第160話 白無垢
結婚式の朝。
俺はベッドから起きると、カーテンを開けた。
天気は晴れている。
「覚えていてほしい……か」
思わずつぶやく。
自分があらゆることを忘れてしまったクセに、よく言ったもんだ。
「いや、よそう。今は……」
俺は頭を振って、居間へ降りていった。
「おはよー」
「「「おはようございまーす!」」」
朝ごはんはメイドたちが作ってくれたものを館で食べた。
チラリと横をみると、姿勢の正しい女秘書が美しい箸さばきでご飯を食べている。
変わった様子はない、か。
「ごちそうさまー」
結婚式は昼前。
あわてることはない。
朝ごはんが終わると、みんなの準備をゆっくり待った。
「……さて、そろそろ行くぜ」
「お二人は着替えていかないんスか?」
「ああ。五十嵐家で着付けしてもらうからな」
ガルシアは少しフォーマルな礼服を着ており、メイドたちもめいめい華やかなドレス姿だ。
俺と悦子さんだけは普段の恰好である。
「おはようさん。いよいよだねえ……」
館を出ると、すぐにリヴさんが合流した。
彼女もいつものジーンズとタンクトップではなく、スリットが深く入ったロングドレスでなんかゴージャスだ。
「晴れてよかったッスけど、寒いッスねー」
「雪が降ってもおかしくないですー」
「このマフラー、スノー・ウルフのモフモフでつくったんですよ」
こうして、みんなでぞろぞろ歩いて行った。
村に到着。
まずは五十嵐家だ。
「お待ちしておりました。領主さまはこちらへどうぞ」
フミエ夫人は俺を部屋へ案内すると、娘の悦子さんを別室へ連れていった。
「領主さま、いよいよですなあ」
俺の部屋にはイサオさんがいる。
あのロン毛がすっかり角刈りになっていて、一瞬誰かわからなかったけれど。
「悦ちゃんの迷いは吹っ切れましたかのう?」
「どうかな……」
こうして紋付き袴を着ていく。
昨日よりはすんなりいったかな。
「では、しばらくお待ちくだされ」
「ああ」
当然、悦子さんの着付けの方が時間がかかるので、そのまま待つ。
しかし……
どうにも落ち着かないな。
帯の結び目をいじったり、座ったり立ったりしてみるが、時間はちっとも進まない。
そんな時、障子が開いてガルシアが入ってきた。
「おお、旦那! イカしてるッスねー!」
「そう?」
改めて姿見で確認する。
……まあ、自分ではわからん。
「それにしても……こういうことになって、自分は嬉しいっスよ」
「ありがとう。でも……」
俺は、羽織の袖の構造をいじりながら言った。
「こうして結婚式が近づくと、ちょっと考えちゃってな」
「はぁ? マリッジブルーってやつスか?」
「そんなんじゃないよ。ただ、昨日、悦子さんに今の俺を覚えていてほしいって強く思ったんだ。じゃあ、俺はどうなんだって。忘れるってのは、それだけで罪なんじゃねえかってさ……」
俺が記憶を失ったことで、傷ついたり、悲しむ人がいたのかもしれない。
「それは旦那のせいじゃねースよ」
「でも……」
「そう思うなら今度は忘れねえことッス。五十嵐さんのためにもね」
ガルシアはそう言って、俺の肩を軽く叩いた。
で、しばらく後。
悦子さんの着付けが終わったようで、フミエ夫人が呼びに来た。
「こちらです」
「は、入るぞー」
障子を開いて、中を覗く。
「エイガさま……」
……白無垢の花嫁だ。
雪を何枚も重ねたような純白。
大きな綿帽子の影から、黒髪と涼やかな目元が印象的に覗いている。
「ええと、その……」
「……や、やっぱり、変ですか?」
綺麗だ――と言葉にすると零れてしまいそうだった。
俺はただ首を振って言った。
「お嫁さんだな」
「……はい!」
五十嵐家を出ると、軒先には多くの領民が集まっていた。
太陽の光が、人々の笑顔の歯や頬のシワを燦然と照らしている。
「領主さまバンザーイ!」
「おめでとー!! わーい、わーい」
「悦ちゃん、おめでとう!」
驚いた。
こんな慕われた領主だったんだな。
あちこちで悦子さんの花嫁姿を褒める声も聞かれ、それも嬉しい。
「行きましょう。エイガさま……」
「あ、ああ」
俺と悦子さんは吉岡神社へ向かった。
神社の場所は事前に確認してある。
だが、その道程はフワフワして夢のごとし。
急激に心拍数があがっていき、自分の手足が自分のものじゃないみたいだった。
人々のざわめきや祝福に鳴り響く太鼓や笛のドンドン、ピーヒャラの音などもどこか遠くに聞こえ、まるで次元のはざまで催される妖の祭に迷いこんだようである。
マジやばい、終わった……
途中でそうあきらめたものの、気づけばなんとか神社の階段までたどり着いたようだった。
「領地に来たばっかの時、三人でここを登ったッスねえー。うひーん(泣)」
なんか後ろで泣いてるヤツがいる。
「行こう、悦子さん」
「はい」
目線が触れ合う。
俺は花嫁の手を取った。
……と、その時だ。
「その結婚、待った……ですわ!」
幸福に満ちた一幕に、そんな声が響き渡ったのである。





