第41話 やがて毒花が芽吹いて狂い咲く(★)
※今回はダミアーニ・デッラ・ポルタ(憲兵士官。一周目では帝国保安庁――秘密警察の長官。名前のみ登場)視点、1章ラストから15日後になります
ニースベルグ西商業区、歴史のある――と表現すれば聞こえがいいが、平たく言えば古びた建物が並ぶ一角。
そこで目立たずひっそりと、会員制レストラン『ローフィスの碑』は営業されている。
大陸西方各国の郷土料理の源流である、ローフィス王国時代の家庭料理。
それを最高級の食材と現代風のアレンジで提供する店として、好事家からの高い評価を得ているのだが、この店にはもう一つの顔があった。
「ようこそ御越し下さいました、ダミアーニ・デッラ・ポルタ様……本日のお部屋は三番になります」
銀のトレイで差し出されるのは、金輪に繋がれた大小二つの鍵。
オーナーの意向によって、店では厳重なセキュリティが採用されていた。
客席のある部屋に続く扉には特別製の錠が設えられ、大きい鍵でしか開かないそれは定期的に交換される。
各室の前にある控えの間では給仕兼警備員が常駐しており、客が連れてきた護衛の待機も可能。
そして小さい方の鍵は、室内に作られた脱出路を開くためのもの。
「いらっしゃいませ……皆様、既にお待ちで御座います」
馴染みの給仕に帽子とサーベルを預け、渡された鍵で分厚い扉を開く。
扉の先には、室内の会話を漏らさぬ工夫か、十歩ほどの短い廊下がある。
そこを足早に進んで重たい金属製の扉を押し開ければ、この店のオーナーであり私の主でもある人物――ザッカリー・アイゼンシュミット伯爵と目が合う。
見るもの全てを見透かすような、それでいて何も見ていないような、硝子玉めいた彼の瞳には、いつまで経っても慣れることがない。
伯爵の背後に並んで侍る、覆面姿の従士二人組には多少慣れてきたが。
「珍しいじゃん、ダミちゃんが遅れるなんてさ」
「すまん。職場が未だに上も下も、ゴタゴタの真っ最中でな」
憲兵の制服から着替える手間もあり、指定の時間から三十分ほど遅れてしまった。
六人掛けの円卓に着いた私を軽口で出迎える顔と声がいい男は、私と同じくザッカリーの配下として行動しているイグナシオ・カスタネダ。
また別の任務を与えられたか、先日までの黒髪ではなく赤毛になっている。
伸ばしたままの不精髭まで赤く染めていて、中々に芸が細かい。
前回の会合では南方風な印象だったのに、今回はウィンデン系にしか思えないから、その変装術は見事と言えるだろう。
「ま、ゴタゴタの原因作ったのは俺らだし、文句も言えねぇか。こういうのも自業自得って扱いになるんですかね?」
「ダミアーニには苦労を掛けることになりましたが、今回の件で王都管区の憲兵司令官は交代が確実で、後任には我らと近しい志を抱いた人物が選ばれる可能性が高い……総合的に考えればプラスでしょう」
皮肉な口調のイグナシオに、伯爵はいつもと変わらぬ平坦さで応じる。
現役の憲兵を王族の暴挙に関与させれば、結果はどうあれ組織内の人事は大きく動く――ならばその動きを予測し、次に頭角を現す人物を取り込めばいい。
考え方はシンプルだが、実現するには周到で面倒な用意が必要となる。
王都勤務の憲兵士官である私からも、少なからず情報提供はしていた。
しかし、トップクラスの高官人事を操るには、より広範囲で大量の情報が必要だろうし、それを活用するための環境づくりも必須になる。
そんな問題をものともせず、軽々と望ましい結果へと辿り着かせるザッカリーの鮮やかな手際は、毎度タネのわからぬ奇術を見せられているようだ。
「盛大に祝杯を挙げるような成功でなくとも、十分な収穫はありました……なので、まずは貴殿らを労わせてください」
二人の従士が卓上にグラスを並べ、冷えた白ワインを注いで回る。
前王国時代から続く老舗ワイナリーが、十年前の当たり年に製造した一本だ。
華やかな香りが広がったところで、伯爵はグラスを掲げて立ち上がり、自分とイグナシオも少し遅れて続く。
従士が元の位置に戻ると同時に、伯爵が歌うように言葉を紡ぎ出す。
「僭王を戴く虚飾の国は、また一つ破滅へと歩を進めた……怠惰を貪る貴族共と迷妄から醒めぬ愚民共を、膺懲の雷霆が焼き尽くす日も遠くはないであろう」
イグナシオと私は、同時に頷いて主たる伯爵を眺めた。
情報部の要職にある王国貴族でありながら、笑顔で王と国への呪いの言葉を述べる、矛盾の塊のような存在。
彼がグラスを乾したのを見て、私たちもワインを口にする。
美味い――はずなのだろうが、何故か酸味ばかりが舌に残った。
祖国の滅亡を宿願とするこの怪人は、腐敗の種子を蒔き、破綻の契機を作り、不満の小火を煽る。
それらの工作で生じた亀裂からは、やがて毒花が芽吹いて狂い咲く。
ザッカリーの真の目的は未だ見えないが、彼の行動がブラウトリア王国の終焉を後押しするならば、私は粛々と指示をこなすだけだ。
