木さんが目を覚ました。

「よかったですわ、これで全員ですわね。」

ほっとしたようなあの女の物言いに、腹が立った。だってまだサトシと鈴之助が目を覚ましていないのだ。

「あと探索していないのは3階だから、行ってみるか?」

まひる君の提案に、みな反対もなく立ち上がった。3階には行きたくなかった。今まであそこに行っては、時間を戻されていた。

「サトシと鈴之助はどうする?背負ってもいいが、落としたりして頭をぶつけたりしたら怖いんだが。」

七門君が、船河君とさえぎに相談していた。背負っていくなら体格のいい彼らになるだろう。

「確かに頭ぶつけたら嫌だな、息もしっかりしているし。幸いここはあの黒いのが入って来ないみたいだから、置いていくか。・・・目を覚まさないところを見ると、まだその時じゃないと言われている感じもする。」

「さえぎがそういうんならそうかも。それに彼らはもう外にいるから目を覚まさないって可能性もあるよね?なんでここに寝ているのかは分からないけど~。」

「じゃあ弓と榊はどうしようか。使うかもしれないから持っていくか?」

さえぎは少し考えた後、まひる君に弓を、榊は自分で持っていくことにしたらしい。またしてもウサギが先導して登って行った。上の階に行くが、体は軽かった。そういえばありさたちも前ほど体調は悪くないみたいだ。全く知らない場所ではないからか、つむぐたちはトンネルの話をしていた。最後はありさとさえぎが呆れて終了という前と同じ展開だった。



そしてとうとう3階についてしまった。

頭の中に廊下の光景が流れてきた。

「あ、あそこに和田先生がいるよ。化学室の前の廊下。」

見えてきたのは、床から近い位置から見た廊下の天井。そして私を見下ろす和田先生。その手には、あのナイフだ。

「いや!やめて!」

私は思わず走り出した。最後尾から全員を追い抜いて一刻も早く和田先生のところに向かった。

「おや、早かったね。」

私に気が付いた先生が、振り向いた。足元には前とは違ってもうサナギになった黒いものがあった。これは1回目と同じだ。

「あ、来たね。待っていたよ。」

ニコリと笑った。後ろから歩いてきたさえぎたち一向に声をかけていた。つむぐがうわなにこれ気持ち悪!と大きなサナギを見て叫んでいた。玉木さんもヒッと息を呑み、七門君の腕にしがみついていた。しかしそんなことどうでもいい。この先生からナイフを何としても奪わなければ。

「「ナイフを渡してください。」」

「「ナイフを!早く!」」

和田先生のほうに手を伸ばして、差し出すように促すが、彼は笑ったまま動かなかった。腹が立ち一歩先生に向かって行った。


「・・・ののか?」

ありさがぽそりと呟いた。思わず振り向くとあの女の腕を遠慮がちに握っていたが、不思議そうな顔をして、こちらを見ていた。

「「ありさ!」」

「ねえ、ののかの声しない?気のせい?」

あの女にありさが聞いた。あの女は少しだけ口角をあげた。

「わたくしにも聞こえますわ。あのサナギのほうから。」

その言葉を聞いたとき、私の体はそのサナギに引っ張られた。あの女とありさ、それを守るように船河君と弓を持ったまひる君が立っていた。一番後ろにいるのは震える玉木さんと、なだめる七門君。そして一番近くには、つむぐと榊を持ったさえぎがいた。次に見えたのは天井。それから和田先生の手のナイフと、不気味な笑顔。

私は腕を動かした。

薄い膜を内側から何度もたたく。マスクをしている時のように、息は吸えるが呼吸しづらかった。できたばかりの体は柔らかく、粘液に覆われていて滑るので、なかなか大変な作業だった。

「「出られない、出られない。」」

かしゃん。

何かが上から突き立てられて、サナギに穴が開いた。

「「良かったここから出られる。」」

ナイフを突き立てていたのは和田先生だ。興味津々の顔で中を覗いていた。

「「ナイフ、ナイフ。」」

そう言えば、先生はそのナイフをおもむろに仕舞っていた。なんだ、私につきたてる気はないのか。良かった。まずは手を出す。両手を穴にかけ、その穴を広げるべく力を込めた。パリパリパリと音を立てて幕を破った。

「なんか。なんか出てきてない?」

怯えた声のつむぐが、一歩下がりながら言った。今度は腕にぐっと力を込めて上体を起こす。黒い粘液とともに外気が触れ、やっと普通に息ができた。複眼がさえぎの顔を100ほど写す。


