第30話 俺をどこまで惨めにする気だ、あの女!(★)
※今回はガスパール(ベルの婚約者だった王族で、一周目では皇帝) 視点になります
俺は悪くない――
誰が失敗したのか――
どうしてこうなった――
何度も繰り返した問いが、いくら飲んでも酔えない頭に木霊する。
あれから十日以上が経っているのに、俺の扱いには変化がない。
これからどうなるのか、正式な沙汰がないままの宙吊り。
基本的には王都にある大公家の館で自室に押し込められ、外出するのは主に誰かに頭を下げるため。
それにしても、どういうことなんだ――
どうしてこの俺が、エンラント大公家の嫡子にして王位継承権第四位である、このガスパール・ブラウトリーンが、謝罪と釈明をして回る屈辱を受けねばならん!?
あまりの理不尽さに気が狂いそうだ――何度も何度も、従者の如く頭を下げて詫びの言葉を述べるよう命じる、父上も何を考えているのか。
尊き血筋の者が軽んじられる状況を自ら作るなど、裏に何らかの計算がるにせよ避けるべきだろうに。
まるで、今まで俺の見ていた世の全てが偽りであるかのように、何もかもが壊れておかしくなっている。
どこで壊れたかを考えると、あの日『百華苑』に呼び出したベレンガリアが、指定より大幅に遅刻してやってきた時から、だろう。
これまで逆らうことのなかった人形が、突然に俺の行動を拒絶し、発言を嘲笑し、命令を無視した挙句、乱心としか思えぬ暴力沙汰に及ぶとは。
「被害者は俺だろ……それが、何故こうなるんだ……っ!」
卑劣な不意打ちで昏倒し、次に気付いた時には医務室のベッドだ。
様子を見に来た学長から事情を訊かれたので、あいつを主役にした余興の計画と、それからの滅茶苦茶な出来事について説明してやった。
夜には父上から詳しい話を求められたので、最近のベレンガリアが婚約者としての義務を放棄している事実と、立場を弁えさせるための教育を試みていることを、実例を挙げながら報告していたのだが――
「まさか、父上までが手を上げるなんて……」
あいつを雑に扱ったのも、メグの存在を明かしたのも、全ては立場を理解させるため。
父上も母上も、あいつには王族に嫁ぐ心構えが備わっていないと、日頃から文句ばかりだったではないか。
だから俺が率先して、王家を最上位に置いた滅私奉公の姿勢を学ばせようとしていたのに、どうして殴られねばならん!
既に痛みは消えているが、初めて親に殴られた衝撃は未だ消えそうもない。
翌日になって、父上から学園への出席停止を命じられた。
現在の俺は表向き、王族として賓客の饗応を担当しているらしい。
そんなメイドのような下らん仕事もしたくないが、様々な相手に謝らされるばかりの毎日も相当に業腹だ。
行く先々で皆が見せてくる態度は、怒るか呆れるか憐れむか。
そんな連中から苦言を呈されたり、説教で詰られたりするのは不快でしかない。
反省しろ、と言われても改善すべき点などありはしない。
強いて挙げるならば、ベレンガリアが妙な反抗心を抱かないよう、もっと早い段階から徹底的に理解らせるべきだった。
謝罪しろ、と言われても筋違いな要求だとしか思えない。
許しを請うべきは、俺に逆らった挙句に暴力を振るったあいつで、被害者である俺にそれを求めるのは奇々怪々すぎる。
「ふざけやがって……どいつもこいつも、俺を誰だと思っている……」
騒ぎを起こした咎で、国王のグスタフ5世に頭を下げるのは、まぁ仕方ない。
だが、あのアバズレの父親であるリヒャルト、あいつに繰り返し謝罪させられたのは、腸が煮える思いしかない!
そもそも全ての原因は、あの男がベレンガリアの躾に失敗したせいだろう。
俺はその尻拭いをした挙句、子供じみた癇癪に巻き込まれたようなものではないか。
それだけでなく、婚約破棄の撤回のため高額の慰謝料を要求されたと聞く。
破棄の撤回をさせたいなら、金を払うべきは大公家でなく侯爵家だろうに。
そんな不当な要求を飲むなんて、父上もどこまで譲歩する気なのか!
しかもその金は、俺の個人資産を取り崩して用意しろと命じられている。
長年共にいた心の友も、新たに出逢った真の恋人も奪われ、更には僅かな財産まで毟り取ろうとは、俺をどこまで惨めにする気だ、あの女!
