第31話 問題は彼奴がどこまでやる気なのか、だが
「やはり、この状況はおかしいよな?」
「おかしい、と言わざるを得ませんね」
私からの疑問に、ミナが珍しく素直な同意を返してくる。
朝食として用意された、ハムとチーズを挟み込んだクレープを齧りつつ、変化の著しい己を取り巻く空気を再確認していく。
諸事情から庇護下に置くと決めたアンジーが、実は夭折の天才芸術家ルイン・セルダの正体だと知ってから一週間。
ペトラが私に絡んでくることもなくなったし、学生たちの陰口や悪口が直接的に聞こえてくることもなくなった。
それまで飛び交っていた流言蜚語の数々も、新たに増えている様子がない。
アンジーへの直接的なイヤガラセも、今では鳴りを潜めているようだ。
なので、これで大団円となって欲しいところだが――
「皆が飽きて、沈静化したと考えるのは早計か」
「嵐の前の静けさ、と判断するのがのが妥当かと」
「つまり夜明け前が一番暗い、という話だな?」
「脈絡が行方不明になってますよ、ベルさま」
ミナに往なされ、楽観できない現実へと引き戻される。
停学から復帰して以来、延々と続いてきた白眼視に変化が生じていた。
周囲からの視線が好意的と言えないのは相変わらずだが、これまでの警戒・敬遠・忌避に加えて、恐怖・不安・怯臆が増えているのが謎だ。
誰かの首を刎ねるのは勿論、衆人環視の中での罵倒や殴打もしていない。
だというのに、こんな速度でマイナス評価が膨らむものだろうか。
「これも、ペトラやガスパールによる仕掛けの一環か」
「ではないかと。ですがペトロネラ嬢は……自覚しているかはさて措き、協力者や共犯者のような立場でしょうね」
「ふむ。私に関する噂をバラ撒くための、拡声器として利用されたか」
「恐らく。ただ、主犯はガスパール様で間違いないとして、指揮を執っている人間は別にいるのでは、という印象を受けます」
「ああ……アレの計画ならば、もっと大雑把な展開になるだろう」
ガスパールが裏にいるのは前々から察していたが、アイツならばボロを出しそうな段になっても、まだ「何かある」と感じさせる空気が居残り続けている。
現時点での大公家に、謀臣として立ち回れそうな人材はいるだろうか。
学園を卒業した後のガスパールには、戦闘系のクリスらとは別に智謀系の取り巻きもいて、そいつらが国政や軍部の中枢に食い込んで幅を利かせていた。
すぐ思い出せる大物は、親衛軍参謀長のイグナシオ・カスタネダに、秘密警察――もとい、帝国保安庁の長官ダミアーニ・デッラ・ポルタ。
どちらも有能と言ってもいい人材だったが、私を含めた上層部からの命令に対する不服従が目立ち、忠誠がどこに向いているのかわからない得体の知れなさがあった。
こちらから探ってみたこともあるが、表に出ているプロフィールより深い情報に辿り着けない。
組織も含めて謎のままだった総合情報局の局長、ザッカリー・アイゼンシュミットとの繋がりがあるのは把握できたが、そこから先は闇の中だった。
「悩んでいても解決しません、と言いたいところですが……これでは動くにしても、どう動けばいいのかわかりませんね」
考え込んでしまった私に、ミナは慰めるように言う。
「うむ……何事かが起きるのを待ち、そこで相手の尻尾を掴むしかない」
「もし既に起きているとしても、それを知る術がないのは厳しいですね」
「一般的な学生ならば、友人知人から情報や警告を得られるのだろうか……」
「どうですかね。善意で告げられた情報にも、欺瞞や誤謬は混ざりますから」
「意図的に混ぜられると厄介だな。伝えた者が偽情報と知らなければ尚更」
私が諦め半分に言えば、ミナは嘘臭い笑顔で返してくる。
「不幸中の幸いは、相手の狙いがベルさまなので、対策が立てやすい点ですね」
「主人の命の危機を利点にカウントするんじゃない」
「それと、学園内では物理攻撃の心配が少ない、というのもあります」
「部外者も出入りしづらいだろうしな。それに、大抵の攻撃ならどうにかなる」
自室なら基本ミナがいるし、それ以外ならラッドがいる。
私だけでも、二人や三人が相手ならまず負ける心配はない。
とはいえ、ここまで何度もイレギュラーな出来事に遭遇してきた。
