第38話 今この瞬間に古い未来は終わり、新しい過去が始まる
凝った手首をコキコキと回しながら、ゆっくり距離を詰めていく。
緩い縛り方とはいえ、後ろ手で長時間拘束されるのはストレスが酷い。
さて、巡らせた陰謀が華々しく破綻したこの状況から、どう出るか――
高速で後退するガスパールを睨めば、狼狽えた声で怒鳴り散らしてきた。
「こっ、この乱心者を止めるのだっ! 殺しても構わんっ!」
「破れかぶれが過ぎるだろう、阿呆めが……」
どん底から更に失態を重ねてくるとは、本当に無能さに際限がない。
こんな虚ろな怪物を皇帝の座に就けてしまった責任を痛感するばかりだ。
悪夢めいた未来を閉ざすためにも、ここでコイツを破滅させておかねば。
決意を固めつつガスパールに仕掛けようとするが、動線を塞がれた。
護衛役の偽憲兵らが、鈍く光るサーベルを抜いて間に入ってくる。
「そこまでする義理が? この騒ぎが終わったら、お前らも終わるぞ」
「だったら終わらないよう、別の騒動で上書きするしかないだろ」
縦にも横にもデカい護衛が、投げ遣りさを滲ませて応じる。
失敗を悟りながら、逃げるのも侭ならず開き直っているようだ。
その隣に立つ細身の護衛は、私の死角に回り込もうと隙を窺う。
ステージ上には、あと二人の偽憲兵がいたはずだが――
「んがっ――ぁががががががぁっ!」
汚く濁った悲鳴に、金属ともう一つ何かが床に落ちる音が続く。
鮮血を撒きながら転がってきたのは、中身《右手》の入っている革手袋。
苛烈な対処だが、殺さずに戦闘力を奪う手段としては極めて正しい。
こういう場面で手加減するのは間抜けだけ、とラッドは理解しているようだ。
もう一人は、と思ったらドタバタと転げ回る音と共に、謎の絶叫が。
「――――っ! ――――っ!? ――――っ!」
何かを喚いているのだが、聞き取り不能の奇怪な叫び。
非常に気になるが、目の前にいる二人から視線を外すのも危険だ。
「あれ……ちょっとヤバいかも」
「大丈夫だ、死んだって姫さんが何とかするっ!」
ラッドが何気ない調子でもって、私に重めの責任を投げてくる。
どうもリカが繰り出した何らかの攻撃が、相手に大ダメージを与えた様子。
ラッドやテオとの付き合いが長いせいか、リカも地味に滅茶をするな。
創作をやる人間ならば、多少は破天荒な方がいいのだろうが――
「ふぬんっ!」
気合の叫びを噛み殺したような声を上げ、デカい護衛が突っ込んでくる。
横薙ぎに放たれる斬撃には、明確な殺意が含まれていた。
相手がそのつもりなら、こちらもそれなりの対応をせねばな。
斜め後ろに跳んで切先を躱し、もう一人の位置を確認。
そちらとの距離も保ちながら、腰に手を回しベルトに挟んだ鞘からナイフを抜く。
「そっ、それはっ!」
「お仲間の置き土産だ。威力の説明はいらんだろ」
テラテラと光る刃を見据え、護衛は額の脂汗を手の甲で拭う。
どれだけの猛毒を用意したのだ、と呆れながら周辺の状況を視認。
細身の護衛が、上着を脱いで左腕に巻きつけているのが見えた。
なるほど、盾の代わりか――機転に感心していると、急に大声でがなる。
「ビビんじゃねぇ! 当たらなきゃ無意味だっ!」
「大した自信だな……だが、お前は二秒後に這い蹲っている」
「はぁ!? 何ぃぶぇっ――」
湿った衝突音と同時に、反問は強制終了されて俯せに潰れた。
講堂上部のギャラリーから伸びている、掃除や整備のための細い通路。
そこを走ってきたジークムントが、ステージ脇の緞帳を掴んで滑り降り、垂直落下式ドロップキックを炸裂させた結果だ。
「ふはははっ! 宙を舞っての登場とは、無茶が過ぎるぞジギー!」
「ベル姉のためなら、空くらい飛ぶから」
照れもせず言ってのけるジギーには、既に後年の頼もしさの片鱗がある。
兄と違って優秀な人物だったが、この頃からもう普通ではなかったのか。
