第35話 今日ですべてが終わる……といいが
「結局、何もないまま当日になったな」
「不穏な気配ばかり、際限なく膨らんでいますが」
「これが嵐の前の静けさなら、どれだけの暴風雨となるやら」
「ベルさまの不吉な予言、妙に当たるんですよねぇ……」
予言ではなく、単に未来を知っているだけの場合もあるがな。
そんな自嘲は口に出さず、ミナの言葉を曖昧な表情で流す。
ラッドたちとの作戦会議を行ってから、五日が経過した昼前。
学園の前期課程は昨日で終了し、今日はこれから長期休暇の前夜祭も兼ねた、王太子アルブレヒトの誕生パーティが開催予定だ。
「マルガレーテ嬢の件があってから、闇討ちも発生してないようですね」
「私からの警告はアレの毒殺で総仕上げ、という形にしたいのだろう」
「彼女の生死は確定情報がありませんが……迂闊にベルさまに敵対すれば漏れなく報復がある、と恐怖の対象にはなっているようで」
「ふははっ、この私は随分と苛烈な性格らしい」
私を諸悪の根源とする工作は、想像以上の手際の良さで成功している。
この日に合わせてあの馬鹿は新たに仕掛けてくる、とテオドールが予想していたが、現状ではそんな様子はない。
もしかすると、こちらの警戒を逃れての謀略が進行中なのかもしれないが。
ともあれ、反撃に転じるには敵サイドの動きが表面化するのを待たねば。
「大公家からファンカンペン商会を経由して密書が届いた時は、何かしらの交渉を持ち掛けてくるかと思ったのだが」
「中身はジークムント様からの警告でしたね」
「役立たずの元護衛らが怪しげな連中と接触し、謹慎中のガスパールは執事のダヴィッド・モレノとやらを重用し外部との連絡を行っている、だったな」
「アレの身内……というか実弟からの情報ですが、信じられますか」
「ジギーの裏切りは、お前の裏切りと同じくらいあり得んよ、ミナ」
断言すると、ミナは一瞬だけ瞠目して軽く頭を下げる。
そもそもが偽文書の可能性を排すれば、ジギーが裏切ることはまずない。
そして、父や兄にも学園での異常事態は伝えてあるので、関係が良好でないとはいえ改竄するような真似はしないだろう。
なので、この手紙は信じていいはずだが、少々具体性に乏しい。
元護衛たちの行動と不審な執事の存在は、テオドールに伝えて背後関係を探るように頼んでいるが――ん?
「ベルさま」
「ああ……始まったかな」
騒々しい複数の足音と、男女が言い争う声が聞こえた。
女の短い悲鳴の後で、ドアが外から解錠される音が鳴る。
しかし、内側から閂が掛けてあるのでドアは開かない。
開けてやれと合図するが、ミナが向かう途中で派手に蹴破られる。
こちらを委縮させ、動揺させるための乱暴さだろうが、誰に対してやらかしたか理解しているのか。
「ベレンガリア・メービウス侯爵令嬢、ですな」
「そうと知っての狼藉ならば、半日後にはお前のクビが飛ぶぞ」
物理的にも立場的にも、と続けようとするが、闖入者は不遜な態度を崩さず笑う。
憲兵隊の上級指揮官の制服を着た、威圧感に満ちた三十前後の男。
左腕の腕章には、犯罪捜査部門に属しているのを示す紋様が見える。
この男の背後から一般憲兵らしいのが三人、部屋にズカズカ侵入してきた。
私を守る位置取りのミナを脇に退け、指揮官と正面から対峙して訊く。
「憲兵団本部に抗議の連絡を入れる。まずは名乗るがよい、無礼者」
「いけませんなぁ……そういう態度は、貴女を窮地に追い込みますぞ。とりあえずは、用件を聞いてはどうですかな」
「ハッ、どうせ捏造された罪状が用意されてるのであろう。それで侯爵家の人間を拘引するなど、命令に従っただけと雖も身の破滅だぞ」
「破滅するのはどちらでしょうねぇ……貴女には、マルガレーテ・バーゼル男爵令嬢の暗殺を命じた、との容疑が――」
「見縊るなよ、おい……仮に私が命じたとして、男爵家の小娘ごときを始末するのに関与の証拠を残すと思うか、愚物めが」
しゃらくさい発言を遮り、せせら笑いながら否認する。
すると指揮官は、わかりやすく満面に朱を注いで怒鳴り散らす。
「黙れぃ! 獄舎の中まで、侯爵家の威光が届くと思うなよっ!」
「地金が出るのが早すぎるぞ。大体だな、私を連行して詮議にかけようというなら、令状を見せんか」
半笑いのままで不備を指摘すれば、落ち着きを多少取り戻したらしい指揮官は、醜悪な笑みを浮かべて言う。
「おっと、残念ながら令状は御座いません……小官をこの場に送り込んだ方は、この件を表沙汰にする気がないようで」
「なるほど、全てを秘密裏に片付けて、何もなかったことにするつもりか。ならば、私はどこぞに監禁され来年あたりに病死するのだな」
「清廉潔白であれば、そのような心配は無用でありましょう。とにかく、御同行を願います……そこのメイドも、事情聴取があるので来るように」
