第29話 視線を動かした瞬間、不意に呼吸が止まる
「どうしたの。もしかして、体調悪い?」
「いや……悪いのはたぶん、間とか運だな」
真意を探ろうとしてか、眼鏡の奥から凝視してくるテオドール。
含みを持たせての発言ではなく、単に本音が転び出ただけなのだが。
しかし、そんな心情を初対面の相手に説明するのも不自然だろう。
なので「気にするな」と小さく手を振って、今度はコチラから問う。
「もう一度訊くが、何の用だ。アンジーかラッドに呼ばれたのか?」
「ううん。どこぞの貴族が寮に来てる、と連絡あったから様子を確認に」
「私が何かしらの暴挙に出るか、心配してのことかな」
「それもあるけど……どうも杞憂だったみたいだね」
そう言うと、テオドールは私の了承も得ずに部屋の中に入ってくる。
貴族女性が一人の場に平民男性が無許可で侵入するなど、事件になってもおかしくない。
そんな危険を敢えて冒すのは、私が騒がないと読んでいるのか、もしくは貴族の特権を否定したいスタンスか。
警戒心を少し高めていると、フッと短く息を吐いてテオドールが言う。
「ボクに対して、苦情はないんだ?」
「私を害する気なら、ドアの外からクロスボウでも放たんとな」
「それをしたって、無傷で切り抜けそうだけど」
「四人か五人を集めて一斉射撃を行えば、あわよくば?」
「ヒャヒャヒャヒャ……自分の殺し方をレクチャーしてくる貴族令嬢か。フヒヒッ、随分とイイ性格してるね」
「容姿を褒められるのは毎度だが、性格を褒められたのは久々だぞ」
見た目に似合わず小悪党っぽく笑う、テオドールからの皮肉を軽く流す。
笑いの発作を収めたテオドールは、眼鏡をクイッと直して私に向き直った。
「ラッドに聞いた話から、どうも普通じゃない予感はしてたけど……期待以上というか想像以上というか」
「彼奴が私をどのように説明していたかは、いずれ詳しく訊くとしてだ。それよりもお前ら三人の関係が気になるのだが」
「ああ、ボクとラッドとシャルルの関係が」
「いきなり知らんやつ出てきたな。アンジーの話だろ、そこは」
私の指摘に、テオドールはヒヒヒッと笑った。
そして部屋の奥へと進み、画架の上の描きかけの絵の前に立って言う。
「ボクらはまぁ、ドコにでもいる平民の子だったね。王都で生まれ、育ち……自分の暮らしている環境に何の疑問も抱かずにいられた、幸せな子供だった……」
テオドールの語りが過去形なのに引っかかるが、何も言わずに待つ。
しばらく無言が続いたかと思えば、唐突に澱みきった双眸を向けられた。
こういう流れになると、高確率で予期せぬ破局へと雪崩れ込む――己の経験してきた幾つものアクシデントを想起し、緊張が高まっていく。
だが、ドアの外から足音が近付いてくると、瞬時に作り物の笑顔へと戻る。
「幼馴染だった三人は、それぞれ商売、剣術、芸術で身を立てるコトにした。ボクとラッドはともかく、リカの才能は特別だから……使い潰さないでよね、ベレンガリア・メービウス侯爵令嬢」
「肩書まで含めて名を呼ぶな、鬱陶しい」
「じゃあ、何て呼んだらいいのかな」
「好きなように……ただ、侮蔑が過ぎると周囲が聞き咎めるから、そこは気を配れ」
私の返事に対し、テオドールは何も言わずに片眉を僅かに上げる。
前回での革命軍での活躍を考えれば、この二人よりも特別な存在などいそうもないのだが、アンジーにそこまでの価値があるというのか。
とりあえず、過剰に煌びやかなカエルのオブジェを抱えている姿は、あまり才能を感じさせるものではないのだが。
「随分とまた、色々と持ってきたな……」
「ごめんなさい、ラッドは五種類くらいにしろって……テオ? どしたの?」
「特に用もないんだけど、遊びに来たら何かイベントがあるみたいで」
「おいテオ、これちょっと飾るの手伝ってくれ。五個までにしとけってのに、何で十三個になるんだよ……」
泣きが入っているラッドに応じ、テオドールが荷物の半分ほどを受け取った。
油絵のキャンバスに水彩のパネル、そして何だかよくわからない立体作品。
ラッドとテオドールは、それらを雑然としたアトリエの各所に配置していく。
適当にやっているようでいて、キチンと見栄えを考えているようにも思える。
二人に煮え湯をガロン単位で飲まされてきた記憶のせいで、あらゆる行動に意味を見出そうとしている感も多少あるが。
「ベル様の好みとか、今の流行とかもわかんないんで、とにかく自分の気に入ってるヤツをゴリゴリに厳選してきました!」
「どちらかっていうとユルユルの緩選って感じだが……」
半ば自棄になっている雰囲気のアンジーを、ラッドが混ぜっ返す。
そんな二人を見ながら、テオドールは楽しげに笑っていた。
なるほど、こういうのが友人同士のやりとりなのか――
私の人生には久しくなかったものだな、と思いつつ眺めていると、アンジーが机の上に鎮座させたキラキラなカエルを指して言う。
「アタシのイチオシは、この子なんですけど……どうですかベル様」
「どうもこうも……まず、これは何を表現しているのだ?」
