17時50分①
また病室。
ああもういやだ。
あそこはあまりに異形が多い。
逢う度に、日に日に大きくなっていく、お父さんについた白い靄。
あ、しか言わなくなった男。
私が共同スペースの窓に近づくと毎回屋上から身投げをする女。
ああ、そう言えば、先程の白いウサギは、小さな女の子に何時もついている白い塊にそっくりだった。女の子の足元でコロコロ動き回っていた。女の子もそれに気が付いていたが、好きにさせていたようだった。しかし自分からは構わない。彼女の母親が女の子に口止めしていたらしかった。
彼女とはろくに話も出来なかった。
そんな事を考えていると扉が開いた。
「のーのか、手術成功おめでとう。はいお花持ってきたよ。」
「まったく心配かけさせやがって。最近は病状安定していただろー。」
あれ、これは前にも見なかったか?
「今日は連れて来たよ、前回は連れて来られなかったからね。」
ありさがじゃーん、と言いながらドアの外から腕を引っ張る。
「いてーよ、離せ。」
「そんな事よりののかに言うことあるでしょ。」
さえぎだ。ありさと一通り口げんかをして、私の方を見た。ちょっと待って、私今パジャマよね、変なところないかしら?私は少し頬に熱が上ったのを感じた。
「調子はどうだ。」
「うん、だいぶ良いよ。」
あの時はさえぎの顔をじっくり見ていられなかった。
「さえぎ、俺あっちのスペースに行っているから。」
ひょこりと顔を出したのは女受けする優しげな微笑みをたたえている、船河君だ。そうだ、あの時は船河君が待っていたんだ。
「おう、悪いな。」
「いいよ、ゆっくりしてて。」
そう言って船河君は出て行った。
「あ、えっと、今のが、さえぎの神社に居候することになった人?」
「ああ、まあな。正確に言うとうちの神社、じゃなくて、家の山の中腹にある、じいちゃんが立てた洋館だ。使ってなかったし、掃除もしてくれるからちょうどいい。」
話は聞いていたが、ずいぶんと大人っぽい。
「えっと、大人っぽいね、同じクラスって聞いたけど、同い年だよね?」
「ああ、たぶん、そうだと思う。」
随分と自信が無さげなさえぎは、腕組みをし、ため息をこぼした。
「あいつらが来てから家の中がうるさくてな。あおい姉も母さんも余裕が無いんだ。」
「ご飯とか?」
「いや、そういうのは自分たちでやっているから問題ない。ただ、日本に来たのが初めてだからあそこ行きたいここ行きたいのオンパレードで予定みっちりつめやがって。テンション高くてついて行くのが大変で。夏休みの予定まで決めているんだあいつら。」
不満を一気に言い切って、自分を落ち着かせるように一息ついた。
「…まあ、社殿の掃除やらやってくれて、人手が増えて助かった面もあるけどな。」
「ふーん、なんかさえぎ楽しそうだね。」
「は?」
ありさの指摘に、しばし固まった。さえぎは思っていることと言っていることが違うことがある。今だって文句を言っている間、ずっと楽しそうだった。声が明るい。こんなさえぎは久しぶりだ。
「…あー、家の中がこんなに騒がしくなったのは、父さんが生きていた頃以来だからかな。」
ありさは少し目を見開いて、つむぐは口を少し開けて、さえぎの顔を見た。
「あいつらが来て、よかったと思っているよ。」
ぎこちなく笑うさえぎに、なんだか切なくなる。私たちではその喪失は、埋められなかった。喧騒が彼を救ってくれたのなら、私はもう何もいうことは無い。
「あいつらって、何人いるの?」
「ああ、さっきのが船河、あと、七門、まひる、エレお嬢様だな。」
「えれ、お嬢様?」
「ん、海外のいいとこの娘らしい。あとの奴らはお嬢様の護衛兼遊び相手だ。…みんな本名がややこしくて字を付けた。一応、神前でお伺いを立てて付けたから、本質的には間違っていないはずだ。」
