第42話 もう二度と、何も、奪わせはしない
ここに来るのも十年ぶり――いや、今日が初めてになるのだろうか。
ニースベルグの中心部に位置する王宮、その広大な敷地の東端にある離宮『バルバラ宮』の豪奢な内装を眺め、私は少々混乱した心境に陥っていた。
第五代国王の王妃であり、後には第六代国王の王太后として権勢を振るった、妖妃とも賢妃とも呼ばれる謎多き人物、バルバラ妃のための宮殿。
王宮の中枢部と同等に厳重な警備が可能な建物として、妃の死後は王家の絡んだ案件の会合や、外交使節との重要協議などに使用されている。
今回はこの宮殿の広間で、王族の婚約解消に関する話し合いが行われる――ということになっているが、実際には殆どの作業が終わっている。
若い官吏が硬い表情で差し出す書類を受け取り、ちょっとした冊子のような厚みがあるそれの内容を確認していく。
私が目を通しているのは、ガスパールとの婚約が解消に至った経緯と、この件に付随する各種取り決めが記された証書だ。
もう何度もチェックをしているものの、直前になって変更を加えるような姑息な真似をしてくる危険もなくはない。
なので用心のため改めて精読したが、どうやら問題ないようだ。
そう判断した私は、心配そうにコチラの様子を窺っている、父を含めた関係者たちを見回し静かに頷く。
そして、殴り書きされたガスパールの名の横に、自分のサインを殊更に流麗な字体で残した。
「エンラント大公家、メービウス侯爵家双方の合意、並びにグスタフ5世陛下の承認により、大公家嫡男ガスパール様と、侯爵家長女ベレンガリア様の婚約は本日、この時をもって解消と相成りました」
私がペンを置くと同時に、立会人として派遣された王の侍従の一人が、緊張の面持ちを浮かべながら告げる。
侍従の宣言が終わると、室内の空気が緩んで各所から大きな溜息が漏れた。
そこにあるのが安堵なのか諦念なのかは、人によって異なるのだろうが。
コイツの重たい溜息の主成分は恐らく「怨嗟」だろうな、と思いながら目の前で不機嫌さを丸出しにしている人物を見据える。
ガスパールの製造責任者で、現国王の弟にしてエンラント大公家の当主である、ブラウトリア王国の重鎮ヴィルヘルム・ブラウトリーン。
堂々たる体格と悠然とした態度を有する、いかにも大貴族といった雰囲気を醸し出している男だ。
ヴィルヘルムは立派な髭を撫でながら、よく通る低い声で語りかけてきた。
「このような結末になるとは、非常に残念だ……ベレンガリア」
「私が望んだ結末でもありませんが、なるべくしてなったのでしょう」
「しかし、だな……何とかして、回避する方法はなかったのか」
「それについては、問うべき相手をお間違えかと」
全てはお前の息子のせいだからアレに訊け、との意味を込めて冷淡な口調で返せば、ヴィルヘルムは不思議なものを見る目を向けてきた。
ここ数年は物静かで大人しい儚げな令嬢を演じ続けていたので、反論されることすら想定外だったのかもしれない。
にしてもこの男、周囲の人間を全て道具や手駒としか考えていない辺り、ガスパールとの碌でもない血縁を深く感じさせる。
あの馬鹿は婚約の当事者であるし、本来ならこの場にいて当然なのだが、複数の重大事件への関与を疑われ外出が許されない状況だ。
どのような裁定が下されるにせよ、二度と貴族社会の表舞台に戻ることはないだろうし、万一にも戻りそうになれば全力で阻止する。
息子がそんな有様だというのに、今更な恨み言を重ねるヴィルヘルムも、一体何を考えているのやら。
王族なのだから軽微な処分で終わるはず、と高を括っているのだろうか。
「色々と思うところはあるだろうが……十年もの間、家族も同然だったのだ。こうなってしまった今も、余はメービウス家との絆を断ち切る気にはなれん」
「勿体ないお言葉ですが……そうした濃やかな心遣いをして下さるなら、御子息の乱行を聞き及んだ時点でお願いしたかった、ですね」
お前らとの腐れた絆など御免蒙る、という拒絶を隠しもせずに言い放てば、またもヴィルヘルムは困惑気味に私を見てくる。
息子の愛人の存在を知りながら、些末なことでしかないと放置していたクセに、家族同然に思っていたとは笑えない冗談だ。
家族ですら手駒として扱う気なら、首尾一貫していると言えなくもないが。
