思いの果てにⅨ ~名前のない願い
ソラデアの瞳が、まっすぐルミナリスを見つめる。
「あなたは、私の願いで歩き始めました。壊れた機構に、私の祈りが触れ、あなたは再び立ち上がった」
ルミナリスの手が震えた。
魔導機兵。壊れたもの。
メガリマギアの奇跡。
ソラデアの願い。
それらが、胸の中で絡み合う。
~本文より
墓標の青い花が、静かに揺れていた。
フィリア・アルクス。
その名は、白い結晶の表面に深く刻まれている。
消えないように。
忘れられないように。
ルミナリスは膝をついたまま、動けなかった。
探していた人は、ここにいた。
生きている誰かとしてではなく。
星の彼方にわたった人の名前として
ソラデアは、それを知っていて、探してと願った。
その事実が、胸の奥で何度も崩れ落ちる。
「どうして……」
声がかすれた。
「どうして、私に……」
ルルリアは隣に膝をついたまま、何も言わなかった。
言葉をかければ壊れてしまいそうなものが、今のルミナリスの中にあると分かったからだ。
隠里の墓地には、風の音だけがある。
花が揺れる音。
水路を流れる水の音。
遠くで鳴る、小さな鐘のような音。
その時、ルミナリスの胸から光が溢れた。
神の花の奥に眠っていた光だった。
白く、淡く、星のように澄んだ光。
ルミナリスは胸を押さえる。
「……え」
光は、胸の奥からほどけるように外へ出ていった。
躰の中から、何か大切なものが離れていく感覚があった。
ずっと内側にあったもの。
言葉にならないまま、ルミナリスの歩みを支えていたもの。
ソラデアの魂。
光は墓標の前に集まり、人の形を取った。
長い銀白の髪。
星明かりのような瞳。
古い大魔法使いの衣。
優しさと、深すぎる疲れを抱いた顔。
ルミナリスは息を呑んだ。
「ソラデア様……」
その姿は、これまでルミナリスの内側で感じていた気配よりも、ずっとはっきりしていた。
完全な姿。
失われかけた記憶の影でも、魂の残響でもない。
この世の人として立った姿だった。
大賢者が呟いた。
「ソラデア……太陽の乙女よ」
その声は震えていた。
隠里の魔法人たちも、遠くで息を呑む気配がある。
ソラデアは、まずフィリアの墓を見た。
その瞳に、涙が浮かんでいだ。
「フィリア」
名を呼ぶ声は、とても静かだった。
「ようやく、ここへ来られました」
墓標の青い花が揺れた。
答えたのかもしれない。
ただ風に揺れただけかもしれない。
ソラデアは微笑んだ。
悲しみの奥に、安堵がある微笑みだった。
ルミナリスは震える声で言った。
「ソラデア様は……知っていたのですね」
ソラデアは、ゆっくりとルミナリスを見た。
「ええ」
逃げない答えだった。
「フィリアが、もうこの世にいないことを、私は知っていました」
ルミナリスの胸が痛む。
「では、どうして私に探せと願ったのですか」
その声には、責める響きが混じっていた。
自分でも、それに気づいた。
ルミナリスは慌てて目を伏せる。
「すみません」
「謝らないで」
ソラデアの声は優しかった。
「あなたには、そう問う権利があります」
ルミナリスは顔を上げた。
ソラデアは、墓標とルミナリスを交互に見た。
「私は、フィリアを探してほしかったのです。生きている妹を見つけてほしかったのではありません。フィリアが生きていた場所へ、この子が眠る場所へ、私を連れて来て欲しかったのです」
「生きていた場所へ……」
「はい」
ソラデアは静かに頷いた。
「私は、多くのものを失いました。でももう一度、フィリアが生き、愛され、眠るこの場所へと臨んだのです」
フィリアの墓の青い花が、小さく光った。
「そして、あなたにも来てほしかった」
「私に?」
「はい」
ソラデアの瞳が、まっすぐルミナリスを見つめる。
「あなたは、私の願いで歩き始めました。壊れた機構に、私の祈りが触れ、あなたは再び立ち上がった」
ルミナリスの手が震えた。
魔導機兵。壊れたもの。
メガリマギアの奇跡。
ソラデアの願い。
それらが、胸の中で絡み合う。
「でも、それだけではありません」
ソラデアは言った。
「あなたは、私の願いだけでここまで来たのではない」
「でも、私は……」
「ルミナリス」
その名を呼ぶ声は、深く、温かかった。
水にも、森にも、奪えない呼び方だった。
「あなたは、ヴェリットを守れなかった後悔を抱いていた。赤への憎しみを、知らずに抱いていた。私の願いを受け取り、フィリアを探そうとしたその旅の中で、あなたは何度も自分で選びました」
ルミナリスは言葉を失う。
「ルルリアに手を伸ばしたこと」
ルルリアが息を止めた。
「リシュタ家の子供たち、荷馬車の人々を守ったこと。ザイムたちの小さな暮らしを、壊されるべきではないと思ったこと。オルクスの痛みを案じたこと。イグニスの乱暴な優しさを、優しさとして受け取ったこと」
ソラデアの声は、少しずつ光を帯びていく。
「それらは、私が命じたことではありません」
ルミナリスの瞳が揺れた。
「でも、ソラデア様の願いが、私の中にあったから」
「願いは、道を示すだけ」
ソラデアは穏やかに言った。
「でも、歩くのは貴女です」
大賢者は、深く頭を垂れたまま聞いていた。
ルルリアは、ルミナリスの隣で唇を噛んでいる。
ソラデアは、ルミナリスの前へ歩み寄った。
その足は地面を踏んでいなかったが、重みがあった。
「私の願いは、あなたの真なる願いと同じです」
ルミナリスは、息を止めた。
「私の……真なる願い」
