第37話 どうやら、反撃の御膳立ては整ったらしい
「フハッ……ァハハハハハハハハハハハハハハッ!」
幼子のような小悪党のような、感情が剥き出しになった哄笑。
王族にあるまじき品のなさで嗤うガスパールの顔は、信じ難いまでに醜悪だ。
仮にも十年以上、婚約関係にあった相手に向けるものではない。
ここまでの憎悪や怨嗟を向けられる落ち度が、私にあったのか。
訊いてみたところで、まともな答えは期待できないだろうけど――
「ぁがっ」
ガスパールを睨んでいると、不意に頭部に衝撃を受けた。
視界に映るものが、自分の膝と板張りの床に強制的に変更される。
どうやら、頭を踏まれて強引に四つん這いにさせられたようだ。
「いいザマだなぁ、ベレンガリア……端女だろうが町娘だろうが貴族だろうが、やはり女には這い蹲って男に傅く姿が似合う……そう思わんか」
クソボケの空疎な御高説が、私にだけ聞こえる小声で語られる。
こんな妄言は誰の賛同も得られない、と理解できる程度の知能はあるらしい。
それにしても……どんな手品を使って私の断罪を完遂する気なのか。
この場で学生たちの支持を獲得し、王太子アルブレヒトに承認させたならば、投獄までは持ち込めるだろう。
しかし、そんな暴挙を父は看過せず、王や大貴族らも許しはしない――
「小賢しいお前のことだ……どうせこんな状況はすぐ終わる、とでも思ってるんだろ? だがなぁ、そんな腑抜けた幕引きにはならんぞ」
ガスパールの囁きに、背筋をゾワッと悪寒が走り抜けた。
濃厚な悪意を含んだ宣言に、無数にある可能性から一つが急浮上する。
こいつ、この場で私の処刑を強行しようとの腹積もりなのか。
まさかそこまでの暴挙はない、と思いたいし周囲も止めに入るだろう。
しかし、阿呆の思考は時に常識の外へ飛び跳ねるので、油断はできない。
「お集りの諸君! 何事が起きているのか、さぞ戸惑っていることだろう!」
朗々と語りかけながら、ガスパールは私の髪を掴んで顔を上げさせ、学生らの方へと晒す。
一人一人の表情はよく見えないが、伝わってくる気配は同情や心配よりも、嘲笑や嫌悪の方が圧勝している。
よくもまぁ、碌に知りもしない相手に苛烈な反感を抱けるものだ。
かつての自分も散々に利用したが、人の感情の操縦し易さには呆れる。
「此度の騒動は全て、この者……愚かにて哀れなるベレンガリア・メービウスの、驕慢と嫉妬に端を発している! まずは――」
「戯れは、そこまでにしてもらおう!」
演説を始めようとしたタイミングで、聞き覚えのある声の横槍が入る。
高位貴族が集まるテーブルから歩み出てきたのは、兄のルーカスだった。
「何が戯れか! 黙って最後まで聞けぃ!」
「聞くに堪えませんな! どのような非を鳴らすにしても、場所と方法は選んで頂きたい! ベレンガリアに如何なる疑惑があろうと、この処遇は不躾が過ぎる!」
「控えろ、ルーカス! 妹を庇うのなら、お前も裁かねばならぬ!」
「何様のつもりだ、ガスパール! 貴様は王でも大公でもないのだぞ!」
堂々と反駁するルーカスの態度に、ガスパールは顔に朱を上らせる。
私からの評価は高まったが、ガスパールからの評価は底に落ちたようだ。
「ルーカス・メービウスは乱心したか、でなければベレンガリアの共犯だ! 速やかに拘束せよ!」
ガスパールの言葉が終わらぬ内に、覆面姿の憲兵か偽憲兵が三名駆け出し、ルーカスを床に捻じ伏せて手錠をかける。
「なっ――血迷ったか、ガスッ!」
かつての呼び方でガスパールを詰るも、すぐに猿轡で口を塞がれ強制的に沈黙。
目の前で展開される暴力に、学生たちからは悲鳴や怒声が上がる。
ルーカスの友人らしい上級生――確か伯爵家の次男が、憲兵に抗議するが無言で殴り倒された。
貴族の子弟が平然と拘束され、更には打擲される異常事態に、講堂内は不穏さを増していく。
「邪魔が入ったが、改めて説明を続けよう! このベレンガリア・メービウスは、侯爵令嬢という出自と、エンラント大公家が嫡子である私、ガスパール・ブラウトリーンの婚約者である立場に驕り、近年あらゆる面での逸脱が目に余っていた!」
阿呆なのに随分と滑らかに喋っているが、どれだけ練習を重ねたのだろう。
不思議に思っていると、奴の視線は傍らの護衛の提げた紙に向けられていた。
この見せ場でカンニングとは、どこまでも落胆させてくれる男だ。
「未来の王族の義務である研鑽を放棄し、財貨を浪費しては享楽に耽り、挙句の果てには平民の男どもを侍らせ女王気取り! 私は幾度となく放埓を諫め、共に未来を歩んでいけるよう説得したのだが……ベレンガリアには届かなかった」
