17時55分①
「おう、さえぎにまひる。迎えに来てくれたのか。」
快活な低い声にハッとした。真っ赤な髪のオールバックは校内一目立つ。しかも金色の瞳に180センチを超える長身。筋肉質で恵まれた体格の彼が、七門君だ。眼光も鋭く、1年のくせにと、入学当初はかなり問題になって、上級生に因縁をつけられていたが、そのうちそんな事も無くなった。なにせ、彼は本当に喧嘩が強い。体格もそうだが動きも素人ではない、というのは有段者である、ありさとつむぐの話だった。要は敵なしだった。先生も式典と服装チェックの時以外の服装は彼に関してスルーしていたし、髪の毛は本当に地毛だそうだ。しかも成績も良い方なので、文句が言いにくい。
「玉木は、寝ているだけか?」
まひる君は床に座り込んでいる彼女を覗き込んだ。七門君の肩に寄りかかって、すやすやと眠っていた。
「んー、帰る準備をしていたら、突然こいつが倒れてな。床に転がしとくのもなんだから座らせといた。」
玉木さんの膝には七門君のブレザーがかかっている。ん、と言って、玉木さんがゆるゆると目を開けた。
「あれ、まひる君?」
「よう、玉木。」
ぼんやりしていた頭が徐々にすっきりしてきたようで、今までよりかかっていた肩に視線を向け、そして金色の視線と目があった。
「ひやあああああ!ネティくん!ごめ、ごめんね!」
ばっと、瞬時に身を離し、真っ赤になって謝っていた。
「気にすんなって、別に良いから。」
いつもの事なのか、七門君はニカッと笑って立ち上がった。ん、と彼女に手を差し出す。
「おい七門、あれはなんだ?」
教壇の方を指しながら、さえぎが言った。黒板にべっとりと大きな黒い繭がついていた。しかもそれは体育館でうごめいていたものに酷似していた。玉木さんが始めて見るそれに驚いてヒイ、と言いながら七門君の腕にしがみ付いていた。
「ああ、最初はそれ、動いてたんだけどよ。俺は身動き取れないし、黒板を行ったり来たりしているだけだったからほうっといたんだ。」
「これ、放っておいたのかよ。」
呆れ調子のさえぎがため息をついた。
黒い繭は少し揺れると、今度は鳴き始めた。
「いいいいいたたたああああああいいいいああたたいいいいあああたいあたたたたいあたいい」
「またか。」
隣のまひる君がつぶやいた。つんざくような悲鳴に、自然と耳をおさえた。
いたい?繭はぶるぶる振動しているようだ。この声も聞き覚えがある。
「なんだ?中に人が入っているのか?この中に?」
七門君が眉間にしわを寄せている。自然と玉木さんを庇うように立ちはだかった。
白いウサギはまたさえぎの前にツイッと来ると、くるりと回転して、今度はその場に榊がパサリと落ちた。
「榊か。また弓かと思ったのに。」
「今度はさえぎだな。」
榊を拾い上げたさえぎが、黒い繭の前に立つ。
「いいいいああああたああいいいいいいいたたたああああああああいいいいいい」
「さっきから痛い、と言っているな。」
腕組みをしたまひる君は七門君の方を向いた。
「ずっと鳴いていたのか?」
「いや、静かなもんだったぜ、ねちょねちょとはいっていたが、痛い、なんて言ってなかった。」
ざっざっとさえぎが榊を振った。それに合わせてより一層高らかに鳴き出す繭。聞いていられない。彼からこんな悲痛な叫び、聞いたこと無い。頭がずきずきする。
「…やどりぎ…、」
そう呟くのがやっとだった。
「宿木…?もしかして鈴之助か?あれが?」
七門君が私のつぶやきを拾った。しかし頭痛のせいでそれに答える余裕が無い。また浮遊感を感じる。
床が無くなって今度はどこに行くのだろう。どこでもいい、この頭痛が消えるのならば。
私はお父さんの膝の上にいた。目の前のテーブルに紙が乱雑に置かれている。
「黒崎よ、そっちの首尾はどうだい。」
落ち着いた和装に、ゆったりとした足取りで障子を開け、入って来たのは40代くらいの男性だった。そっくりなキリッとした目元の男の子を連れている。
「上々ですね。しかも、金子は若いのに腕がいいし。よく言うことを聞いてくれる、いい子です。」
お父さんがそう言った。金子って誰だろう?お父さんの会社の人かな?
