光るカギ
中学をもうすぐ卒業する、冬の日だ。手術の前の検査は少しずつ悪くなっていた。明日から入院することになり、気分転換に河原に散歩に来ていた。ぱあん。橋の下から乾いた音がした。見知った後ろ姿に、珍しく一人だったので、声をかけることにした。
「鈴之助。何してるの?」
河川敷を下り、枯れ草にまみれた石段を下りた。夕方の光が斜めに橋の下を照らしていた。ここには橋を支えるコンクリートの壁がある。そこにはアーティスト気取りの落書きがスプレーで書いてあった。橋の向こう側は、腰丈ほどの雑草がうっそうと茂っていた。あちら側は上流だ。
「ののか。久しぶり、だな。」
同じ中学に通ってはいるが、あまり話さない3年を送った。昔、小さいころは一緒に遊んだ記憶がある。鈴之助の手にはハンドガンがあった。
「何してんの?」
「ガスガンの威力を見ていた。新しいのを買ったから。」
そう言って鈴之助はコンクリートの壁に向かってぱあん、とBB弾を発射した。そういえば昔から鈴之助はこういう銃が好きだった。
「・・・もうすぐ、手術だな。」
ハンドガンをガチャガチャといじっていた。私は川べりの白いポールに寄っかかってうんと言った。
「ののかは、手術がうまくいったら何がしたい?」
そう言われてパッと思い浮かんだのはさえぎの顔だった。さえぎと、遊園地で、デートがしたい。しかしそんなのは恥ずかしくて言えなかった。
「友達と遊びに行きたいな。遊園地とか。」
そうごまかした。今が夕方でよかった。顔が赤いのはバレていないだろう。
「ふーん。」
鈴之助がまっすぐこっちを見ていた。
「じゃあ俺が連れて行ってやる。遊園地だろうが、水族館だろうが。ののかの行きたいところには全部。」
「え。」
いつになく真剣な様子の鈴之助に、心拍数が上がった。突然何を言い出すのか。
「手術が終わったら、言いたいことが―――」
がさっ。
私と鈴之助は雑草まみれの上流のほうを見た。そこには真っ白な毛並みで、金色の瞳のウサギがいた。
「びっくりした。」
なんだウサギか。ドキドキしていたから、余計驚いてしまった。おもむろに鈴之助がウサギのほうにガスガンを向けて、足元を撃った。
ウサギは動じずに静かにそこにいた。
鈴之助が少し恨みがましい顔をしていた。顔が赤く染まっているのは、夕方のせいだけじゃないはずだ。もしかして告白されかけた?そんなに動かしてはいけないのに、心臓がドキドキ鳴っていて、手が付けられない。自分が言ったわけじゃないのに無性に恥ずかしかった。
「貸して。」
またガチャガチャやっていた鈴之助の手からガスガンを奪い取った。鈴之助が球が出るように何やらガチャリとしてくれたので、ウサギのほうに適当に引き金を引いた。まさか当たるとは思わなかった。
ウサギの頭が揺れて、雑草の中に一目散に入った。
「当たった~?!嘘。」
「おお、スゲーじゃん。上手い。」
「たまたまだよ。」
よろよろと歩くウサギは足を滑らして、川へと落ちていってしまった。
気が付くと職員室の前にいた。あのウサギが、あのウサギがまさか川に落ちて死んでいたなんて。体を起こしながら、じゃあ今まで私たちを導いていたあのウサギは、私がガスガンで撃ったあのウサギ?そう考えていた。
下半身はサナギに突っ込んだまま、開けっ放しの職員室に入って行った。職員室の中は、さっき来た時より、空気が重くなっていた。床に手の突起を引っ掛けてずりずり這いずりながらみんなの背中を追った。
みんな神棚に向かっていた。何をするんだろう。
「カギは在ってもカギ穴がない。もうここまで来たら、神頼みしかないな。」
