誓約
7月に入ったら夏祭りだ。町中提灯が飾られ、夜が何時もより神秘的だ。
サトシはあの日から3日後に学校へ行けるほど回復した。しかし鈴之助はまだだ。サトシは、彼のノートも取らないと、と前より少し真面目に授業を受けていた。
私は服を脱いで着替えをした。ふと、下着のまま鏡の前に立ち、背中を見た。そこにはこぶし大の醜悪なサナギのようなものがどくんどくんと脈打っていた。まるで、心臓のようだ。父にも母にも相談できずに、ずっと背中にくっついたままだ。いやきっとこれは周りの人には見えていない。徐々に大きくなっているような気もする。そういえば昔はもぞもぞと動いていたようだったが、今は全く動かない。まるで羽化の前の準備をしているようだ。
サトシは鈴之助がいないので、七門君と一緒の事が多く、よく遊んでいるらしい。彼の伝手であの女の住む洋館に行ってみたが、まったくおかしなところの無い洋館で、古いが綺麗なところだったそうだ。休日に船河君が作ったお菓子を、みんなで食べていたらしい。まひる君とさえぎは社殿の掃除をしていて合流が遅くあまり見かけなかったが、にぎやかに楽しくすごしているそうだ。また私は仲間外れか。
鈴之助はやっと床から出られるほど回復したが、肌はあざのように跡が残ったままだった。左腕の甲が、唯一見えるところではあるが、体中のかなりの広範囲、あざのようになってしまったらしい。
しかし終業式までには顔を見せると言っていたそうだ。
本人よりも、宿木のおじさんがそれを気にして、何やらいろいろ調べているらしい。おじさんに聞いたが、私のようにこぶがある、とかはないようだ。
それよりも私はお母さんに手伝ってもらって、着替えをする。この日のために新調した、空色の着物だ。小物も一新した。肩で跳ねている髪に花飾りをつけた。
お母さんは一通り準備ができた私を、頭からつま先まで見てから、可愛いわと少し涙ぐんだ。心臓の心配がなくなって、やっと普通の生活を送れるのねと、素直に私が生きていることを喜んでくれた。私にとってそれはとてもありがたかった。
今、自分の心臓とは、と考えている。さえぎは何も話してくれない。
何があったのか。
もし今日時間があったら、聞かなければならない。さえぎのことは私の中では最優先事項だ。
よし。
顔をあげ、玄関を出た。
ありさは午前中から神社で手伝いをしている。そこで昨日打ち明けられたのだが、この手伝いは中一の頃からつむぐと一緒にしていたらしい。てんてこ舞いの友達の家を手伝っていただけだが、ありさが私に気を使って、教えなかったらしい。
しかし今年はまひる君たちがいるので手伝いは良いよ、と言われてしまった。だがありさはなおさら行きたい、そこで押しかけたのだ。私もありさのようにぐいぐい行けたら、と思ったが、病院に定期検査に行っていたので無理だった。
夕方に石段前で待ち合わせをしていた。慣れない履き物と人の多さに心配したお父さんが石段前まで送ってくれることになった。
お父さんの顔はもう見えない。白い被り物をしているように球体だけが首の上についている。もう何カ月もお父さんの顔を見ていない。
何となく、よくないものだと分っていた。今まで私に見えたものはすべてよくないものだった。隣を歩くお父さんと、ぽつぽつ祭りについて話していると、そういえば、とお父さんが言った。
「俺はこの町に越してきた時から祭りに行った事も、舞いを見た事も無いな。」
「え、そうなの勿体無い。とても綺麗だよ。今日見て行ったら?」
「ああ、そうしようかな。」
あまり気乗りしないようだが、まあ無理強いはしないでおこう。石段前にはまだありさもつむぐもいなかった。かわりに来たのはまひる君だった。女の人の声とともに下りて来た。
『りんごあめを食べねばいけない理由はまだいるかえ?馬。分ったらさっさと買うて来い!のそのそしていては馬の名がすたるぞ!あ、しかしさえぎには内緒じゃ。こんな時に社を抜けて、と怒るんじゃ。』