「カエルさんですね!」
「それは見た瞬間にわかるが、もっとこう何というか……コンセプトだとかメッセージだとか、そういうのはないのか?」
私からの質問に、テオドールが「おや」と言いたげな表情に転じた。
どうやら、美術に関して一応の理解があるのが意外だったらしい。
元より個人的な興味もあるのだが、それ以上に王族・皇族の嗜みとして美術や芸術、演劇や歌劇といったものに対する見識を磨く必要があったのだ。
他にも鍛えなばならん理由は色々とあったが、端的に言えば九割五分はガスパールが無能なせい、ということになる。
「メッセージ、なんて立派なものじゃないですけど……この表面を飾ってるのは全部、宝石の模造品の色ガラスなんです。良質なものはドレスやアクセサリーに使われますけど、これは子供のオモチャとして売られるような三流品ですね」
「よくよく見れば、気泡があったりヒビがあったりするな」
「でも、もしこの子に使ってるのが本物の宝石だったとしても、ガラスで飾られてるのと違いはあるのか、どっちにしても『何だかよくわからないキラキラのカエル』としか認識されないんじゃないか……みたいな疑問から出発して、最終的にこれが出来上がったんですよ」
「ふむ、ただの悪ふざけかと思えば、だいぶ面白いではないか」
そう感想を述べると、アンジーがグッと身を乗り出して言う。
「ですよね! だから完成させるには隣にもう一つ、宝石を使ったバージョンを置かないとなんで、ここは侯爵家の財力を活用すべきじゃないですか、ベル様!?」
「制作費の支援は吝かでないが、予算はどの程度かかるのだ」
「理想的な色の配置にするならこっち、多少の妥協をするならこっちです!」
アンジーは二つの数字が書かれたメモを差し出してきた。
確認してみると一方は桁が二つ、もう一方は桁が三つおかしい。
私は曖昧な表情でメモを折り畳み、紙飛行機にして飛ばした。
「ああっ、ベル様ひどいっ!」
「酷いのはお前の経済観念の壊れ方だ! カエル一つにこんな予算を要求したら、国王でも財務卿から二時間は説教されるぞ」
「でもでも、芸術ってのは何者にも束縛されない自由な環境から――」
「常識や制限や規則がなくば、それを超越する発想や表現には辿り着けん」
そう断言すれば、アンジーは悄然として傍らのカエルを抱き締める。
あらゆる分野で、無茶な予算を要求してくる連中と対決してきた私だ。
いくら粗雑な主張を重ねようと、有効性はゼロでしかない。
そんな我々のやりとりを見ていたラッドは、苦笑しながら口を挿む。
「とりあえず変なカエルは措いといて、姫さんがピンと来るのはないのか」
「どうだろうな……基本的にクオリティが高い、とは思うのだが」
「あっ、ありがとうございますっ!」
世辞ではなく、技術や技巧は学生としては頭三つくらい抜けている。
俺からのオススメはこれかな、と言ってラッドが掲げているのは、草に埋もれかけた廃墟で子供たちが遊んでいる水彩画。
見捨てられ朽ちていくばかりだった風景、そこに新たな意味を与える躍動感に満ちた子供らの姿からは、楽しげな声が聴こえてくるかのようだ。
売れるかどうかはともかく、画廊や美術館に展示してあっても違和感はない。
ただ、どこかで見た気もするので、有名作の模写という線もあるな。
だとしても、このレベルで仕上げてくるのは尋常ではないと言えるが。
さて、次のは油絵か――と視線を動かした瞬間、不意に呼吸が止まる。
「ぷっは! こっ、これはっ……」
「あー、これはちょっと実験的っていうか、変テコすぎたかなって反省してて。でも、アタシとしては悪くないと思ってるんだけど……ベル様はどうです?」
アンジーが訊いてくるが、激しい動悸で声が詰まる。
まさか、暴動に巻き込まれて燃えてしまったこの作品を、再び目にするとは。
隣国であるゼーン共和国出身で、夭折後にその革新的な作品群が発見された悲運の天才作家、ルイン・セルダの代表作『そこにいる』。
幾何学模様の固まりなのに猫にしか見えない何かが、背景と同化しかけている女性の膝の上で丸まっている、絵画の新たな表現を拓いたと評される歴史的な作品。
だがこれは現在、ゼーンで存命中のセルダの手元にあるはずの絵だ。
そしてあの廃墟と子供の絵も、似ているのはセルダの作品だと思い出す。
つまり、ルイン・セルダとは彼女の作品を世に出すため作られた、架空の存在だったのか。
それを仕掛けたのが何者なのかは、もう考えるまでもないだろう。
「……これだ。これに決めたぞ、アンジー」
「えっ、この変な絵でホントにいいんですか?」
「これでいい……いや、これがいい。しかし、あのドレスとは釣り合わんな」
「ですよね、私の絵なんかじゃ……」
「あんな悪趣味なドレス、この絵の価値に到底及ばん。差額を用意せねば」
「ふぇっ――ぅええええええええええっ!?」
アンジーの悲鳴にも似た疑問の声が響く。
その傍らでラッドは困惑し、テオドールは何度も頷いていた。
他の作品も一通り買い取るとして、価格はどう設定するべきだろうか――