「試練越えた貴女はもう知っている」
ソラデアは微笑んだ。
「全てのものが、自分の意思で歩ける世界」
その言葉が、墓地に静かに響いた。
「命令でも、支配でも、呪いでも、契約でも、誰かの都合でもなく。自分の足で、自分の名で、自分の願いを抱えて歩ける世界……少しでもいい。優しく居られる世界」
ルミナリスの胸の奥で、凍てつく金冠の冷たい芯が震えた。
逃げる足。
届く足。
自分の意思で歩く足。
「そして」
ソラデアは続ける。
「他者を思いやり、優しくできるものを、守る者たちへの喝采」
ルミナリスの目から、涙がこぼれた。
なぜ泣いているのか、分からなかった。
悲しいのか。
悔しいのか。
救われたのか。
許されたのか。
分からない。
それでも、涙は止まらなかった。
「私は……そんな世界を、願っているのでしょうか」
「願っています」
ソラデアは静かに答えた。
「あなたは、まだ自分を知らない。魔導機兵であったことも、壊れたことも、私の魔法で再び歩き始めたことも、まだ受け止めきれないでしょう」
「はい……」
「それでいいのです」
ソラデアは手を伸ばす。
その指先が、ルミナリスの頬に触れた。
温かくはなかった。
冷たくもなかった。
星の光に触れられたようだった。
「あなたは、あなたしかいないのです。ほかの誰でもない」
ルミナリスは、息を震わせた。
「ソラデア様」
「もう、他人の願いを背負うためだけに歩かなくていい」
「でも」
「フィリアは、ここにいます」
ソラデアは墓標を見た。
「私は、あなたにフィリアへの思いを刻んだ酷い女です。でも、あなたは、自分の中にある願いを知るために、自分であり続けました」
ルミナリスは、涙で滲む視界の中でソラデアを見た。
「私は、どうすればいいのですか」
「あなたが選びなさい」
ソラデアは言った。
「フィリアのためではなく、私のためでもなく。ヴェリットのためだけでもなく。あなたが、守りたいと思ったもののために」
ルミナリスは胸元を押さえた。
神の花。
灼熱の石守。
凍てつく金冠の冷たい芯。
アシュラムの重さ。
星の羅針盤。
全部が、今ここにある。
選んで歩くのは自分だ。
「私は……」
声が震える。
「まだ、怖いです」
「怖くていい」
「自分が何なのかも、まだ分かりません」
「分からないまま、歩く日もあります」
「ソラデア様がいなくなったら、私は」
そこまで言って、言葉が詰まった。
ソラデアは、悲しげに微笑んだ。
「私は、フィリアを迎えに来ました。もう星の静謐の彼方へと向かい刻限です」
墓標から蒼い光の珠がソラデアの周りを舞い、ソラデアの姿が、少しずつ光になり始めていた。
輪郭がほどける。
髪が星の粒になる。
衣が白い光へ変わっていく。
「フィリアは今ここに居ます」
そして、ルミナリスを見る。
「ルミナリスにも、言葉を渡せました」
ルルリアが、たまらず言った。
「本当に行くの?」
ソラデアはルルリアへ微笑む。
「あなたがいてくれて、よかった」
ルルリアは言葉を失った。
「この子に、あとで考えようと言ってくれたでしょう」
「……聞いてたの?」
「はい」
ソラデアの笑みが、少しだけ柔らかくなる。
「あの言葉は、とても優しい言葉でした」
ルルリアは目を伏せた。
「私は、そんな大したこと言ってない」
「大したことです」
ソラデアは言った。
「壊れそうな者に、今すぐ答えを求めないことは、とても優しいことです」
ルルリアは唇を噛んだ。
ソラデアは最後に、ルミナリスの手を取った。
光の手が、ルミナリスの手を包む。
「貴女は、貴女の道を進んで」
ルミナリスは泣きながら頷いた。
「はい」
「私の願いは、貴女の真なる願いと同じです」
「はい」
「全てのものが、自分の意思で歩ける世界を」
「はい」
「他者を思いやり、優しくできるものを、立たせられる世界を」
ルミナリスの声は、もう言葉にならなかった。
ただ、頷いた。
ソラデアは満足したように微笑んだ。
「ありがとう、ルミナリス」
そう告げたソラデアのとなりにはルミナリスと同じ顔した少女がいた。
満足気に笑いかけると、光がほどける。
白い花びらのように。
星の粒のように。
朝の空へ帰る霧のように。
ソラデアとフィリアの魂は、ゆっくりと天へ昇っていった。
フィリアの墓標の青い花が、一斉に光る。
隠里の空に、柔らかな星の道が現れた。
昼でも夜でもない精霊の庭の空へ、ソラデアの光が上がっていく。
ルミナリスは手を伸ばした。
「ソラデア様……」
最後の光が、空の奥へ消えた。
ルミナリスは、しばらく空を見上げていた。
胸の奥が空いている。
ずっとそこにあった気配が、もうない。
ソラデアの願いは消えたのではない。
託されたのでもない。
それだけで、何かが変わっていた。
ルミナリスはフィリアの墓へ向き直る。
墓標の青い花に、そっと手を添えた。
今度は、触れることができた。
「フィリア様」
声は小さかった。
「私は、まだ自分のことが分かりません」
墓標は答えない。
「でも、歩きます」
青い花が揺れた。
「私の道を」
ルルリアが隣に立つ。
何も言わず、ただそばにいる。
大賢者は深く頭を垂れ、杖を捧げて祈っていた。
ルミナリスは空を見上げた。
全てのものが、自分の意思で歩ける世界。
それは、ルミナリスの中にある、まだ名前のない願いだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
また是非ご一読ください。