つむぐがはあ、とため息をついた。
「まあ、いつもやっていることだ。」
さえぎが紙の付いた榊を持って、前に出た。二礼二拍手一礼。みんなそれに習って礼をしていた。それを後ろから眺めていた。そんな事したって無駄なのに。さえぎが手に持っていた榊を振ってから、手に掲げると、榊はふっと消えて行った。それと同時に夕方の景色だった、窓の向こうが黒い液体に覆われた。
「どうやら正解だな。」
まひる君がつぶやいた。何を知っているっていうんだろう。
「あの、ベランダへ行く扉、少し光っていませんか?」
一番ガラス扉の近くにいた玉木さんが指さした。
「まあほんと。」
あの女が優雅な足取りでガラス扉に近づき、おもむろにガラス扉をあけ放った。黒いタールのような液体が中に入ろうとして、何かの力によって押し込められ、校舎の外に追いやられていた。
「きっとこれはここで使うものだろう。」
まひる君は手に持っていた弓を、つむぐに持たせた。
「佐竹、あっちに向かって弦を引いてみろ。」
「え、なんで俺?お前弓道部なんだからお前がやれよ。」
「弓鳴くらいできなくてどうする。」
「ええ?」
強引に弓を持たされ、蠢く黒いものがはびこる扉の前に立たされた。気づきたくなかったが私の今の手と同じような、先が割れた虫の無数の手が、中に入ろうとしては追い出されていた。
「背筋を伸ばして、左足は前に。弦は3回鳴らす。帰ることだけを考えろ。道を開けろ。いつもの日常に戻るんだ。」
まひる君がつむぐの背中をポンと叩いた。つむぐがふうと呼吸を整えて、弦を引いた。
びぃん、びぃん、びぃん。
たちまち黒い虫たちは後ろに下がり、道が開けた。
「うっそう、できた。って、あれ?弓がなくなった?」
「え、すごいじゃないつむぐ!」
ありさが嬉しそうにはしゃいで、つむぐの背中をバシバシ叩いていた。
「今度からうちの神事も手伝ってもらおうかな。」
さえぎも珍しく笑っていた。
じゃあ行こう。誰からともなく開けた道をたどっていく。先にはキラキラと光る扉と、カギ穴があった。
やっと帰れる、この悪夢が終わる。そう思って私も床を引っ搔いた。しかし職員室の床は引っ掛けるところがないほどつるつるだった。私は慌てて机の脚に手をかけ、床を這いずってガラス扉のところまで来た。
ありさがこちらを向いて、待っていた。
「ののか?早く来なよ。」
そう急かされて私は扉の外に手をかけ、すり抜けた。
「林道、早く。」
ありさは普通に歩いているのに、私は『その床』に触れなかった。待って!そう言ったが喉の奥がギチギチ鳴るだけだった。
「行こう林道。」
まひる君に手を引かれ、ありさが扉に入って行った。
「ののか?そこにいるの?先に行くからね!待ってるね!」
もがいてもがいて下を見ると、そこは校舎の2階の高さだった。足がすくんで動けない。待ってよ、置いていかないでよ、薄情者!口汚くののしって、私は意識を手放した。
私は家のベッドで目を覚ました。
布団の下にあった両手を引っ張り出し、まじまじと見る。私の手だ。人間の手だ。はああ、とため息をついた。
夢?
夢だ。きっと悪い夢。
少し背中に痛みが走ったが、気にならない程度だ。
私が布団から抜け出し、下に降りるとお母さんがののか!と慌てたように駆け寄ってきた。
お母さんが言うには玄関の外の石段で倒れていたらしい。
「あなた、ののかが起きたわ!」
「ああ、ののか、よかった。」
お父さんがほっとしたように息をついた。
お父さんの顔はもう、白い綿あめのように濃い靄で覆われ。表情が見えない。私は少し泣きそうになった。変なものは見えたままだった。




