第26話 大体のことがどうでもいい私ならほぼ無傷
呼び鈴に対応するため、ドアの方に歩いていくミナ。
漏れ聞こえてくる声の感じからして、訪問者は寮の女性用務員のようだ。
数十秒ほどで話は終わり、少し強張った表情で戻ってくる。
嫌な予感を味わいつつ報告を待っていると、ミナは渋い顔のままで言う。
「コンラッド殿が迎えに来ているそうです」
「午後の予定はなし、と伝えておいたのだが……用件は?」
「ベルさまに直接伝える、とのことで」
未だコンラッドを警戒しているのか、ミナは色々と言いたげな様子。
ある程度は信用すべきだろう、と考えている私との温度差が顕著だな。
気にはなるが、こういった心情的な問題は、説得してどうなるものでもない。
ともあれ、用件だけでも聞いておくか――とミナと共に部屋を出る。
寮の前で佇むコンラッドは、眉根を寄せていて機嫌が悪そうだ。
珍しい表情を見たな、と思いつつ軽く手を挙げれば、小走りで駆け寄ってきた。
「ああ……すまんな、姫さんを呼び出すような真似して」
「まったくですよ。護衛の都合で主人に足労をかけるなど――」
「ミナ、やめよ。コンラッドは私が雇ったわけではない。学園からの依頼で、護衛役を務めているのだ」
やんわり注意すると、ミナは軽く頭を下げて一歩下がる。
苦笑を浮かべたコンラッドは、気にするなと言いたげに手を振って話を切り出す。
「急な話で悪いんだが、リカに会ってくれないか」
「アンジェリカ・ハンバートか。近々訊ねるつもりだったが、何故に今日だ」
「ここ最近、リカに関する妙な噂が流れてる。で、その関連なのか何なのか、リカに対するイヤガラセみたいなのも、いくつか起きてるようでな」
「緊急事態なのに、随分とボンヤリしてますね」
ミナからの指摘に、コンラッドは眉間の皺が深くなる。
「あいつに詳しい事情を聞こうとしても、大丈夫だとか心配ないとか、そんな感じで誤魔化しちまって、具体的に話さないんだ」
「なるほど、周辺で拾える情報を集めただけで拙い雰囲気がわかる、ということか」
「ああ……ダイレクトな攻撃は、まだ起きてないらしいが」
「起きてからでは手遅れだな。私で役に立つかわからんが、同行しよう」
「助かる……噂の中には、姫さんが絡んでるのもある。アンタが出てきたらリカも逃げないハズだ」
過度に期待されても困るが、頑なにコンラッドの話を聞こうとしないアンジェリカでも、私が相手なら態度はいくらか軟化するだろう。
青色の染料を頭からぶちまけた、あの件の負い目もある。
その償いとして、自信作を一つ貰い受ける約束も保留中だ。
アンジェリカは自室にいるそうなので、ミナに留守を任せて平民の学生が主に集められているという女子寮に向かう。
「芸術専攻だと、寮の内部も他とは違うのか」
「少し広い、というか何だっけ、あの……アトリエ? それ用の部屋がある」
「ふむ、あまりに狭苦しい環境では、創作も困難だろうしな」
「俺らは狭苦しい場所に二人で詰め込まれてるんだが」
「軍での生活と似た環境に、早くから慣れさせようとの配慮ではないか」
「でも俺と同室のヤツは、親の店を継ぐ予定の商人の子だぞ」
どう返したものか迷った末に、曖昧に笑っておいた。
学園には多額の国費や寄付金が注ぎ込まれていて、潤沢な予算で運営されているはず。
だというのに、何かにつけて平民への扱いの悪さが目立つ。
無償で高度な教育を授けている点は、当然ながら文句なしだ。
それが、妙な部分で差別的な待遇をチラつかせるのは何なのか。
もしかすると、ブラウトリアに厳然たる身分差が存在している事実を、身に染みて理解させようとしているのかも知れない。
だとしても、差別された側に残るのは悪感情だけだ。
人口の大多数を占める平民に対し、支配層が侮辱や搾取を隠そうともしていない驕りは、この国の宿痾と言うべきだろう。
考え込んだ私が黙ってしまったせいか、コンラッドは話を変えてくる。
「ところで、リカと関係ない方向でも姫さんの悪評を耳にしまくるんだが……俺のいないとこで、また何かやらかしてんのか?」
「またとは何だ、またとは。自己採点でのやらかしは、ガスパールと他二名を蹴散らした件ぐらいだぞ」
「だよな。ちょっとオカシくねぇか、って思う噂も多くてさ」
「お前が私の愛人として選ばれた、とかそういうのか」
「うぇっ!? いや、それは初耳なんだが……?」
「おい、そこで変な感じにギクシャクすると、本当っぽくなるだろうが」
スィーッと距離を取ろうとする、コンラッドの袖を掴んで引き戻す。
どんな噂が流れようと、大体のことがどうでもいい私ならほぼ無傷。
しかし箱入りな令嬢に、異性関連で下世話な噂が広まるのは厳しいだろう。