「ふーん…?」
楽しそうにしている顔が、なんだか遠くに感じた。楽しくなると思ったのに。時間ができたはずだったのに。
そしてあの女のセリフだ。
夕暮れ時、出逢って初めての日。
ありさに、まだ学校から家までの帰り道が分からないあの人のために、送って行ってと言われたのだ。でも、あの女は分かっていたのだ。道なんてとっくに覚えていた。一言二言話したように思う。
「あなたは手術をなさったのよね?」
「え、はい。」
「それで、誰が死んだかご存知?」
「え…?」
ああ、そうだ、手術について聞かれたのだ。
「ふうん。思ったよりも、ですわ。」
彼女は何やらつぶやいた。炎の瞳でこちらを燃やし尽くすように、肌がちりちりとするような気さえする。
「わたくし、さえぎのことが好きですの。だからあなたの事が嫌いですの。話しかけないで下さる。」
圧倒的な嫌悪を、彼女から感じた。しかも、私に対してだ。彼女が私の隣を抜け、すたすたと歩きだす。その時になってようやく、彼女が道を知っていて、私と今の話をしたくて、一緒に帰ったんだろうということに気が付いた。
何よ、なんなの。言いたいことがあるなら、はっきり言えば…。
あの女は言っていた。言うだけ言って去って行った。あとからだんだん腹が立ってくる。ドナーの人の事を知らないのは、そういう決まりになっているからで、私のドナーになってくれた人は、何か事情があったんだと思っている。
心臓移植だ。相手の人がどうなったかは考えただけで震えが来るほどだ。
それを積極的にえぐって来るなんてなんて無神経で感情の無い、なんて非道な人だろう。今日もとくん、とくん、と一定のリズムで鼓動を撃つ心臓。
今だって早まることもまして止まる事なんてなく動いている。
小さいころから残りの寿命を数えていた。あとどれだけ両親と、ありさやつむぐや、さえぎと…一緒に居られるだろう…。そう考えて生きてきた私の事などどうでも良いようだ。
よどんだ空気が体にまとわりついているようだ。
あんな女のくせに、次の日ニコニコしながら、さえぎ達と歩いていた。外面だけは良いようだ。ありさも一緒に生徒会に入りたい、と言われてうれしそうにしていたし、つむぐはまひる君と七門君、船河君と何やら気が合ったらしく休みの日に何処かへ行く約束までしていた。
私は3人に昨日の事を相談も出来ずもやもやした日々を送っていた。
いや、さえぎには相談できない。だって、そんな事をしたら、あの女がさえぎが好きだってことまで話さなくてはならなくなる。さえぎの態度から、あの女を嫌っているようには見えないし、同じ敷地に住んでいるんだ、チャンスはあっちの方が圧倒的に多い。
アシストになったら目も当てられない。
だったらさっさと告白してしまえばいいのだが、それはそれで勇気が出ない。
なにもかもこれから頑張ろうと思った矢先にこれだ。
なんて不幸なんだろう。
これまで何度もこの世の中の不運に出会ってきたが、やっと乗り越えてこれは酷いだろう。少しくらい私に幸福をくれたっていいでしょう。幸せになっていいでしょう。この世の中には絶対神様なんかいない。いたら私にあんな女を差し向けない。
さえぎとまひる君が、倒れた男子生徒の横に片膝をつき様子を見ている。ありさとつむぐがこちらを振り向いた。いつの間にか座り込んでいたらしい。二人を見上げる格好になった。
「ダメだな起きない。」
さえぎは溜息のように吐き出した。ありさとつむぐはさえぎの方に振り返った。なんだろう。とにかく立ち上がる。
「じゃ、俺が担ぐ。」
まひる君が貝原を肩に乗せ、グイッと持ち上げた。さすが運動部。結構軽々担ぎ上げている。
体育館をぐるっと見渡した。いつも通りの体育館だ。あの黒いものは破片も残さず消えていた。夕暮れ時の光が入ってきて、いたってのどかだった。