「「あえ?」」


私は先に出していた手を見た。先が二本割れて、木につかまりやすいように突起の生えた、昆虫の手がそこにある。手を握れば関節からゆっくりと曲がる。思い通りに動かせる手。これは確かに私の手だった。声をあげても、体が震えるだけで、何もしゃべれない。

実感したら、その通りになった。

私はサナギから無理矢理出された昆虫だった。頭から生えた触角は、まだ液体で濡れていて感覚がない。腕を伸ばした。床に突起が引っかかって、何とか移動ができそうだった。そう床を這いずって。

醜い。


目の前に白いウサギがやって来た。ふわふわの美しい毛並。金色の瞳に、鼻の頭をさえぎの足に擦り付け、甘えている。さえぎもそれを見下ろして、少し目元が緩んだ。優しい顔をしている。

美しい。

なんということだ。ウサギはこんなに美しいのに、私はこんなに醜い。さえぎはこんなに綺麗なのに、私は汚い。だんだん恥ずかしくなってきた。私はこんなに醜悪だったとは。なんで、違うところもいっぱいあったのに、この結末は一緒だった。なんで。


「この黒い液体は、たまりにたまった、怨念の言葉。いいもんじゃあない。」

ふいにさえぎが呟いた。そんなのはわかっている。こんな黒い液体汚いもの。

「それは、ここに置いて行くべきだ。ののか。」

どういうことよ?

「ののかの嫌な気持ちを、ここに置いていくべきだ。ここは幸い結界の中。この学校に張ってある結界のおかげで、悪いものが入ってこられない。置いて行くにはいい場所だ。」

どうすればいいのよ?どうやって置いていくの。

先ほどから声も出ない。私は虫だと自覚してしまってから、声帯というものがなくなった。

「生まれ変わった気分はどうだい。その羽で空を飛ぶのなら、私も付き合ってあげるよ。」

今まで見たこともない邪悪な笑顔で、和田先生から圧倒的な存在感を感じた。まるで、離れているのに頬を焦がす焚火のようだ。サングラスをしているのに視線が突き刺さった。眼球がこっちを科学者の目で観察している。そうこれは経過観測。実験体を見る瞳だ。

羽、と言われて背中に意識を集中すると確かにしわくちゃの薄い膜があった。

「まひるも行くかい?」

「ごめんだ。」

いつも表情の無い和田先生が楽しそうにクスクスと笑う。そこには今の私にはあまりにも美しい笑顔があった。

「お前は昔からそうだね。俺にはそっけない。」

「愚問だ。」

白いウサギはこちらを見て、眼を細め、にやりと人間のように笑い、炎のように燃え上がったかと思うと、キン、とそこに何かを落としていった。


キィーン、コーン・・・・。

突然校内にチャイムが鳴った。下校の合図だ、18時になった。さえぎはウサギが落としていった銀色のカギを拾い上げた。

「どこのカギだと思う?」

さあな、とまひる君が言った。そしてさえぎは、廊下を躊躇なく引き返した。待って、と言いたかった。置いて行かないで、と言いたかった。でも私は虫なのだ。もう喉という人間の部位はなく、声の発生の仕方が分からなかった。私の口はギチギチと鳴らすことしかできなかった。私は人間ほどの大きさの気持ち悪い虫なのだ。

皆の背が、廊下を曲がって行ってしまうのを、私は複眼で見ていた。


このままでは、置いていかれてしまう?ありさにも?つむぐにも?…さえぎにも?

一人ぼっちで廊下で唖然としていた。これからどうしたらいいのだろう。本当に置いて行かれてしまった。虫の感覚器官はまだ皆の気配を感じ取っていた。

さえぎに置いて行かれてしまった。あなたのいない人生なんて、私の本当の人生じゃないのに。すべてなのだ。

私は手を伸ばす。ずるずると廊下を這いずった。下半身はいまだサナギの中、境界線があいまいだ。いまだ身体のていをなしていない。黒い液体と区別がつかない。まだ早かったんだ。それでも私は必死に虫の腕を動かした。廊下をカチカチと爪でひっかいて、もがいて前進した。私は焦っていた。急がないと、本当に置いて行かれる。なのに。

こんなに胸は焦りに追い立てられているのに。

「「なんで私の心臓は、こんなにゆっくり、動いているの?なんでこんなに平静で穏やかで凪いでいるの?」」

悔しくてたまらないのはなんでだろう。心臓に、私の気持ちと同じく、焦がれてほしかった。

―――彼が君のヒーローさ。

そう、さえぎは私の、ヒーローだ。

助けて、助けて、お願い助けて。

出ないはずの涙が出てきて、床がなくなった感覚があった。


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