どこから出てきたんだって根も葉もない噂でも、流された時点で種はあるのだと理解され、評判に傷が残る。
やはり流言は強力――というか凶悪だな、と再認識させられる。
「着いたぞ、ここが第四学寮だ」
「そうだな。あの辺りで、青色に塗り替えられた覚えがある」
「ハハッ……リカの前ではヤメとけよ、そういうの」
「心配するな、冗談を言うにも相手と場所は選ぶ」
本当かよ、と言いたげなコンラッドに続き、寮の中へと足を踏み入れる。
入ってすぐに管理人室があり、そこで人の出入りをチェックしているようだ。
身分証を求められ、私もコンラッドと同様に学生証を提示した。
名前を見て、私の顔を見て、また名前を見る管理人の中年女性。
何か訊きたそうな様子だったが、それ以上は何もなく手続きは終わる。
「女子寮だというのに、男子禁制ではないのか」
「そこらへんはまぁ、妙なことにならんよう監視されてる。夜間は男の出入り禁止だし、不純異性交遊は発覚すると即退学だから、そもそも何かしようとするヤツは皆無だな」
「禁止されると余計に燃え上がる、とかそういうのはどうだ」
「心情としてはあるかもな。でもそこまでのリスクを冒す意味はねぇよ。外出が禁止されてるわけでもなし、不純に交遊したけりゃ街に出る」
「おお……そうか、なるほどな」
一般的な恋愛事情に疎いせいか、簡単な抜け穴を見落としていた。
学園内での諸々が禁止なら、外に出ればいいというのは道理だ。
性犯罪的な問題が気にならなくもないが、そこはコンラッドが言うように監視され、予防されているのだろう。
二階分の階段を上り、絵具や染料のニオイが薄く漂っている一角に辿り着くと、コンラッドがいくつか並んだドアの一つを叩く。
「おぉい、リカ! いるかぁ?」
強めのノックが繰り返されるが、室内からの反応はない。
それでも、コンラッドはリズミカルにドアを叩き続ける。
もしかして留守なのでは、と思い始めたところで錠を外す音がして、栗毛の小柄な少女が顔を出した。
「どしたの、ラッドぉおおおおおおおおおおぉ!?」
コンラッドの隣に立っている私と目が合ったアンジェリカは、凄い勢いで後退りして室内へと消えてしまう。
「そこまで驚かんでよかろう。しばらくぶりだな、アンジェリカ嬢」
ドアを開け放ちながら言えば、床にペタンと座ったアンジェリカが、コクコクコクコクとしつこいくらい頷く。
そんな珍妙な動作に苦笑を向けながら、コンラッドは話を切り出した。
「リカが延々と隠し事するんで、下手に隠すと首が飛ぶ相手を連れてきたぞ」
「何をしようと首は飛ばんぞ。首がもげる勢いで頭を蹴る可能性はあるが」
緊張しすぎな相手を和ませようとしたが、引き攣った笑顔を返してくるばかりで効果は薄そうだ。
背後の画架に置かれた、カラフルで楽しげな絵との落差が激しい。
しょうがないな、という感じの溜息を吐いたコンラッドは、アンジェリカの頭を軽くペンッと叩いて、混乱状態から強引に復帰させる。
「落ち着けよ、リカ。この姫さんは俺らが知ってる貴族連中とは、ちょっと違う……はずだ。きっと」
「自信なさげだな。で、違ってるのは良い意味と悪い意味、どちらだ」
「悪い意味で違うヤツなら、そもそもココまで付き合わないだろ」
私の疑問に、納得できる判別法を述べるコンラッド。
そして、描きかけの絵の前にある木皿から、楕円の焼き菓子を拾い上げた。
口に入れた直後から、ボキバキゴリッと菓子から出ないタイプの音が鳴る。
それを眺めていたアンジェリカは、へたり込んでいた床から立ち上がると、尻の埃を叩きながら訊く。
「それで……これは、どんな状況?」
「リカの身の周りで起きてることを、正直に話して貰いたくてな。嘘を吐いたり誤魔化したりで逃げないよう、姫さんに尋問係を頼んだ」
「ベレンガリア様も、どうしてそんな頼みを受けるんですか……」
「護衛として、コンラッドには日頃苦労かけてるからな。それに、お前の苦境は私が原因かもしれない、というのがある」
「そんな……こうなったのも全部、アタシが悪いってだけで……」
アンジェリカの発言を聞き逃さず、強引に突っ込んでいく。
「誰が悪いかは問題ではなく、知りたいのは何事が起きているかだ。ここに至るまでの経緯とそこからの現状について、包み隠さず話すがいい」
「だけど、巻き込んだらベレンガリア様にも、コンラッドにも迷惑が……」
「何だかわからんまま、リカが事件や事故に巻き込まれる方がもっと迷惑だ。いいから今すぐ、詳しい話を聞かせろ」
私とコンラッドの発する圧に耐えられなくなってか、アンジェリカは無言の無表情で項垂れる。
そのまま十秒ほど固まってから顔を上げると、諦めの表情で語り始めた。