「鈴!鈴いる?」
突然廊下からバタバタとやかましい足音が聞こえた。それに反応して、和装の男性と一緒に入ってきた男の子が、サトシ!と叫んだ。そっか、これは宿木と、貝原だ。しかもかなり小さい。4歳、5歳くらいだ。小学校に上がる前に見えた。
私と彼らはこんなに小さい頃からの付き合いだったっけ?覚えていない。
「こら、サトシ、今、来客中だ!邪魔すんじゃねえ!」
ゴツン、と音がして、首根っこ捕まえたのは、サトシのお父さんだ。宿木のおじさんに、貝原のおじさん。二人ともまだ若い。
サトシは痛いと言いながら頭をさすっていた。
「ああ、調度いい貝原、お前もちょっとツラァかしな。販路拡大ってんで、黒崎と相談がある。その間サトシと鈴は、ののか嬢ちゃんの護衛だ。庭からは出るなよ。ののか嬢ちゃん、体がよえーんだからな。」
宿木のおじさんがそう言うと、二人の子供は分かった、と元気よく言った。このころの二人は素直でかわいげがあった。私はお父さんの膝から立ち上がり、二人と一緒に宿木の大きなお家で遊んでいた。
そう、この家は大きい。最近越してきたとかで家の半分はまだ工事していたが、それでもとても大きかった。そして、やたら人の出入りが激しかった。
後々よく考えてみれば、そうだ、宿木の家は、社会の枠から外れた家だった。なんでこんな田舎に来たのか?よく分からないが、宿木も貝原もただの不良じゃなかった。
そんな彼らと、お父さんはどんな仕事をしていたのだろう?テーブルの上の資料を見まわす。上海、香港拠点の確保に関する報告…、情報網の確立、医療機関の確保…?
「そう言えば、嬢ちゃんの方はどうなんだ?手術でどうにかなりそうか?」
宿木のおじさんに聞かれて、お父さんは顔を伏せてしまう。
「もともと体力が少ないあの子だ、15まで生きればいいと言われた。カテーテル手術で血管を拡張しても、いつまで持つかと言われてしまった。ののかはもう5歳…、あと10年しかない。でも、あなたに貰った情報で、少し希望が出てきた。」
お父さんは顔をあげた。
「だからこっちに越してきたんだ。10年あれば、チャンスがあるかもしれない。」
焦りや悲しみを内包した顔で、お父さんは笑っていた。
「黒崎さんよ、そうだ、希望は捨てるな。俺にできることがあったら何でも言えよ、手伝うからよ。」
貝原のおじさんがお父さんの肩をバシバシと叩いて力強くこぶしを握った。
「ああ、俺も情報だけじゃあ、気が済まん。チャンスがあったら協力は惜しまない。なんたって俺たちは一蓮托生だからな。」
宿木のおじさんがにやりと笑った。
「ああ、ありがとう、二人とも。…じゃあ、販路拡大についての話をしようか。初の海外出資だね。」
「いい顧客がいるらしいと聞くんだがな。」
「国内の方は先細りだからな。規制も厳しいし、医者もやりたがらない。」
テーブルの上の資料が、お父さんの手でめくられていく。
販路拡大。富裕層。地方都市。再教育機関。適切な病院。医療機器。ハイレベルな治療。患者情報。ナンバー管理。パスワード。
圧倒的な情報量と、いやな予感。
なんだろう胸騒ぎがした。綿密な計画がなされればされるほど膝ががくがくと震えてくる。各国政府機関との連携。患者の確保。死体の処理とその利用。
お父さんはいったい何をやっているの?
海外のお菓子や雑貨、商品を買って、日本の店舗に並べるお仕事だよ。
そう言っていなかった?
