思いの果てにⅢ ~イグニスの忠告
ルミナリスは一歩前へ出た。
「イグニスさん」
「駄目だ。ここからは、神か巨人か龍か、理を越えたものじゃねえとだめだ」
ルミナリスの足が止まる。
イグニスは、岩と大地の主精霊から視線を外さない。
「こいつらは俺様の連れだ。余計なことをするなよ」
~本文より
原初の岩はイグニスを遥かな高みから見下ろしながら、地響きを立てつつ語りかけた。
「焔は隠れられぬ」
「隠れてねえ」
「山を燃やし大地を焼いた焔が、何故威厳を捨てる」
「そんなもの持っていたつもりもない」
「火種にも満たぬ大きさで何を為すのだ?」
「喧嘩売ってんのか、岩」
「問うている」
岩と大地の主精霊の声が、さらに低くなる。
「原初の焔よ。何故、火を畳む。何故、人の肩へ収まる。何故、庭へ戻りながら、庭へ己を示さぬ。それは主精霊たるものの約定であろう」
イグニスは黙った。
初めて、言い返さなかった。
ルミナリスはその会話を分析していた。
イグニスの焔は、いつもより小さい。
だが、周囲の精霊たちは、その小さな焔を恐れている。
花も、水も、風も、距離を取っている。
その存在がどれほど苛烈で大きいのか。
岩の主精霊は、さらに身を乗り出す。
「焔。答えよ」
「答える義理はねえ」
「ある」
「しつこいな」
「我は見張り阻むもの」
「知ってるよ」
イグニスは短く吐き捨てた。
それから、ルミナリスたちの方へ振り返る。
焔の奥で、何かが一瞬だけ揺れた。
「おまえら」
イグニスの声が、いつもより低い。
「ここから少しの間、俺様は離れる。あいつが相手じゃしょうがねえ。腕の一山くらい焼き崩さねえと収まらん」
ルルリアがすぐに反応した。
「え、待って。案内は?」
「道はもう開いてる。羅針盤を見ろ。水の音を追うな。花に返事するな。変な実は食うな。笑う石には近づくな」
「情報が雑に多い!」
「覚えろ」
ルミナリスは一歩前へ出た。
「イグニスさん」
「駄目だ。ここからは、神か巨人か龍か、理を越えたものじゃねえとだめだ」
ルミナリスの足が止まる。
イグニスは、岩と大地の主精霊から視線を外さない。
「こいつらは俺様の連れだ。余計なことをするなよ」
岩の主精霊が静かに言う。
「小さき者らは、焔の影に隠れている。それはならん」
「ほらな」
イグニスが不機嫌そうに言った。
「面倒だろ」
オルクスが一歩前へ出た。
「イグニス殿、どこで合流する」
「庭が本気で迷わせなきゃ、先で勝手に追いつく」
「本気で迷わせたら」
「その時は、自力でどうにかしろ」
「相変わらずだな」
「褒めるな」
「褒めてはおらぬ」
オルクスは、大地の主精霊を見上げた。
「原初の大地よ。旅の者として、歩を進める。許しは請わぬ」
岩と大地の主精霊の視線が、ゆっくりとオルクスへ向いた。
その重さに、周囲の草が伏せる。
「精霊人の子よ。道は自分で歩む分には何も言わぬ」
オルクスは静かに頭を下げる。
「では、見届けていただきたい」
「それならば、山は見る」
イグニスが舌打ちするように火を散らした。
「勝手に話をまとめるな」
「では自分でまとめよ」
オルクスが返すと、イグニスは不機嫌そうに焔を膨らませた。
「本当に面倒な連中だ」
ルルリアは唇を噛んだ。
「イグニス、ちゃんと戻ってくるよね」
「戻る」
即答だった。
「本当?」
「俺様を誰だと思ってる」
「強い火」
「原初の焔だ」
「うん。偉い火」
「雑に直すな」
そのやり取りに、少しだけいつもの調子が戻った。
それでも、ルルリアの表情は晴れない。
イグニスは、ほんの少しだけ焔を低くした。
「小鳥」
「小鳥じゃない」
「今は小鳥でいい」
「よくない」
「ルミナリスを見てろ。足元を見ろ。今、あいつは危うい」
ルルリアは真剣な顔で頷いた。
「分かった」
イグニスは次に、ルミナリスを見た。
ルミナリスは、胸元の灼熱の石守を握っている。
「その石、持ってろ」
「はい」
イグニスは、少しだけ黙った。
それから、低く言った。
「精霊王には気をつけろ。とくにルミナリス、お前はな」
空気が止まった。
ルミナリスは瞬きをする。
「精霊王……」
「庭の王だ。優しい顔をするかもしれねえ。怖い顔をするかもしれねえ。何も出さずに、声だけ寄こすかもしれねえ」
イグニスの焔が、わずかに揺れた。
「どれでも信じすぎるな」
オルクスの表情が硬くなる。
「イグニス、それは」
「老いぼれ、おまえもだ」
イグニスは遮った。
「王子のことになると、おまえは足元を見なくなる。精霊王の言葉を、そのまま飲むな」
オルクスは沈黙した。
その沈黙だけで、言葉が刺さったことが分かった。
イグニスは最後に、三人まとめて見るように焔を揺らす。
「願いを見せすぎるな。ここでは、願いは餌になる」
岩と大地の主精霊が、低く言った。
「焔。話は終わったか」
「急かすな、岩。山のくせに短気だな」
「山は待つ。だが、焔の偽りは長く見ていられぬ」
「見せてやるよ。この後たっぷりとな」
イグニスはルミナリスたちから離れた。
小さな焔が、岩の巨体の前へ向かう。
大きさは比べものにならない。
岩の主精霊は山のようで、イグニスは灯のようだった。
小さな焔の内側に、山をも焼く火が畳まれている。
岩と大地の主精霊が立ち上がる。
その身が天井の枝に届き、枝の方が自然と道を譲る。
肩の苔から小さな花が落ち、土に戻る。
「来い、焔」
「命令するな」
イグニスは文句を言いながら、岩の主精霊の方へ飛んでいく。
二つの原初が、庭の奥の別の道へ進み始めた。
その道は、ルミナリスたちには見えない。
ただ、地面が重く沈み、赤い火の粒がいくつか残った。
イグニスの焔が、岩と大地の主精霊の影に飲まれていく。
赤い光が、苔むした岩の巨体の向こうへ消えた。
庭に、静けさが戻る。
だが、それは先ほどまでの静けさとは違った。
案内役の火がいない。
乱暴で、偉そうで、うるさくて、でも分かりやすい声がない。
ルルリアはぽつりと言った。
「急に心細い」
ルミナリスの胸元の灼熱の石守は温かい。
星の羅針盤も光っている。
オルクスは深く息を吸った。
「我らの足で進むぞ」
「はい」
ルミナリスは星の羅針盤を見た。
針は、庭の奥を指している。
精霊王には気をつけろ。
イグニスの言葉が、胸の中で重く残った。
その時、足元の白い花が、ゆっくりと開いた。
花びらの奥から、小さな声がした。
「ようこそ」
ルルリアは即座に両手で耳を塞いだ。
花は、楽しそうに揺れた。
ルミナリスは羅針盤を握りしめる。
オルクスは剣を抜かず、ただ前を見た。
イグニスのいない精霊の庭で、一行は初めて、自分たちだけで歩き出した。
次回、精霊の庭の奥に進む一行を描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
更新が少し遅くなるかと思います。
二日に1度は更新しますので、是非ご一読ください。




