第158話 本当は
父と母が帰った後。
五十嵐悦子はひとり呆然とソファに座っていた。
タイトスカートに揃えられた膝、鋭い目つき。
周りから見ればいつもと変わらない、ちょっと変わった美人の姿であったが、その脳内にはぐるぐると混沌がうずまいている。
「ただいまーっス!」
ふいにそんな声が響いて、我に返った。
「あれ、どうしたんス?」
「い、いえ、なにも……」
思わず目をそらす。
「なにもないワケないッスよ。そんな思いつめたツラして」
「……」
さすがに長く共に仕事をしてきた同僚のガルシアには戸惑いを隠せないようだ。
内情を知る身内でもあるし、コトの経過を話してみることにした。
「実は、かくかくしかじか……」
「あー、なるほどッス」
「……どうしましょう」
「うーん……別にいいんじゃねーッスか?」
ガルシアは飄々と答える。
「自分なりに見てきたッスけど。やっぱ五十嵐さんはエイガの旦那と一緒になってあげた方がいいッスよ。それともイヤっスか?」
「わ、私のことはいいんです……!」
滅多に出さない大きな声が出て、自分でもびっくりする。
「……エイガさまにとって、これでいいのかと」
「いいに決まってるッスよ。かねてよりの懸案は、旦那がティアナさんに未練たらたらだったってとこッスけど、ザハルベルトではっきりフラれたんスから。いつまでも過去に囚われずに、目の前の女性に目を向けるべきなんス」
そう言われると、正しいような気がしてくる。
が……
「で、でも……このままだと、エイガさまは記憶喪失で何も知らないまま私と結婚することになってしまいます。婚約は私のためにしてくれた偽装だったのに……」
「罪悪感あるッスか?」
「……よくないことだと思います」
「うーん、自分的にはそこまで思い詰める必要はないって思うんスけど……」
ガルシアは頭をガシガシとかいて続けた。
「でも、もしどうしても気になるんなら、いっそのこと全部話しちまったらどうッスか?」
「……全部?」
「そうッス。偽装婚約のことも、この結婚についての五十嵐さんの気持ちも、全部ッス。ちょっぴり勇気がいるかもしれねーッスけど」
「そう……そうですね」
そう呟くと、神妙な顔だったガルシアが、励ますようにニヘッと笑った。
◇ ◆ ◇
「五十嵐家、か……」
俺は書斎でノートを確認していった。
一度学習した内容だったけど、結婚のこともあるし復習しておきたかったんだよね。
……よし、こんなもんかな。
それから階段を降り、居間に戻るとガルシアが帰ってきていた。
一方、悦子さんはソファに座っていて、花咲く牡丹のようである。
どうやら二人で何か話をしていたらしい。
「どーしたの?」
そう声をかけると、二人ともジッと俺の顔を見た。
「え? なんかあった?」
「エイガさま……お話があります」
悦子さんが立ち上がる。
「そ、そう。なあに?」
「一度にお話致しますので、私の実家……五十嵐家へ行きましょう」
ああ、結婚式のことかな。
確かに俺、記憶喪失だからなんもわかんないし。
「五十嵐さん、何もご実家へまで話すことねーんじゃねえッスか?」
「……父と母はもう話は通じないでしょう。でも、祖父なら、きっと力になってくれるはずです」
「そッスか……」
二人の話はよくわからなかったが、とにかく我々は五十嵐家へ向かうことになった。
俺と悦子さん、そして何故かガルシアがついてくる。
「いいお家だなあ……」
五十嵐家は苗を管理する家だけあって、立派な農家の屋敷って感じだった。
木材のたくみな組み合わせがどっしりとした骨格を思わせ、粘土を平らに焼いたものを幾重にも重ねた屋根は陽の光に艷やかな光沢を放っている。
「こっちです……」
悦子さんが裏の方へ誘うので、ついていく。
すると、裏庭の向こうに小さいながら葉で密集した菜園が見え、そんな葉の隙間からひょっこりロン毛の爺さんが顔を出した。
「おお、悦ちゃん。それに領主さま。今日はいかがされましたかな?」
レシーバーがついている。
と、一瞬でわかった。
これは経験値を遠い仲間へ送る育成スキルのはず。
付け替えによって重点ジョブへ経験値を送っているはずだが、生産者の彼もマーク対象だとノートにあった。
たしか、五十嵐イサオといったか。
「……おじいちゃん。お父さんとお母さんに内緒で、ちょっと話があるの」
「そうかい。じゃあ領主さまを部屋へ案内しなさい。ワシもすぐ行くでの」
すると、悦子さんは裏庭に面した木張りの細長い廊下のような場所でヒールを脱いであがり、「……こちらへどうぞ」と俺とガルシアを案内した。
細い木の格子に白い紙を貼った引き扉をそーっと開き、硬い草を密に編んだものを敷いた部屋に入る。
「お待たせいたしましたな」
しばらく待っていると、五十嵐イサオがやって来た。
つーか、悦子さんのおじい様と思うと緊張する。
「ええと……ロン毛が決まっていますね」
「いやあ、それもこれも領主さまのおかげですじゃ。本当に……(泣)」
?
「しかし、髪を伸ばすとフミエさんがすぐに角刈りにしようとしてきますからな。どうにか三日後の結婚式までは死守したいと思っておりますぞ!」
「おじいちゃん、その結婚式のことだけれど……」
悦子さんはスカートの上に綺麗に両手を重ねて言った。
「……結婚式は延期するべきだと考えています」
え!?
「む、何故じゃ?」
「これは内緒の話だけれど、エイガさまは魔王ナルシス戦後、ほとんどの記憶を失っている状態なんです」
「な、なんと……!?」
驚きに目を剥くご老人。
「う、うーむ。なるほど、ウワサは本当じゃったか。しかし……なればこそ、領民たちに不安を与えぬよう延期はしないという領主さまのお考えに従うべきではないかのう?」
「理由はそれだけではありません。実は……私とエイガさまの婚約は、フリだったんです」
なッ……!?
今度は俺が驚く番だった。
悦子さんは、俺との婚約が偽装だったことや、それは以前の悦子さんの結婚話を断る方便で、エイガ……つまり俺が協力して行ったことなどを説明した。
「そ、そうだったのか……」
「ワシ、それは知っておったぞ」
アンタは知ってたのかよ……!?
「おじいちゃん……どうして?」
「魔王戦の前かのう。領主さまに相談を受けておったのじゃよ」
となると、俺が記憶を失う前か。
「たしかに婚約はフリから始めたものじゃった。しかし、結婚式が迫ると気持ちが変わってきたらしい。ようするに……領主さまはこのまま本当に悦ちゃんと結婚したいと、そうおっしゃっていたのじゃ」
そこで、何故かガルシアが「む……」と目を細めた。
「エイガさまが、そんなことを思っていたなんて……」
悦子さんはかすかに口を抑える。
「うむ。領主さまは経緯が経緯だけに、悦ちゃんには言い出しずらかったようじゃな。つまり、あとは悦ちゃんの気持ち次第ということじゃ」
イサオさんは茶をひとつ啜ると、続けた。
「これは結婚式前日に聞くつもりじゃったのだが、悦ちゃん……悦子。お前はフリとは言え婚約者を領主さまに選んだのじゃ。それは実のところ、本当は本当に領主さまのお嫁さんになりたかったんじゃないのか?」
「ッ……!」
悦子さんは急に顔を真っ赤にして、タイトスカートの上の両手をぎゅっと握った。
一瞬だけ俺を見る。
そして、目を伏せて言った。
「は……はい、そうでした。私、本当はエイガさまのお嫁さんになりたかったんです」