話しているとガスパールと同様に蹴り飛ばしたくなってくるので、これで話は終わりだと示すために席を立つ。
「それでは大公殿下、長い間お世話になりました」
「暫し、暫し待ってくれぬか、ベレンガリア」
「申し訳ありませんが、名で呼ぶのもお控え下さい。未だ両家の婚約は継続中なのかと、周囲に誤った印象を与えかねません」
「おい、大公殿下に対して口が過ぎるぞ!」
父リヒャルトの言葉に、瞬間的に体温が急上昇する感覚があった。
何があったのかを十二分に知悉しながら、この期に及んで娘の私よりもヴィルヘルムを庇おうとするとは。
恩を売ること自体はそう悪くはないが、弱っている相手に売るならもっと狡猾に、そして貪欲に対価を求める工夫が必要だろうに。
呆れを通り越して笑えてくるのを噛み殺し、どうにか真面目な表情を作ってから父親を冷えた目で睨む。
「それでは、後のことは父上にお任せいたしますが、証書で交わした約束を覆すような愚かしい安請け合いはせぬよう、何卒お願いします。何にしても、私以外に証書の内容を変更できる者はおりませんが。それでは皆々様、御機嫌よう」
そう早口に言い切ると、父からの反論がない内に踵を返して広間を出る。
背を向ける寸前に視界に入ったヴィルヘルムは、何とも言えない味わい深い表情で固まっていた。
曲がりなりにも十年の交流があった息子の婚約者が、得体の知れない怪物になったような気分なのだろう。
私からすれば大公家は、ジークムント以外の全員が怪物に思えていたのだがな。
バルバラ宮を出ると、足早に馬車の待機所へと向かう。
我が家の紋章が入った二台の内、私が常用しているのは小型のカブリオレだ。
他家の従者と何か話していたミナは、私に気付くと素早く出発準備を始めた。
「お疲れ様でした、ベルさま」
「本当に疲れた……既に破綻した婚約を終わらせるために何十人もが集まって、やることは実質サインだけとは何の刑罰なのか」
「侯爵が戻るのを待たずとも宜しいので?」
「父上は傷心の娘を慰めるより、大公殿下に対して尻尾を振る方が大事らしい」
私の愚痴に苦笑で応じたミナは御者席に着き、音高く鞭を打って馬車を出す。
王宮の東通用門を出て、大通りを低速で進みながらミナが言う。
「しかし、これでガスパールという疫病神は切り捨てられますね」
「アレの婚約者だった事実は、巨大な負債として残りそうだがな」
「莫大な金銭なども得られたので、そうマイナスばかりでも……」
「失われた十年の対価として、その程度の見返りは安すぎる気がせんでもない。それに、大公家からの支払いにはガスパールの命の値段も含まれておる」
「やはり、ベルさまを襲撃した件は無かったことになりますか」
「ああ……告発したところで、審理されるに至らん。私が言うのも何だが、大貴族が法の外にあるのが許される現状は、極端に不健全だ」
多数の学生が目撃しているのに、どんな手品であのボンクラが罪に問われないよう辻褄を合わせるのか。
疑問に思って調べてみれば、あの日のガスパールの行動全ては「パーティに潜伏していた、王太子を狙う暗殺者を炙り出すための芝居」となったらしい。
茶番に駆り出された者たちは、どうやら闇に葬られる哀れな末路になりそうだ。
「……そんな馬鹿馬鹿しい主張が通るのですか」
「通せてしまうのが、権力というものの恐ろしさだ」
当然ながら不自然さが否めないので、ミナのように違和感を覚える人間は少なくないだろうが、それが王家からの公式発表となれば異議を唱えることもできない。
休暇が明けてもガスパールが現れない理由は、たぶん「暗殺は阻止したが王太子を危険に晒した責任を取って引き続き謹慎」みたいな話になるのだろう。
「遠からず、王族や貴族の特権は大幅に制限する必要があるな」
「実際に着手すれば、かなり大規模の反動や抵抗が予想されますが」
「それらを蹴散らすためにも、私個人の勢力を確立せねばならん」
そのためにまず、拠点となる場所を確保するのが先決だ。
目星をつけていた土地の権利は、今回の賠償で獲得できた。
ようやく人生を取り戻せたのだ――もう二度と、何も、奪わせはしない。
今回から新章の開始となります!
作者のテンションを大きく左右するので、「面白かった」「面白くなりそう」「面白くなれ!」という方は、評価やブックマークをよろしくお願いします!




