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17時55分③

階段を上りきった。


すると窓の向こうに見える反対校舎の化学室の前に、船河君の後ろ姿が見えた。

「あ、見て、ネティくん、船河君じゃない?」

「あんなとこにいたのか。て、ことは、あいつもここに来てんのか?」

化学室に行くべく歩き出す。

「和田先生か。」

さえぎが後ろを振り向いた。つられて後ろを見るとまひる君が苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

「行きたくねぇ。」

「却下。」

にべもない。

「まひるは和田先生のこと嫌いだよなー。俺は授業分りやすくて好きだけど。」

苦笑いしたつむぐが、一応先生にフォローを入れた。

「お前の眼球綺麗だから取り出して良い?なんて言われて好きな奴いたら、俺はそいつとは仲良くできん。」

いつになく饒舌だ。

「うわ、和田先生そんなこと言ったの?こわい…」

確かに、まひる君の瞳は太陽に透かしたガーネットのように赤く、爛々と輝き綺麗だ。しかしだからと言って取り出すのはない。つむぐとありさがドン引きしていた。当然私も引いている。重い足取りで化学室に向うと、船河君が振り返った。

「あ、来たね。待っていたよ。」

ニコリと笑った。七門君が玉木さんの腕を引き。廊下の隅に寄せた。


和田先生とあの女はしゃがみこんでいた。

「ビンゴですわ、さえぎ。ここがどうやら最後のチェックポイントですの。」

立ち上がりくるりとこちらを向いた。足元にはウサギがちょこんと座っていた。


隣にはすらっとした長身の若い男が立ち上がる。これが噂の和田先生だ。ぱっつんと切られた前髪に、頭の上に悪魔の角のように髪の毛がチョンとふた房立っていた。七門君のようにがっちりではなく、こちらは最低限の筋肉が付いているという風体だ。サングラスで視線が見えないが、顔形も良く、女子生徒に人気があった。そしてそういった女子生徒に手を出したとも噂されていた。

「サンプルをとっても意味が無いっていうのが寂しいね。」

彼はあたりに散った黒い液体を試験管に入れ、蓋をしてそれを白衣に仕舞った。ピンセットについたうごめく液体を、名残惜しそうに見ていた。先生の足元には動かない黒くて大きなサナギがあった。2メートルほどのそれは、いままで見た中で一番大きい。葉脈とも血管ともとれる筋が入り、他と違い周りのガワが固そうで、じっとしていた。しかし今まで見たものの中で、気持ち悪くはあるが一番嫌悪感がなかった。

七門君が具合の悪そうなつむぐの腕を引いた。壁によっかからせて楽な姿勢を取らせていた。後ろで、ありさも膝をついた。みんな体調が一気に悪化したのだろうか。

さえぎが大きなサナギに近づいて行く。あの女の隣に立って、そのさなぎを見下ろしていた。


「また。人が入っているのかしらね。」

さえぎの背に向かって私は言葉をかけた。化学室の前の廊下に、私の声は思いのほか大きく響いて反響した。

「そうだな、今までは人が入っていた。」

さえぎは頷いた。隣にいた顔色の悪い玉木さんが息をのんだ。

「今度は声が聞こえない。」

「ああ、静かなもんだな。」

まひる君が返した。化学室の廊下は、ところどころ黒い液体が蠢いているが、特に音はしなかった。先ほどの家庭科室や、体育館のように叫び声もない。私の声が反響していると分かるくらいには静かだった。玉木さんが、震える手で口をおさえながら、さえぎを見た。

「あの、あの、音無君、先程から、どなたと話しているんです…?」

さえぎはじっと。サナギを見たままだ。

玉木さん?

「「何を言っているの?」」

声が重なった。また反響した。自分の声が違う所からした。さえぎとあの女の前。あの、気持ち悪いサナギからだ。なぜあっちから私の声がするんだ?

「とうとう自分を見失ってしまいましたのね。」

あの女はゆっくり立ち上がり、優雅な歩調で私の隣を通り過ぎた。

「さあ、ありさちゃん、立って、ウサギさんが出口に案内して下さるわ。」

「「ちょっと、待って、何よこれ?」」

私は叫んだ。女のことなどどうでも良い。さえぎの隣まで急いで歩み出で、声のしたサナギを覗き込む。それは呼吸をしているように少し上下に動いていた。そうであってほしくないという気持ちと、そうかもしれないという不安があった。呼吸が早くなる。和田先生がきらりと光る金属を片手にしゃがみ込み、感情の無い声でゆっくり話し出す。