元より本物とは思っていなかったが、これで完全に偽憲兵と判明した。
常日頃から貴族を相手にする立場なら、ミナがノイマイア伯爵家の娘ヴィルヘルミナと知らないのは不自然だ。
なのに、平民のメイド同様の粗略な扱いをしてくるのは、こいつらが偽物であるとの揺るがぬ証拠――の一つ。
違和感に気付いて私を見たミナに、密かにハンドサインで指示を送る。
ミナが頷いたのを確認した後、多数の略章で飾られた指揮官の左胸を指して訊く。
「しかし、大した数の受勲だな。全て自分の物か」
「貴族が相手でも忖度せぬ、小官の精勤の賜物ですな」
「そいつは御立派だ……しかし、お前は何歳なのだ?」
指揮官は「何を言ってるのだ」という態度でコチラを見てくる。
私は呆れの溜息を吐くと、右手で傍らの椅子の背を掴みながら告げた。
「その中にある赤と黒の略章はな、『第三次ヴィーネン来寇』の迎撃戦に参加した将兵に授与された従軍章だぞ」
王国から東北の地を支配する遊牧民連合ヴィーネンによる、三度目の大規模侵攻があったのは三十二年前のこと。
偽装の甘さを指摘された指揮官は、数瞬の間を置いて腰のサーベルに手を伸ばす。
それを見逃すはずもなく、掴んだ椅子を持ち上げると同時に、フルスイングで横殴った。
「んげべっ――」
指揮官からではなく、その左斜め後ろから妙な声が。
見れば、中身が七割ほど入った銅の水差しが、憲兵の顔面に命中している。
それを投げたミナは、既に次の標的に向かっての突進へと移行。
こちらの一撃は、椅子を大破させたが標的は小破といった戦果だ。
頭部に有効打を与えられず、肩を強打しただけに終わったらしい。
「このっ、糞アマがぁ――」
「だから、地金が出すぎだというに」
軽くよろけたが、すぐに体勢を立て直し抜剣してくる指揮官。
身のこなしからして、性格はさて措いてもそれなりに有能な人物なのだろう。
だが仕える相手を誤っている時点で、宝の持ち腐れは確定だ。
サーベルを突き出す速度も見事――だが、こちらを殺める気がないとわかっていれば、どうにも対処できる。
外すつもりの刃先が来る位置に、手の中に残った椅子の脚をぶつけていく。
「ふぬっ!?」
十センチ弱を裂き割られながら、簡易な彫刻を施された木材は、サーベルを食い止める。
握った椅子の脚をグリッと捻れば、予想外の展開に動揺していた指揮官は、あっさりと得物を手放す。
サーベル+椅子脚は即座に床に投げ、三歩分ほどの距離を一気に詰めた。
「何をしとるんだっ!」
あまりに腑抜けた反応を見せられ、つい部下を叱責する気分で怒鳴ってしまう。
「うぉびっ」
ビンタで頬を張るのではなく、掌打で的確に鼻を砕いていたので、感情とは別に体は動いてくれたようだが。
膝から崩れかけた指揮官の胸倉を掴むと、ありもしない勲功がいくつも弾け飛ぶ。
小細工するにも詰めが甘い――まぁ、普通は見抜く知識もないだろうが。
多少の同情はしながらも、それはそれということで顎に肘打ちを二発入れ、完全に意識を消失させる。
「んげぁごっ、おっほ、おっふ」
残りの偽憲兵も処理しようと周囲を見れば、水差しの直撃を受けて引っくり返っている奴と、股間を押さえて突っ伏している奴の姿を確認。
二人を瞬殺したミナは、三人目の背後に回って鞘ごと奪ったサーベルで気管を潰し、窒息寸前に追い込んでいた。
「ふぅ……ぅん」
容赦なく締め上げられた憲兵は、手足を短期間バタつかせた後で、納得したような声と表情で全身の力を抜いた。
ミナが手を離せば勢いよく両膝を突いて、次の瞬間には床を相手に情熱的な口づけを交わす。
急所攻撃を食らったらしいのは、「はおっ」とか「まうっ」とか呻いてモゾモゾしていたので、頭を蹴り飛ばして鎮静化。
そしてミナと顔を見合わせ、二人揃って部屋の惨状へと視線を移す。
「これで終わり……か?」
「たぶん、始まりではないかと」
「まぁ、そうだろうな。問題は、どこまでの規模を用意してるか、だが」
「倍程度の人数であれば、対処できるでしょうが……」
ミナが不安げに眉根を寄せるが、私としても同感だ。
ひたすらに数で押されたり、学生たちを巻き込んでの圧殺を仕組まれたら、何が起こるかわからない。
「ふむ……まずはラッドたちと合流すべきか。よもや、学園全体が私の敵に回っていることもあるまい。ミナは、こいつらを拘束した後で衛兵を呼んで、父上にも変事の発生を報せてくれ」
「了解しました。ベルさま、安全が確保できないので単独行動はお控えを。予定ならば、そろそろコンラッド殿が来るはず――」
「おいおい、今日は何かあるってテオが言ってたが、もう始まってんのか?」
ミナの言葉が終わらない内に、蹴破られて開けっ放しの部屋の外から、ラッドの声が聞こえてきた。
さて、今日ですべてが終わる……といいが。