そんなことを考えながら最後に残った一人に向き直れば、各種感情の混濁した凄味のある表情に直面した。
「馬鹿な……馬鹿な馬鹿なっ! どうしてこうなるっ!?」
「最近雇われたのか前から仕えてるのか知らんが、主を間違えたな」
「くっ、ふっ――げぁあぁああああああああっ!」
私の言葉が終わらない内に、嗚咽にも似た叫びを散らしながらの刺突が。
追い詰められた末の渾身の一撃は、驚くほどに疾いが――
直線的に繰り出されるだけの攻撃など、回避するのはいとも容易い。
ヒョイと上体を反らして白刃を見送り、お返しとばかりにナイフを投擲。
慌てて避けてバランスを崩し、隙だらけになったデカ護衛。
その伸びきった右腕を掴むと、大きく踏み込みながら捻り上げる。
「おぁああっ? ――ぃごっ!」
相手の勢いも借りての足払いで、巨体がフワッと跳ね上がった。
そこで「ビチビチベキッ」と、何かが折れたり裂けたりの不吉な音が鳴る。
続いて「ドゴッ!」と派手に床を震わせ、後頭部から落下する護衛。
追い撃ちにジギーが首を踏みつけると、もうピクリとも動かなくなった。
ステージ下の学生たちは、目まぐるしい展開について来れてないようだ。
どうするべきか判断できず、ただ困惑のざわめきだけを広げている。
転がるナイフを拾って、唖然とするガスパールの前まで進んだ私は、今更な話だと思いつつも問う。
「なぁ、元婚約者殿……何がそんなに気に入らなかったのだ。お前が欲したものは、誰もが羨む『未来の大公』の地位を捨てる価値があったのか」
「何も、誰も、捨てるつもりなどないっ……俺は全てを手に入れるべきだし、全てが許されるべきだろうがっ! なのに、貴様は何故それがわからんっ!?」
「ワケがわからん……要するに、お前の我儘には全て従い、妄想は全て実現させろ、と? それができなかったのが、私の罪なのか」
本気で理解不能なので問いを重ねると、双眸を血走らせたガスパールが吼える。
「そういう所だ、ベレンガリアッ! 賢しらな態度で否定ばかりしやがって、何を言おうが反論だけっ! お前とは何一つとして、建設的な会話ができん!」
「会話の前提条件が破壊的すぎるから、仕方がなかろう」
「だから、なぁ……そういう冷笑をやめろと言っている! いつもそれだっ!」
「お前がいつも不機嫌だから、ただ黙って頷くだけの人形を演じてやったではないか……数年間の献身も気付かれないとは、流石に悲しくなるぞ」
ダンッ、と床を蹴りつけてガスパールが私を指差す。
「気付かんワケないだろっ! これ見よがしに従順なフリなど……俺を虚仮にしたいだけだろうが、アレはっ! 本心じゃ昔と同じく、俺を嘲笑ってるのが丸わかりだっ!」
「被害妄想がすぎて話にならん。結局、私はどうすればよかったのだ」
「ゥヒッ――それなら、簡単なことだ」
幾度となく見てきた醜悪な笑顔の、最低値を更新してくるガスパール。
猛烈に嫌な予感が――いざという時に備え、ナイフを投げられるよう構える。
危険な気配を察したのか、ラッドとジギーは私を庇える位置へと移動。
何をしてくるのかとガスパールを見れば、薄い板を重ねたような物体をどこからか取り出し、それを高く掲げた。
バチッ――ビキッ――
手の中で握り潰された瞬間、聞き慣れない大きな音が拡がった。
学生たちが発するざわめきが鎮まったのを見計らい、ガスパールが叫ぶ。
「ベレンガリアは毒刃を手にしている! 狙いは王太子だっ!」
こいつ、懲りずにまた私を冤罪に陥れるつもりか。
しかし、手下の偽憲兵が全滅している状態では、無駄な足掻きだろう。
苦笑を浮かべつつ講堂内を見渡せば、王太子の周囲は衛兵が固めている。
学生たちはやはり急展開についていけないようで、自分や仲間の安全を確保しようとステージから離れた少数を除けば、不安そうにコチラを眺めるばかり。