ガスパールの行動と私の行動が、完全に逆になって語られている。
それは冗談なのか? と問いたくて仕方ない私の気持ちを置き去りに、フザケた演説はまだまだ続く。
「悩んだ私は、ある人物に相談を持ち掛けた。聡明にして勇敢なマルガレーテ・バーゼル男爵令嬢だ……彼女は止まらないベレンガリアの暴戻を憂い、身分差をものともせずに常から苦言を呈していたのだ! そんなマルガレーテ嬢や、忠勇なる友クリスティアン・ネルディンクと協力し、婚約者との絆を修復せんと試みていたのだが……」
自然体で大法螺を吹きつつ、自分らを被害者の立場に置くガスパール。
あの尻軽女の下品な媚態や、クリスの傍若無人な言動は皆も覚えているだろうに、それでも強弁してくるか。
どんなデタラメな主張でも、大公家にはそれを真実に変える程度の権力がある、というのは間違いないが……
「ベレンガリアは差し出した手を払い、剰え理不尽な暴力沙汰に及んだ! そして侯爵家の力を借りて我らを咎人に仕立てると、学園を恐怖で支配すべく暴虐の限りを尽くし始めたのだ! 皆も見知っているであろう数々の怪事件は全て、この者が引き起こしていたのだと――ここに告発するっ!」
とうとう開幕した断罪劇に、講堂内は大きくどよめいた。
皆は不安げに顔を突き合わせ、各所で何事かを語り合っている。
少し考えれば、ガスパールの言い分が破綻しているのは理解できるはず。
しかし、理性や知性より感情が優先される場面というのはある――今がそうだ。
そろそろ反撃に転じるべきか、もう少し待ってボロを出すのを待つべきか。
決めかねていると、大きな手でポンポンと右肩を優しく二回叩かれた。
「許し難い罪を重ねたベレンガリアだが、それでも私は信じていた! いずれ正道に立ち返り、己の前非を悔いる日が来ると! しかし、その信頼は裏切られた……考え得る限り最悪の形でだっ! 諸君らも噂として耳にしているだろうが……自宅での謹慎を強いられていたマルガレーテ嬢が、何者かによって毒殺された」
重々しくガスパールが言えば、ステージを注視している皆が息を呑む。
噂や憶測として周知されていても、それが事実として語られたのを受け止められない、という雰囲気だ。
ステージからの光景を見て、満足気に頷いたガスパールが私に顔を向ける。
最前より醜さに磨きを掛けた、見苦しさの極みに達したような笑みだった。
元が貴公子然とした端整さなのに、よくもまぁ崩れ切ったものだ。
どこまで性根が腐り果てれば、こうも悍ましい表情を作れるのだろうか。
珍獣を観察するような気分で眺めていると、ガスパールが私の襟首を引っ張って強引に立ち上がらせた。
「諸君は既に、この蛮行の首謀者を察しているだろう! だが私は、敢えてその名を告げて罪を明らかすべきと考える……冷酷無比にして陰険卑劣な、唾棄すべき人物の名を! それは――ぁん?」
恍惚の表情で溜めに入ったところで、偽憲兵の一人が私の腕を取ってガスパールから身柄を引き離す。
自らが主演の断罪劇が最高潮を迎えようとする瞬間、突然の妨害を受けることとなったガスパールは、困惑して固まるばかり。
そして覆面を脱ぎ捨てたラッドは、私の肩をもう一度ポンと叩くと、空気を震わせる大音声を放つ。
「ガスパール・ブラウトリーン、お前だっ!」
ここに居合わせた殆どが思い浮かべたのは、おそらく私の名だろう。
なのに、それと異なる――しかも告発者だったガスパールの名が叫ばれ、講堂には衝撃が広がっているようだ。
見事なタイミングで放り込まれた一喝は、流れを変えるのに十分な破壊力を有していた。
そして今度は、聞き慣れぬ金属音が打ち鳴らされ、皆の視線は音の発生源である上方に誘導される。
「兄上ぇ! 衆目の中で自らの罪を告白するとは、潔さに感動でぇす! 僕も微力ながらお手伝いしたくて、我が家の納屋に監禁されてたエミール・グリッツバッハ殿をお連れしましたぁ!」
イベント時に貴賓席が置かれたりする、講堂上部のギャラリーからとんでもない報告をしてくるのは、ガスパールの実弟であるジークムント。
一緒にいるのはエミールらしき少年と、彼に肩を貸しているジギーの護衛、そして円形の鐘のようなものを掲げたテオだ。
どうやら、反撃の御膳立ては整ったらしい。
軽く力を込めて両手を縛った縄を解き、噛んでいた猿轡を投げ捨る。
乱れた髪を手櫛で整え、体のアチコチを叩いて埃を払う。
そして、顔中を引き攣らせて後退る男に、和やかに告げた。
「さて……笑えない道化芝居を終わらせようか、ガスパール」