足の下から床が抜けた。
ありさとつむぐだ。
あれはいつくらいだろう。小学校の低学年くらいだろうか。
さえぎの神社は小高い山の上にあって、約200段の石段を登って行かなくてはならない。その、階段の一番下にある鳥居の前で、二人は楽しそうにしゃべりながら待っていた。学校に行くときはいつも、ここでさえぎを待っていた。
私はいなかった。きっと入院でもしているのだろう。
パタパタと走りながら階段を下りて来たさえぎは二人におはよう!と叫んだ。二人もおはよう!と返した。
ごくありふれていた日常の一コマだ。するとさえぎは後ろをくるりと向き直る。下りてきた石段と、ところどころ塗装のはげた鳥居があった。
さえぎの長い髪が、鳥居の中から吹いてきた風に乗り、舞い上がった。
「行ってきます。」
さえぎが元気よく言った。後ろの二人も行ってきまーす、と元気よく言った。それからつむぐが今日の給食のシュークリームの話をして、3人で盛り上がりながら学校に向って歩き出した。
『行ってらっしゃい、気をつけよ』
何時の間に居たのだろう。
石段から下を向いている、微笑をたたえた女の人がいた。
きれいな人だ。
思わず心臓がどくんと高鳴った。
しかし存在がおぼろげだ。彼女が巫女服を着ていることから、神社の関係者であることしかわからない。私の記憶にこんな人はいなかったと思う。
きらきらの金の瞳に、銀髪のボブヘアーと言ったらいいのか。しかし顔立ちは日本人だ。
私が瞬きをしたとき、その人はもう居なくなっていた。
誰だろう。
分るのはその人が、人ではないこと、つまり、異形だってことくらいだ。
恐ろしい形をしていない分、気味が悪い。何か良からぬことを企んでいるのではないだろうか?それも、さえぎの家で。
頭が痛い。頭痛が戻ってきた。
脈と同じ周期でずきずきつんつんする。思わず膝をついた。耳の奥で狭いところに水がゆっくり流されている音が聞こえる。
ずあああ、そんな音だ。
コーン…、この音はチャイムか…。
うちの学校は17時55分になると下校のチャイムが鳴る。
視界のぼやけが取れるまで、1分くらいかかった。床に伏しているのはやはり宿木鈴之助だった。
「あれでよく宿木だと分かったな。」
まひる君が何時もの抑揚のない声で話している。まだ、しゃべれるほど回復していない。今しゃべってもろれつが回らない自信があった。
「声は鳥の鳴き声に近く、姿は全く見えなかったというのに。」
冷たい物言いだ。クラスメイトなのに。
「ああ、俺も鈴之助の声には聞こえなかった。」
七門君が宿木をあおむけに寝かせていた。
何よ、あなたまでそうなの?毎日一緒に居る友達のことが分からなかったの?信じられない。あれはどう聞いても宿木だった。間違いない。小さい頃よく聞いた高い声にそっくりだった。本当に、信じられない。
信用できない。
あの女の周りにはそんな人ばっかりなのね。
さえぎには、そんな人たちふさわしくない。絶対に。だってさえぎはとっても、綺麗だもの。
七門君が宿木を背負い廊下に出る。七門君の荷物は、まひる君が持っている。まだふらつく足で、みんなについて行く。目の前を歩くまひる君と玉木さんに自然と眼が行く。
「玉木、お前はどこか怪我とかしていないか?あるいは体が重い、とか頭が痛いとか。」
「うーん、頭ですか、そうですねぇ、特に痛くないです。身体が重い、は、あるかもしれません。というか寝起きなので、ぼーっとするというか。」
「そうか、ふむ。」
玉木さんは七門君のブレザーを羽織っていた。それが肩からずれ落ちそうになり、慌てて片手で直そうとして失敗していた。まひる君が、ん、と言いながら手を出し、彼女のカバンをひったくった。
「あ、ありがとう、まひる君。」
そう言って彼女はブレザーを直した。まひる君の方はなんてことない、というように鞄を持ち直し、彼女に返さなかった。
…こういうところが、きっとありさの、彼の好きなところだろう。私は二人よりも前を歩くさえぎの後ろ姿を見た。
私はなんで、さえぎのことが、好き、なのだろう?
―――ののか。
そう聞こえて振り返る。2年生の教室がずらりと並び、扉から17時55分を指す時計がちらりと見えた。廊下の先は非常階段に出るための扉になっている。窓からの景色は先程より少し、日が落ちたような気がした。
―――ののか、彼だよ。
また、聞こえた。聞きなれた声だ。
うちの学校の下校時刻は、原則18時だ。
あと、5分。
時間までって、もしかしてそういうこと?
―――彼が君のヒーローさ。