「はいはい耳に近いです。今買ってきますからお待ちください。」
まひる君が最後の石段を降りるとふわっと風が吹いた。そこには女の人などいない。彼が私に気が付いてああ、と近づいてきた。
「林道か?今忙しいから上に行ってくれ。」
そう言って、お父さんにはぺこりと頭を下げて、小走りで屋台の方に行った。
まひる君は浅黄色の袴を着ている。弓道部なので、袴姿は見た事があるが、神職が着るそれを身に纏うと、神聖なもののように見える。事実いつもなら気にならない赤い瞳が、ぎらっと光ったような気がした。
石段を上まで見上げてから、気合を入れて一歩一歩昇って行く。お父さんは結局私に付き合ってこの長い階段を登ってくれるらしい。
胸のもやもやは全く消えず、背中のサナギも不気味に沈黙している。何年か前に同じようにこの階段を上った時とは足取りが違った。重くて、動けない。
休み休み無心に足を動かし、気が付くと一番上に来ていた。息が上がって、提灯の灯りと喧騒が遠かった。
きぃ―――ん、と耳が鳴る。
衣擦れが玉砂利を踏む。その音だけが耳に届く。顔をあげれば視線が刺す。見覚えのある巫女が言葉を紡ぐ。しかし私の頭には入ってこず、銀の髪を揺らし風だけ残し消えていった。
ありさが神酒を配り、つむぐと、さえぎのお母さんが舞台のそでで準備をしていた。忙しなく歩く人々の喧騒から、私だけ切り離されたような気さえした。
やがて笛と太鼓が始まった。ざわめきの波が引く。袴姿で、目元に朱の化粧を施した船河君が笛を、七門君が太鼓を鳴らしている。
小さな男の子連れの男性が、いいか、と真剣な面持ちで子どもに話しかけていた。
「これから踊りが始まるが、静かにしないといけない。」
「わかった。」
男の子も真剣だった。
「もう一つ。踊りの最後に、『うけい』がある。」
男性が空中に誓約と書いていた。きっとこの男の子はまだ漢字なんか分からないだろうに。
「神様が、今年はどんな年になるとか、何が起こるから気をつけろ、ということが多いけど、たまにとんでもない事を言ったりするんだ。」
男の子は首をかしげた。
「でもな、それを他人に言ってはいけないんだ。ここであった誓約は外に話してはいけない。どんなに重要な事であっても他言無用。外にもらしてはいけないんだ。」
「どんなことでも。」
「そう、お母さんに聞かれても、ダメだ。いいかい、約束だよ。」
「うん。」
ぱか、と馬のひづめの音がしたような気がした。ぶわりといきなりつむじ風が上から吹いたと思うと舞台の幕が、風になびいた。
そこにまひる君が弓を持って現れた。
今度はおばあさんが、隣の若い人に話しかけているのが耳に入る。
「ああ、今年は弓鳴神事からやるのねぇ。」
「なんだいあれ、お正月にやる奴?」
「そう、だけどね、ほんとは夏祭りにも、やっていたのよ。神社の人手が足りなくて、今の神主さんのおじいちゃんの時は、弓はおじいちゃん、舞いはお父さんがやっていたの。懐かしいね、久しぶりだわ。」
舞台で矢の無い弓を引き、びぃん、と3回鳴らした。そして丁寧な所作でそでにはけた。
「あの弓は桃の木でできていてね、邪気払いをするのよ。」
何となく、体育館での出来事を思い出し、背筋がぞわっとした。これは、あれに似ていた。
しゃんしゃんと鈴の音が聞こえ、太鼓と笛の曲調が代わった。さえぎとあおいさんが現れた。前に見た時はさえぎは中世的な見た目で、美しかったが、今はすっかり大きくなった。凛とした姿がかっこいい。周りに人が増えてきた。みんな舞いを見に来たのだ。
ふと、屋根に眼がいった。誰かいる。
心臓が高鳴った。銀の影が舞台を上から眺めて、りんごあめを食べていた。今度こそ見えた、境内に来た時私を見ていたのはあの人だ。
シャン、と鈴が鳴り終わり二人は歩き出す。天高く笛が響き、身深く太鼓がささり舞いが始まる。
ああ、美しい。
心の底からそう思う。