そんな中に、まったくの無表情で私を見ている視線が高い位置に――
「避けろ、ベルッ!」
ラッドの警告よりも早く、倒れるように床に伏してから横転。
飛来した矢が、私が半秒前までいた空間を通過し、ステージ後背の壁に刺さる。
金属の矢が発射された地点には、衛兵の格好をして誰かに背負われた男の姿が。
そいつは無表情を保持したまま、装填したクロスボウを構えている。
しまった――まずはこの場を逃げて、遮蔽物に隠れるべきだったか。
予想外な手際の良さに焦燥していると、「ゴイーン」と妙な音が鳴って相手の頭が揺れた。
「……は?」
私の心の声とシンクロするように、ジギーが間の抜けた声を漏らす。
鼻血を噴いた衛兵はクロスボウを取り落とし、続けて自分自身も落下した。
もしかして、とギャラリーを見上げれば、テオが右肩をグリグリ回している。
どうやら射手を発見したテオが、鐘のような何かを投げ当てたようだ。
近くにいた本物の衛兵が状況を把握し、射手と土台を捕らえに動く。
愕然とした様子のガスパールが頭を振ると、ジッと見詰めている私と目が合った。
「今のが奥の手か、ガスパール……笑えないお粗末さだな」
「やっ、やめとけっ! 俺に何かあったら、建物に火を放てと――」
「入口を固める連中に命じたか。しかし、そいつらも蹴散らされてるだろ」
講堂の入口方面から、戦闘が巻き起こっている騒々しい気配が。
チラチラ見える地味なメイド服は、おそらくヴィルヘルミナのものだろう。
ガスパールはとうとう、全ての手札を使い果たしたらしい。
この状況から助かる方法を考えているのか、忙しく視線を彷徨わせている。
往生際が悪すぎるな――素早くナイフを払い、ガスパールの額に浅い傷を刻む。
「ぶぅおっ! そそっ、そのナイフぅ!?」
「安心しろ、毒はない……ベタついてるのは、それっぽく見せる用の蜂蜜だ」
私の言葉に、ガスパールは大きく安堵の溜息を吐く。
「かすり傷で死ぬような猛毒を恋人に、マルガレーテに使ったのか」
「あいつは『全てを捧げる』と言っていた……ならば、問題あるまい!」
「相変わらず、お前の冗談は不愉快だな。次の婚約者とは――いや、次はないか」
もっと色々と語るべき用件はある気がするが、とにかくもう疲れた。
どうせ何を訊いたとて、このボンクラの言葉に中身はない。
「おいっ、次がないとはどういう意味だ!?」
「文字通りの意味だ。こんな暴挙を主催しておいて、お咎め無しで済むと思ってるのか、阿呆めが」
ウンザリしながら言えば、同意の声が続々と聞こえてくる。
「まぁ、良くて死ぬまで幽閉、悪くて数日中に変死かもな」
「あなたが何したか、ここにいる皆が知っちゃいましたし」
「僕がいるから、大公家の行く末は心配無用ですよ、兄上」
そんな言葉も届かないのか、ガスパールは虚ろな表情で天を仰いでいる。
破滅が確定した瞬間までボンヤリしているとは、な……
本当に情けない、心底つまらない、圧倒的に下らない男だ。
「思えば、恋人らしいことを何もしてないな……最後はキスで別れるか」
呆けたままのガスパールに告げて、固く握った右の拳に唇を寄せる。
そして積年の恨みと体重と加速を拳に乗せ、無駄に整った顔を撃ち抜いた。
棒立ちで右フックに直撃されたガスパールは、両足を浮かせた後にステージを転がり、二メートルほどの高さから落下。
その姿が視界から消えると、頭の芯から扉が開いたような感覚が湧き出た。
おそらく――今この瞬間に古い未来は終わり、新しい過去が始まる。
今回が1章の最終話となります。
この先も物語は続きますので、引き続きよろしくお願いします!
作者のモチベーションに直結するので、「面白かった」「まぁまぁ面白かった」「早く続きを」という方は、是非とも評価やブックマークやSNSでの拡散を!
幕間エピソードを数回を挟んだ後、2章が開始されます。