そして、ガスパールの行動を封じねばそれはいつまでも続くだろう。
問題は彼奴がどこまでやる気なのか、だが――
「まぁ、最悪を想定して備えるしかない」
私の言葉に、ミナは困ったような顔で頷いた。
ひたすらに防戦が続くのは、わかっていてもキツいものだ。
冷めかけたクレープの残りを片付け、着替えと身支度を済ませて部屋を出る。
寮の前では、いつものようにラッドが待機していた。
「おう……顔色が良くないな、姫さん」
「顔が良いから相殺されておる。そっちこそ、眉間に皺が寄ったままだぞ」
「どうにも気が休まらんし、考え事も多すぎてな」
「あれから、アンジーの周辺で何ぞ異変は起きてないか」
「これといって。テオも警戒してるし大丈夫だろ……たぶん」
断言できない歯切れの悪さに、本心が透けている感がある。
教室に向かって歩く最中も、どうにも言葉数が減っているような。
「心配ならば、アンジーの護衛に回ってもいいのだぞ」
「いいことあるか。俺は姫さんの護衛だが、実質的には監視役だからな」
「とはいえ、愛する者に迫る危険を放置して、他の女の傍にいるのは――」
「待て待て待て。ちょっと認識がな、その……だいぶアレだ」
人の言葉を豪快に遮った後で、曖昧な弁明を紡いでくるラッド。
真意がわからず小首を傾げていると、右手を扇ぐように振りながら言う。
「俺とリカは、そういうのじゃない。ついでに言うと、テオも違う」
「だが、あの娘との親しさは、ただの幼友達のそれではなかろう」
「それはまぁ、昔から色々とあったからな……けど、特別な感情が存在するとしても、リカへの想いは恋愛じゃないと思う」
「となれば、家族のようなものか」
「たぶん、それで正解だ。俺にとってのリカは、頼りない姉とか放っとけない妹みたいな感じで。でも、あまり世話を焼こうとすると嫌がられるんだわ」
どうにもややこしいが、家族の距離感とはそんなものかもしれない。
自分が家族との縁が薄かったせいで、もう一つ理解しかねているが。
それに本当に緊急事態となったら、ラッドは勝手に動くようにも思える。
共にいる時間が長くなったので、私にもこの男の性格はだいぶ見えてきた。
「テオドールがいれば、アンジーに何があろうと切り抜けそうだ」
「だろうな……しかし姫さん、まだ知り合って間もないってのに、随分とテオへの評価が高いな」
「あぁ、幼少期から様々な人間と会ってきて、人物鑑定の感覚が磨かれたのだろう。十分も話せば、相手の底は大体わかる」
「へぇ、その鑑定だとテオはどんなモンだ」
「まだ底が見えん。隠しているか異様に深いか、どちらにせよ只者ではない」
私の言葉に、ラッドは何故だか得意げに微笑む。
テオドールの鬼才ぶりは、経験として嫌というほど思い知らされている。
それはそれとして、実際に身近な付き合いをしていると、彼奴の特異性に高頻度で遭遇することに。
ラッドの能力はまだ発揮する場が限られているが、テオドールは普段から能力の片鱗を見せびらかしてきた。
判断の速さ、察しの良さ、会話の滑らかさ――一つ一つは些細なもの。
だが、それが常態となっているのは、地味に驚異的と言うしかない。
加えて他者への行動の指示、思考の誘導、感情の操作などを自然に行う。
意識してやっていても見事だが、無意識にやっているなら異能の域だ。
そんな男が注意を払っているのだから、アンジーはまず安全と考えるべきか。
教室の前まで着いたところで、ラッドの背中を叩いて小声で告げる。
「私もアンジーが気懸かりだ。ちょっと様子を見て来い」
「いや姫さん、それはマズいだろ」
「杓子定規にしか考えられんと、いずれ大切なものを取り零すぞ」
「ぬぅ……じゃあスマンが、ちょっと行ってくる」
少し迷う様子を見せたが、ラッドは小走りでアンジーの教室へと急ぐ。
私に何も起きてないならば、アチラで何か起きている可能性があるしな。
それにしても、ひたすら待ち続けるのは性に合わん。
疲労を感じつつBクラスの教室に入ると、誰かが早足で向かってくる気配が。
見れば、普段とは似ても似つかぬ形相と化したイザークだ。
どうやら何かが起きてくれたようだが、とにかく嫌な予感しかしない――