最近醜い自分に気が付いてしまった。なのでよけいさえぎが綺麗に見える。舞い踊る二人の間に白銀の巫女が屋根から下りて来た。あんなところにいる人など、ヒトではない。手には榊を持っていた。重力を感じさせない動きで二人と一緒に踊る様は、3人で完成されているのだろう。
この舞いは、これが本来の形なのだ。そんな気がする。白銀の巫女は舞台をふわりと降りた。さえぎとあおいさんがそれに続く。息をのんでいた聴衆は一つのざわめきもあげずに道を開ける。
一人の前で三人は、いや、二人は止まった。白銀の巫女が榊をその人に向ける。後ろの二人も鈴とつるぎを同じようにその人に向けた。
『サナギは必ず羽化をする。サナギは必ず羽化をする。お前は今日で天命尽きる。』
榊の先には、私の、お父さんがいた。
久しぶりにお父さんの顔を見た。驚愕に顔をゆがめている。
『羽化した蛾は虫かごで、また再び芋虫となり、蛾となる。』
白銀の巫女はこっちを向き、にんまりと笑った。いや、嗤った。またふんわりと消えていくとみんな止めていた息をふうと吐いた。
さえぎとあおいさんが鈴とつるぎを下ろして、舞いは終わった。私はお父さんに駆け寄った。
「お父さん。」
周りの人はお父さんから距離を取っていた。
「彼は、なんで、生きている…?」
わたしと同じことを言っている。私はお父さんの腕を引き、邪魔にならない提灯の下の石に腰掛けさせた。少し落ち着いたのか今度はがたがたと震えていた。
「なんだあれはどうなっている?」
震える手でスマホを取り出していた。
「お父さん、今、宿木のおじさんに、さえぎについて電話しようとしたの?」
お父さんが私の顔を見て驚いている。その表情がすべての答えのような気がした。
「ねぇ、鈴之助とサトシって、私が思っているよりずっと昔からの知り合いなの?」
幼馴染のさえぎやありさやつむぐよりも。
「あ…、ああ、小さい頃に、ここに越してくる前から、赤ちゃんの時にお母さん同士が仲が良くてな。」
そうなんだ。じゃあ、私にとって幼馴染って、鈴之助やサトシの事だったんだね。
「じゃあ、さえぎが私のドナーになるかもしれないって、いつ知ったの?」
お父さんの顔がこわばった。
「…、宿木のおじさんの知り合いの病院に聞いて、情報を集めていた。ドナーになりうる人の情報を集めて…。」
「さえぎはさ、ドナー登録してないと思うの。」
「それは、…それは…。」
言っていて、だんだん空しくなってきた。
「お父さん、昔言ったよね、さえぎは、私のヒーローだって。」
お父さんに小さい頃、言ったことがある。内緒にしてねと前置きして。私はね、さえぎのお嫁さんになるのが夢なのって。お父さんは優しく笑って彼はののかのヒーローだ、って言ってくれた。うれしかったのよ。認めてくれたみたいで。心臓を直してさえぎと幸せになるんだって。
「『事故死』しているはずだ。なのにおかしい。」
ああ。お父さんも知っていたんだね。事故死扱いにする予定だったのか。眩暈がする。遠くでつむぐがこちらを見ていた。目が合うと、少し躊躇した後、こちらに寄ってきた。いまだに、私たちの様子を見ている聴衆がチラチラいた。
気まずそうに私たちの前につむぐが立った。
「この度は、その、ご愁傷様です。」
私は何をつむぐが言ったのか、意味が分からなかった。多分お父さんもそうだ。思わず顔を見合わせてしまった。
「今日はもう帰った方がいいよ、もう18時だし、あと長くて6時間しかない。」
焦ったように急げと言うつむぐに、私はできるだけ明るい声で答えた。本当はなんて縁起でもない事を言うのかと、反射的に言いそうになったけど。
「何言ってんのつむぐ、ただの、占いみたいなものでしょ?本当に死ぬわけ無いじゃない。」
「ののかがそう言うならいいけど。…俺は毎年参加しているけど、誓約は外れた事が無いよ。別に信じる、信じないの話じゃない。当たるんだ。これだけは言っとくけど、他言無用だよ。誰かに話したら、もっとよくない事が起こる。」
つむぐは眉間にしわを寄せた。