空になったグラスを置き、伯爵が腰を下ろすのを待って席に着くと、従士に二杯目を要求しながらイグナシオが言う。
「しかし、こうも計画が狂うのは予想外というか何というか」
「ええ……万が一に備えて復旧策と回避策は何重にも用意してありましたが、最初の一手から『それ』が生じるとは流石に読めませんよ」
「ベレンガリア・メービウス侯爵令嬢、ですか……十年前から王族の婚約者であり、悪い意味で貴族らしい貴族との評判だったのですが」
だからこそ、無礼を働いた平民に苛烈な処罰を要求する、と予想した。
そして、ガスパールからどんな仕打ちを受けても耐える、とも想定したのだ。
どちらもザッカリーに仕組まれた状況なのだろうが、詳しい説明は受けていない。
ともあれ、あの侯爵令嬢と大公家のボンクラ嫡子は、我らに都合よく動いてくれる予定だったのに――
「いやぁ、突き抜けた暴れっぷりでしたなぁ。母親も大概じゃじゃ馬でしたが、娘の方が手に負えない」
「何年も不当な扱いに甘んじておきながら、突然に逆上して全てを捨て去る暴挙に出るなど……発生確率としてはゼロに等しく、まさに虚を衝かれました」
自嘲気味に語るザッカリーのグラスにも、二杯目のワインが注がれる。
あらゆる問題を解決する奇跡的存在と、上流階級で噂になった謎の人物。
ガスパールによる今回の騒乱で、決行までの準備の大半を担った『導師』。
その正体は、膨大な情報と広大な人脈を駆使できる、目の前にいる男。
奇跡を形にするためには、私が同僚の憲兵士官に思考誘導を仕掛けたり、イグナシオがダヴィッド・モレノとして大公家に潜入したりの工作があったのだが、複雑極まりない計画の全体像を描けるのは、ザッカリー・アイゼンシュミットただ一人。
「ですが、予定された学内の不安定化工作を前倒しに実施し、ガスパールからベレンガリア嬢への復讐計画と併せ、あの大混乱を生じさせたのは見事でした」
「それなぁ……イチから練り直すんじゃなくて、ベレンガリアの変化まで取り込んで筋道を作ってみせたんは、伯爵にしか出来ない神業ですって」
私とイグナシオの称賛にも、ザッカリーは苦笑するばかり。
グラスの中身を再び乾すと、テーブルに両肘をついて顔の前で指を組んだ。
「そこまでやったのに失敗した、その事実にこそ注意を払うべきです。最低限の目的は達したものの、事前に期待された結果には程遠い……甘く採点して三十点ですね」
「ガスパールと取り巻きが無能すぎたのもあるけど、最大の誤算はベレンガリアの立ち回りの見事さ、かねぇ」
「ああ……ノイマイア伯爵家出身のメイド、アレが優秀との報告はあったが、参謀的な能力には触れられていない。護衛役としてついた平民や、その仲間が小知恵が回るのやも知れません。コンラッド・ヴェンゼルにテオドール・ユンカー、でしたか」
「それと、ベレンガリアに染料をぶちまけた芸術科の娘も」
我らの言葉で、ザッカリーのガラス玉の目に微妙な揺れが現れる。
おや、と思って視線を向けるが、顔を伏せてしまい表情が窺えない。
違和感ある挙動は数秒で終わり、いつも通りの落ち着きを戻して言う。
「彼の令嬢が、自身と関係ない学内の問題に嘴を突っ込むようになると厄介ですね……関係者も含めて、監視と警戒を強化せねばならないようです」
「あの嬢ちゃん、貧民街の方でも何か始めてるみたいだし、できれば首輪をつけときたいかな」
「学園やメービウス侯爵家の周辺から、使えそうな人材をピックアップしますか」
ザッカリーは私とイグナシオを順に見て、ゆっくり首肯する。
そして、姿勢を変えて背もたれに身を預けながら告げた。
「あの学園には、まだ『役割』を果たしてもらわねばなりません……休暇の間に、より相応しい環境を整えるとしましょう。アルブレヒトの方への浸透はどうです?」
「そちらは順調です。どいつもこいつも鼻薬の効きが良すぎて、逆にコチラを探られているのでは、と疑いたくなるほどに」
「簡単に裏切るヤツは、取扱注意になるわなぁ」
「この地の未来のためにも、あの無能は無能のまま王にする必要があります。暗殺や廃嫡の動きには気を付けませんと」
この人にかかれば、王太子ですら駒の一つでしかないか……
何とも言えない重圧感に、深々と溜息を吐いてザッカリーを見据えた。
無言で微笑を返した主は、従者に料理を運ばせるよう指示を与える。
「話の続きは、食事の後にしましょうか。今回はシュシュロン地方のガチョウ料理に、料理長が新解釈を加えた一品がメイン、だそうですよ」
「そういえば、そこら辺に所領がある……あの男爵はどうします?」
マルガレーテ嬢の父、バーゼル男爵の話をイグナシオが持ち出す。
あの父娘も、もっと上手い身の振り方があったろうに、どうにも間抜けすぎる。
無能であるが故の不幸に軽く同情していると、ザッカリーが静かに言った。
「あの者にも、もう一働きしてもらいましょう。どうにも私は、使い捨てができない吝嗇な性格でしてね」