「あれ、時計…17時50分になっている。」
確か私がまひる君と廊下を歩いていた時は、17時45分で止まっていたはずだ。がたがたと体育館の扉を大きく開けていたつむぐは、少し紫色の交った空を見ながらおかしい、と呟いた。
「全然生徒の声がしないし、窓が開いていない。おまけに外の音もしない、静かすぎる。これなんなの、さえぎ。」
眉をひそめてさえぎを見上げた。一方の見上げられた方も、眼鏡の奥で険しい顔になった。
「何となくだが、結界でも張られているような感じがする。でもまあ、俺たちを殺す気はなさそうだ。それ以上は分からん。」
「さえぎがわかんないんじゃ、俺にはさっぱりだなあ。まひるは?こういうオカルトって詳しいじゃん。」
「わからん。…前に行った廃トンネルに近いのではないか?」
まひる君は貝原をグイッと抱え直した。ぐえっ、と声をあげたがまったく気にしていない。
「ちょっと、また変な噂になっているところに行ったの?つむぐ。まひる君も!」
ありさが怒り出すとまひる君とつむぐは急に歩き出した。
「いや、ただのトンネルだった。危なくなかった。」
「そーそー。ちなみに船河と七門も同罪だからなー!」
ありさはそういうとこ行っちゃダメって言っているでしょ!とまだ怒っている。
「まあ、トンネルに入って、50メートルと聞いていたが、歩いて10分くらいたっても反対側に着かないし、光も見えてこないからおかしいと思い、帰ってきた。ほぼ真っ直ぐだったんだが。」
ありさは肩をびくりと跳ね上げた。学校の100メートル走のトラックを普通に歩いたって、10分は明らかにかからない。
「そして帰ってきてから時計を見たら、2時間たっていた。」
まひる君はあえてゆっくり話している。抑揚のない話し方が怖さをより際立させている。ありさがさえぎの腕を掴んでいた。少し震えている。つむぐもそれに合わせてゆっくり話す。
「おかしいよな、俺たちは午後1時にトンネルに入って、10分歩いて、おかしいと思い、出て来たんだから帰り道も10分で着く筈だ。1時に入って3時になんてならないだろ。」
「や…やめ…。」
「まあ、それで終わりだ。全員何事も無く帰って来たし。」
さえぎは呆れた顔で二人を見ていた。
「今度行くときは声をかけろ。盛り塩持っていくから。」
ひやあああ、とうとう声を小さく上げたありさを、前の二人は楽しそうに見ていた。ありさは話し甲斐がある、とか、リアクションがいい、とか言っている。こういう話は苦手なのだ。さえぎに対しては二人は分かったー、とかはーい、とか言いながら今度はさえぎも一緒に行こう、と盛り上がっていた。
「で、今の状況はそのトンネルに近い、ってことか?」
いったん盛り上がっていた二人だが、まひる君がうなずいてまた歩き出した。
「さっき玄関に行ったが、出られそうになかった。」
「え、じゃあどこに行こうとしているの?私はてっきり玄関かと…。」
「保健室にお嬢様と船河がいる。さきにそっちと合流する。」
「エレちゃんと船河君も無事なのね、よかった。」
ありさがほうっと息を吐いた。ありさはあの女と仲がいいから、少し微妙な気分だ。中学の頃は毎日いっしょに登校していたが、高校になってからは生徒会室に、少しはやく行かなくてはならないらしく、ありさと登校しなくなっていた。そしてあの女も生徒会、朝練のあるまひる君とつむぐが行くならと船河君と七門君も一緒に行くことになって、さえぎと、生徒会副会長の、さえぎのおねえちゃんのあおいちゃんも行くから、大所帯で登校している。
ありさの場合はまひる君と登校できてうれしいらしく、休み時間に話すと彼の事ばかりだ。
正直どの辺がいいのか分らないが。




