第159話 忘れないで
帝都の大臣官邸にて。
一通の書が、大臣の手によって開かれる。
「……ワハハハ!」
手紙は遠雲の五十嵐家からであった。
「めでたいめでたい! 五十嵐君もようやく結婚か!」
「大臣はずいぶんと五十嵐先輩のことを気にかけていらっしゃいましたものね」
現職の男性秘書がそう言う。
黒いスーツに横分けの美丈夫である。
「そう見えるか?」
「ええ。五十嵐先輩は優秀な方でしたから」
そう。
そのぶん、浮いた話がない子だった。
もちろんあれだけの美人であるから隠れファンは多かったらしいが、結局のところ帝都の高級役人たちはプライドが高いぶん、自分より優秀な女を恋人や妻には選ばない。
ならば結婚だけが女の幸せでもないし、逆にその能力を活かしてずっと働いてもらえるという考え方もできるが……
自分の部下には愛着もわくもので、できれば良い人を見つけてもらいたいというような親心もあった。
「その点、エイガ殿は五十嵐君の良人に最適だ。地元の領主でもあり、結婚後も彼女の能力を活かしていけるだろう」
「私もそう思います。しかし……」
現職の秘書は少し口ごもる。
「先ほど、西園寺小太郎様が遠雲へ向かったと報告がありました」
「む……五十嵐君のことだろうか」
「五十嵐先輩というより、ご領主エイガ様のことでしょう」
西園寺小太郎――極東で最強の忍者集団『鴉』の長である。
彼らの里は地図上に無く、本当のところ誰に属しているかも不明だ。
一説によると、帝直属の忍者集団とも言われている。
「彼らは対モンスター戦力における育成スキルに目を付けていましたから」
それはわかる。
自分も同じ考えでエイガ・ジャニエスの領主就任を歓迎したのだから。
「一条、そなたはどう思う?」
「西園寺様の狙いは、政略結婚でしょう。自分の娘をエイガ様に嫁がせて、その技能を取り込もうとしている。そして、これは言いにくいのですが……」
秘書は目を伏せて続けた。
「……エイガ様の結婚相手としては五十嵐先輩より、西園寺のご令嬢がより適格かと。帝国にとっても『鴉』がエイガ様と繋がって悪いことはございません」
「ふむ、左様か……」
秘書の言葉を少し咀嚼すると、大臣は立った。
「出かけるぞ。一条」
「はあ? どちらへ?」
そう聞くので、秘書に書を見せつけた。
「麻呂も誘われているのでな。結婚式に」
◇ ◆ ◇
俺は、結婚式のことなど何もわからなかった。
悦子さんもよくわからないらしい。
よって、式についてはすべて五十嵐家にお願いする他なかった。
「こちら、明日のために一度袖をお通しくださいませ」
フミエ夫人が、畳の上へ結婚式の衣装を差し出す。
変わった服だ。
ボタンの無いすごく大きな白いシャツに、同じように巨大な黒いジャケット、ダボダボのストライプのズボン、黒い外套のような服、親指だけ分かれた白い靴下……など、一式である。
「場所は五十嵐家でいいのか?」
「通例では我が家ですが、この度は吉岡神社で行いますわ」
「へえ。どうして?」
「はい。うちはだいたい婿養子を取る家だったのですが……今回は悦子を嫁にやるという形に致します。その場合、吉岡神社が無難かと」
難し……
「でも、式が済んだら宴を行いますが、そちらは五十嵐家でご用意いたします」
なるほど。
ようするに儀式は神社で、披露宴は五十嵐家でって感じか。
「では、試着がお済みになったらお呼びください」
そう言ってフミエ夫人は出ていった。
「試着ってもなあ……」
着方がわからん。
とりあえずノリで着てみるか。
まず、ストライプのズボンを穿く。
太ももの横がスカスカだが、続いて薄手の大シャツと大きなジャケットを着けると、ちゃんと覆いかぶさる。
「うん。こんな感じかな」
「領主さま。いかがですかのう? もごふッ!?」
入れ歯が外れたような声がして、振り返る。
「イサオさん? 大丈夫?」
「ごふふぅ……りょ、領主さま。袴は羽重の後に穿くんですじゃ」
こうしてイサオさんが着方を教えてくれて何とかなった。
なるほど、これでイイ感じだ。
「悦ちゃんはどうですかのう?」
「……うん。喜んではくれているみたいだけど、やっぱり気になるみたいだな。俺が記憶喪失だから」
「ふむ。でも、それも最初のうちだけですじゃ」
イサオさんが俺のシャツとジャケットを長い布で巻いて結びながら言った。
「悦ちゃんは領主さまの記憶喪失の記憶が戻るものだと信じておる。しかし、本当にそうですかのう?」
「ずっとこのままかもしれないってことか?」
「可能性の話ですじゃ」
うーん。
実を言うと、そこらへん複雑なんだよな。
みんなは俺の記憶が戻ることを望んでいる。
でも、果たして……
俺自身は記憶が戻ることを望んでいるんだろうか?
「そもそも記憶なんてものは、実のところみんな曖昧なものですじゃ。大事なのはこれからどう生きるかではありませんかのう?」
「イサオさん……」
「ワシも、よくメシを食べたのを忘れてフミエさんに怒られておりますで」
それはちょっと違うんじゃ……(汗)
試着が終わると、悦子さんや五十嵐夫妻と明日の打ち合わせを詰め、館へ帰ることにした。
「行こう、悦子さん」
「……はい」
五十嵐家を出ると、もう夕方だ。
茜いろのあぜ道を村の子たちが駆けて行くのが、まるで永遠に見えた。
「やっぱり気になる? 俺の記憶喪失が……」
「い、いえ……はい。やっぱり」
目を伏せる悦子さんの頬が夕日に染まっている。
「実を言うと、俺もなんだ」
「え?」
「俺の記憶が戻るのか、戻らないのか、それはわからない。でも、仮に戻った時……今の俺はどうなるんだろう?」
悦子さんはハッと目を見開いてこちらを見た。
「前の俺が戻ったら、今の俺は消えてしまうのかもしれない……。そんなことをたまに考えるんだ」
「エイガさま……」
俺はレディースーツの凛とした肩をそっとつかむ。
「だから覚えておいてほしい。俺がキミのことを好きで、どう愛したかを……」
そう抱きしめると、影法師のポニーテールが可憐に揺れた。