「芋虫がサナギになってやがて蛾になる。俺にはそう見える。この黒い塊はいったい、なんのサナギだろうか、わからないな。」

授業の時のようだ。先生は淡々と話をする。

「蛾は特定の葉に卵を産む。芋虫はそこで孵る。芋虫はその昆虫に合った餌を食べ、脱皮を繰り返し大きくなる。やがて芋虫として十分に大きくなると、外敵に狙われないであろうところに移動し、サナギになる。サナギにはいくつかあって、地中に潜ったり木の葉を丸めたり、糸を吐いたりさまざまだ。」


「「待って、どうなっているの?」」


「サナギの中身を知っているか?」

和田先生はこちらの話を何も聞いていない。言いたいことも分らないさっぱりだ。いつの間にか、船河君と七門君も、ありさたちと同じように私の後ろに移動していた。船河君がつむぐに肩を貸し、七門くんは玉木さんに、あの女はありさにそれぞれ手を貸していた。

皆伺うようにこちらを見ていた。まひる君はその中でも一歩こちらに近い。

「最初、体育館で蠢く、あれを見た時すぐにあれが貝原だと分ったな。」


「「それは、声が貝原だったし…」」


「俺には鳥の鳴き声に聞こえた。しかも制服の一部も見えないくらいに覆われていたのにまるで知っていたかのように男子生徒、と言ったな。」


「「まひる君は、何が言いたいの?」」


まひる君はいつになく呆れ声のため息をつき、こちらを見下ろしていた。

「この黒い奴の発生源はお前だろう。」

一体どういうことなの?

「昔、サナギをナイフで真っ二つにしたことがある。」

和田先生はこちらの事などどうでも良いみたいだ。

「中から白い液体がドロドロとしていて、それ以外何も入っていなかった。」

突然、背中に鋭い痛みが走った。


「「ぎやああああ?!」」


「サナギは成虫になるために一度体の中身を液体にするんだ。」

振り返ると和田先生が持っていたナイフを大きなサナギに突き立てていた。イタイイタイやめろ!先生はナイフを引き抜き、先端をじっくり見る。

「白くないな、黒い。興味深い。」

口の端に笑みをたたえながら先生は何度もサナギにナイフを突き立て、ザクザク切れ目を入れていく。そのたびに全身が脈打つ痛みに襲われた。サナギの背中が半分ほど割かれた時、中から黒い液体とともにヒトガタの何かが出てきた。

肉と肉が裂かれる感覚が全身を襲う。無理やり、持っていかれる。出たくない場所から無理やり出される。嫌だ待って、まだ何も準備できていない。

「「いいやあああ痛い…いあめ、やめやめて…」」

助けて、助けてほしい、なんでもいいから誰でもいいから助けてほしい。痛い痛い痛い。

不意に背中を押された気がした。サナギの上に覆いかぶさるように私は投げ出された。






『いたいいたいいたいたいいああたいたいたたああああああ。』

「バイタルは正常。黒崎さん、脈拍は安定しています、人工心臓への切り替え、成功しました。」

「よし、じゃあ、心臓を取り出す。」

「はい。」

金子先生と、知らない先生。彼らは私の手術をしていた。私はその様子を部屋の電気の辺りから眺めていた。外気にさらされライトアップされた、つややかな桃色の内臓が私の中から取り出された。


それにしても隣の部屋がやたらうるさい。痛い、とうるさい。なんなんだ、手術は痛いに決まっている。そのうちやめろと、と叫びだした。

ぴぃ――――――。少し驚いた。私の体が死んだのかと思った。隣の部屋からだった。

『痛いやめろ死ぬ、しぬ…もう、いい。殺してくれ、痛い、痛い。もういい、もういい、殺し、殺して。』


なんだ、気持ち悪いな、殺せ、なんてよく言える。私はこんなに生きたいというのに。


―――冒涜ですわ。


生きて何が悪いのか。私は生きてさえぎと一緒に居るのだ。


―――わたくしへの、冒涜ですわ。なんということ。


容器に入った心臓が、隣の部屋からやって来る。


―――あなたはまだ、やるべきことがありましたのに。わたくしに殺せ、だなんてなんて残酷な事を言うの?

血管を繋ぐ繊細な手術。金子先生はそれを正確に行う。その繊細な手さばきに思わず見とれてしまった。


―――わたくしのわがままを聞いてくれるのでしたら、助けて差し上げますわ。だから死にたいなんて言わないで。


私につながれた心臓はしっかりと動き出し、力強く血液を送り出す。私は生まれ変わった。そう、今日生まれ変わったのだ。

痛い注射に我慢する日々は終わった。

きょうからこの心臓は私のもの。ともに、力強く生きていく。


―――きょうからあなたはこちら側の人間。


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