17時55分②
保健室に入ってすぐ。最初に目に入ったのは、あの女の膝に居た、白いウサギだった。撫でられ、気持ちよさそうに目を細めていた。
私の手から逃げたくせに。
船河君がベッドを開け、七門君が宿木を寝かせた。
「二人とも怪我はない?」
つむぐがこてんと首をかしげた。随分、体がだるそうだ。
「俺は良いが、たまよが体だるいってよ。座らしてやってくれ。」
七門君は宿木の上に布団を丁寧に掛けていた。キュ、と移動式の椅子をまひる君が引っ張ってきた。
「じゃあ、作戦会議をしますわ。」
あの女は偉そうに言った。ウサギをなでる手は止まらない。玉木さんを椅子に座らせたまひる君が、先ずは情報の整理だな。と相変わらず落ち着いた声で言った。こういう時はありさが大抵仕切るのだが、ありさはつむぐと同じくぐったりしていた。それでも眉間にしわを寄せて話し出した。
「うん、まず、船河君が見つけたこのA4用紙ね。」
中央の移動式ラックに乗せられたそれには、『時間まで出られない』と書かれている紙だ。さえぎがそれを裏返した。真っ白で何も書かれていない。
「特に変わった所が無いな。文字もパソコンで書かれたものだし、明朝体か。」
さえぎはそれを元の移動ラックの上に戻す。
「あ、そういえば、まひる君が持っていた弓はどうなったの?」
私は彼のほうを見た。
「ああ、弓か?黒い液体が消えた時に一緒に消えたぞ。」
腕組みをした彼は玉木さんの後ろに立っていた。
「じゃあ、さっきさえぎが使った榊も?」
さえぎはゆるりとこっちを向いた。
「使い終わったら消えたな。」
ありさとつむぐと玉木さんが私の方を一斉に見た。隣にいたさえぎが一歩私から距離を取る。
「え、なに、どうしたの皆?」
ありさとつむぐが勢い良く立ちあがった。何?すごく真剣な顔をしている。
その時だった。
「ああ、香ちゃん!」
白いウサギは彼女の腕から飛び降りて、ドアに向って走って行く。激突するかと思われたが、ドアが自動で開き、ウサギがするっと出て行った。
それを追いかけて女も金髪の髪を靡かせて出て行ってしまった。
「船河!」
まひる君が鋭く叫ぶ。もう動いていた船河君は何も言わずに彼女を追いかけた。
「な、なんなのよもう!こんな時に!」
私はこらえきれずに叫んだ。
「俺はお嬢様を追いかけるが、お前らは来るか?」
七門君はいつになく真剣に言った。主に玉木さんに言ったのだろう。
「どうやら足音から推察するに3階に行ったな。」
ドアから首を出していたまひる君が眉間にしわを寄せ、険しい表情をしていた。
「俺も行く。つむぐたちは?」
さえぎが二人のほうを向いた。ありさとつむぐはだるそうだったので、残るかと思っていたが、意外にも行く、と言い出した。
「3階からは手わけになるでしょ?人数いた方がいいでしょ。」
脂汗を流しながらありさがいうと、つむぐも頷いた。私も行きます、と玉木さんが立ちあがる。
「この二人も、起きる気配ないしね。さっさと見つけてしまおう。」
本当に大丈夫だろうか?具合が悪そうだ。ふらりとしたありさをさえぎが支えた。
「おい、まひる、ありさを頼んだ。」
ドアの外を覗き込んでいたまひる君にさえぎがあえて声をかけた。彼はこちらを向いて、ん?という顔をしたが、おう、とありさの方へ向かった。
「ちょ、さえぎ?」
ありさが焦っていたが無視して、さえぎは行くぞとつむぐの肩に手を置いた。
「3階だな、行くぞ。」
七門君が先頭を切って、歩き出す。その隣は玉木さんがとことことついて行く。小さい声でよくやった、と言っているつむぐは、さえぎの脇腹をつついていた。3人ほど体調の悪くない私はその後ろをついて行く。
「階段は危ないから、手すりをしっかり掴めよ。気分が悪くなったらいつでも言ってくれ。」
「あ、ありがとう…。」
「というか顔が赤いような。熱でもあるのか?」
「ないないないない、大じょーぶ!」
「そうか?」
まひる君に顔を覗き込まれてありさは慌てている。どこまで無自覚なのか。まあ後ろの事は良い。
はあ、ついついため息が出てしまう。まったく、何て迷惑だろう。あの女め。
長い階段。
私は淡いピンク色の浴衣を着ていた。いつもはうんざりとしながら見上げる石段を、今日ばかりは軽い足取りで上がって行く。確かこの時は小学校の5年生だったはずだ。
夜が始まって、町中の提灯に光がともり、まるで違う町に来たかのような錯覚に陥る。
先ほど夜店で掬った水風船を、ポンポンとはじきながら上機嫌で昇って行く。前を行くのは半袖半ズボンのありさと法被姿のつむぐだ。石段を見上げると階段の両側にも提灯が付いていて、あたりをオレンジ色に染めていた。
毎年7月にやっている夏祭りだ。
私は参加するのは初めてだった。今回も、多少の無理を通して、やって来たのだ。
さえぎにゆかた姿を見てほしい。
何と言ってくれるだろうか。最近は心なしか口数が減って来た。私はそれがとても寂しい。お母さんに言ったら、思春期の男の子はそんなもんだって笑っていたけど。本当にそうなら、寂しいな。
とうとう一番上にたどり着いた。
巫女装束のあおいちゃんがお神酒を大人の人たちに配っていた。結い上げた黒髪に、冠がついている。少し紅を塗った唇が艶やかだ。こちらに視線を向けたと思ったらふわっと笑って、また神酒を配っていた。
一つ上の彼女はもうすでに町一番美しいと評判の娘だった。今まではさえぎのおねえちゃん、という風にしか見なかったが、今日は全く違う人に見えた。
「今年の舞いはののかも観れるね。」
「うん、さえぎも出るんでしょ、楽しみ。」
そうだ。この夏祭りのハイライト。各地区からやって来た神輿が七柱、この神社の石段前の道にずらりと並び、代表者が社殿の舞台の前に並ぶ。あおいちゃんとさえぎがその人たちの前で舞い、言葉をかける。
二人の言ったことは絶対で、これから町に起きることを言ったり、天気を言ったり、作物の出来を言ったり…。占いのようなものだと思う。
「あおい、禊に行ってきなさい。」
「はい。」
おばさんに声を掛けられえて、あおいちゃんは奥に入ってしまった。
その後の事は、二人の舞いに比べたら些細な事だ。
お母さんが世界一可愛いと言ってくれた浴衣が、色あせて見えるくらいだった。
横笛と太鼓のリズムに、真っ白な装束の二人。左右対称の、この神社独特の美しい舞い。さえぎは剣を持ち、あおいちゃんが鈴を持っていた。かなりの人数がこの敷地に居たのに、みな無言で異様な静けさに包まれていた。
最後に二人は言ったのだ。
「「今年は豊作、しかし最後まで気を抜くなかれ。水害で人が死ぬ。麻模津が沈む。」」
その年、二人の言ったとおり作物はよく実った。収穫期も終わろうかといった時に川近くのあまつ地区が水害になり、人が死んだ。あまつ地区は最近の区画整備で名前が変わったが、昔の名前は、麻模津と言った。
私は水害のニュースを見ながら背筋が凍ったのを覚えている。