「クソッ、クソッ! 何でこんな……ふざけるなぁっ! がぁああああああああああああああああああああああああっ!」
ワインのボトルとグラスを壁に放り投げ、テーブル上を蹴散らす。
激発した感情が鎮まり、再びソファに腰を下ろしてからしばらく経つと、部屋の外で控えているメイドたちが片付けに現れる。
一暴れして得た爽快感は、表情を消しながら作業するメイドの姿がベレンガリアと重なったせいで、瞬く間に不快感で上書きされた。
「おい……もっと強い酒だ」
「しかし、若様にあまり飲ませぬようにと――」
「二度も言わせるな」
「申し訳ありません、すぐに御用意いたします」
語気を強めて念を押せば、責任者らしい年嵩のメイドは頭を下げた。
そうだ、こういう連中がやることなんだ、頭を下げたり謝罪したりは。
しかし、話し相手がつまらん連中ばかりで気が滅入るな。
父上からも母上からも腫物のように扱われるし、弟の態度には俺を軽んじる気配が透けている。
「そういえば、ジークムントのあの言葉……あれはどういう意味だ」
ベレンガリアとの茶会にいつも顔を出してくる、何とも邪魔くさい弟。
ここ最近は妙に賢しらぶって、父上に文武の才をひけらかそうとしている、あの小生意気なガキ。
いつもは滅多に会話も交わさぬジークムントが、わざわざ俺の部屋を訪れて告げた「あとは僕が引き受けるから」の一言。
普通に考えれば、自分が大公家を継ごうとの宣告だ。
父上から俺への評価が、多少落ちているのは否めない。
しかしながら、嫡子の交代まで考えてはいないだろう。
何より、切り捨てるつもりなら謝罪行脚などさせる前に、何かしらの理由をつけての幽閉か追放で終わるはず。
だからジークムントがいくら望んでも、家督は俺が継ぐことになる。
「そうだ、何の心配もない。俺はただ、不運に躓いただけ。ベレンガリアという元凶を排除すれば、何もかも元通り……簡単な引き算だ」
自分に言い聞かせるが、どうにも心の底で納得してできてない。
最悪に向かう不安と、裏切られる恐怖と、失敗する予感が居座る。
安泰で盤石だったはずの未来が揺らぎ、焦燥感が膨らむ。
いつからこんな、女のようにメソメソ悩む、惰弱な性格になったのか。
このガスパール・ブラウトリーンは、人の顔色を窺って生きる軽輩めいた存在ではないだろう!
そうだ、俺はブラウトリーンを名乗ることを許された王族なのだ。
いざとなれば至尊の地位にも手が届く、貴種の中の貴種。
なのに何故、破棄した婚約を結び直そうと頭を下げて回っているのか。
やっぱりおかしい――何かしらの陰謀が介在せねば、俺がこんな状況に追い込まれるはずがない。
あの日の出来事も、全てはメービウス侯爵家に仕組まれた罠だったのでは?
「だとすれば……丸ごと処分するしかない、よなぁ……」
王族を陥れての栄達を目指す侯爵も、その道具として従順なフリで毒刃を研いでいた娘も、その眷属らも全て滅ぼさねばならんだろう。
いずれまた、あの親子はどんな陰謀を企み、実行するか知れたものではない。
早めに対処するべきなのに、俺のために動いてくれる優秀で忠実な護衛たちは、全員が解雇されてしまった。
現状で唯一、どうにかなりそうなのは――
「ガスパール様、御所望の品をお持ちしました」
ノックの後で、最近本領から転属してきたという執事ダヴィッドの声が。
「ああ……入れ」
入室を許可すると、琥珀色の液体が入ったデキャンタとグラスをトレイに乗せた、二十代半ばくらいの男が現れる。
綺麗に撫でつけられた豊かな黒髪、手入れの行き届いた髭、役者としても成功しそうな端整な顔と深みのある声。
何度か会っているが、この容姿ならば王都の館で勤務する執事に抜擢されるのも道理だ。
酒とグラス、それとチーズの乗った皿を並べた執事は、続いて封蝋の施された手紙をテーブルに滑らせる。
「これは……」
「印璽を御覧ください」
言われて確認すれば、『導師』のものと知られた意匠が。
無理だろうと思いながら、従者と元護衛を経由しての連絡を試みた相手。
実在するかも半信半疑だったのに、予期せぬ素早さで返答が戻ってきた。
莫大な報酬と引き換えに、どんな問題だろうと解決してくれると言われ、いつからか上流階級の噂話に囁かれている存在――それがこの導師だ。
緊張で指先を震わせながら封を解き、手紙の文面に目を通していると、自然と頬が緩んでくる。
一筋の光明を得たどころではない――燦々と輝く陽光を手にしたようなもの。
「ククッ、クッ……ヌハハハハッ、ゥハハハハハハハハッ!」
込み上げてくる笑いを吐き出しながら、ベレンガリアの人形めいた澄まし面を思い浮かべる。
それが苦痛に歪むのを堪能した後、存分に踏み躙れる日は遠くない――




