思いの果てにⅡ ~原初の岩と大地の主精霊
「お前ら、動くな。厄介な野郎が来た」
イグニスの焔が、ぴたりと止まる。
庭の空気が変わった。
花が伏せ、草が沈む。
水音が遠ざかる。
空中に浮かんでいた小さな光が、いっせいに木陰へ隠れた。
~本文より
精霊の庭の道は、歩くたびに形を変えた。
草の上に水で描かれた細い道は、まっすぐ続いているようで、少し目を離すと曲がっている。
遠くに見えた木は、近づくと花になった。
花だと思ったものは、根をほどいて小さな獣のように草むらへ逃げた。
ルルリアは、もう何度目か分からないため息をついた。
「見てるだけで疲れる」
「見るなと言っただろうが」
イグニスが前方で焔を揺らしながら、先導していた。
「でも、見ないと踏みそう」
「踏むな。見すぎるな。ちょうどよく見ろ」
イグニスの言葉は、いつも通り乱暴だった。
それでも、イグニスが先を飛んでいるだけで、道はまだ道の形を保っていた。
花は近づきすぎない。
水音は背後から名前を呼ばない。
風も、まだ約束を持ちかけてこない。
ルミナリスは胸元の灼熱の石守に触れた。
温かい。精霊の庭に入ってから、その温もりは時々揺れた。
ここでは、水も、木も、花も、土も、世界そのものが、息をしていることを感じ取れる。
それが逆に危うくも思える。
自分がここにいていいのか? と問いかけてしまいそうになる。
オルクスは無言で進んでいた。
精霊人エルフであるはずなのに、気安さはない。
ルミナリスは小さく尋ねた。
「オルクス様」
「何だ」
「ここは、懐かしく思える場所ですか」
オルクスはすぐには答えなかった。
道の先に浮かぶ小さな光を見つめ、それから静かに言う。
「懐かしい、と呼ぶには遠すぎる。畏れる、と呼ぶには近すぎる」
「難しいですね」
「精霊の庭とは、そういう場所だ」
イグニスが鼻で笑うように焔を弾ませた。
「回りくどい。精霊の故郷だ。精霊人にはうっとおしいんだろ」
「違う」
「似たようなもんだろ」
ルルリアは小声で言った。
「イグニス、ここでも遠慮ないね」
「遠慮してるぞ」
「どこが?」
「まだ燃やしてねえ」
「基準が怖い」
その時だった。
地面が重々しく音を立てて揺れた。
どん、どんっ。
地響きを立てながら近づいてくる。
ルルリアは反射的に身を低くする。
メル・アラの補助翼が薄く開き、腰を支えた。
ルミナリスは星の羅針盤を抱える。
オルクスは剣の柄へ手を添えた。
「お前ら、動くな。厄介な野郎が来た」
イグニスの焔が、ぴたりと止まる。
庭の空気が変わった。
花が伏せ、草が沈む。
水音が遠ざかる。
空中に浮かんでいた小さな光が、いっせいに木陰へ隠れた。
もう一度、地面が鳴る。
どん。
土が震えた。
霧のようなものが一面に沸き起こり、そこから見せた影の大きさに、ルルリアは息を呑んだ。
「……巨人?」
あまりにも大きい。
頭は古い山のように高く、肩は崖のように広い。
腕は岩壁を削り出したように太く、指は一本一本が石柱に似ていた。
顔はあった。
だが、人の顔ではない。
風雨で削れた山肌に、目と口だけが刻まれたような顔。
瞳は、深い洞窟の奥で光る鉱石のように鈍く輝いている。
体には苔が生え、肩には小さな木が根を張っていた。
胸元には大地の裂け目のような紋様が走り、その奥から土の匂いと古い力が滲んでいる。
巨人族と見間違えても仕方がない。
だが、そこにあるのは、山であり岩。
土であり大地。
人の形を模した巨大な歩く地層だった。
オルクスが低く呟く。
「原初の大地……」
ルミナリスはその名を聞いて、身を固くした。
原初の焔、主精霊イグニス。
その名と並ぶ存在。
岩と大地の主精霊。
山と同じ重さを持つ、古い精霊。
地母神ですら敬意を払う相手。
巨大な岩の精霊は、ゆっくりと視線を下ろした。
その視線だけで、空気が重くなる。
ルミナリスの肩が押されるように沈んだ。
ルルリアも息を詰める。
メル・アラが腰を支えなければ、膝が折れていたかもしれない。
岩の主精霊の目は、ルミナリスでも、ルルリアでも、オルクスでもなく、イグニスへ向いていた。
低い声が、庭全体へ響いた。
「焔よ」
イグニスの焔が、少しだけ大きくなった。
「岩か」
大地の主精霊は、ゆっくりと片膝をついた。
それだけで、地面がまた揺れる。
近くの花が一つ、驚いたように閉じた。
「何故、その姿であるか?」
声は怒声ではなかったが、重い。
岩盤の下で地鳴りが続くような声だった。
「原初の焔よ。何故、小さき火の玉の姿を取る」
イグニスは、わざとらしく焔を揺らした。
「便利だからだ」
「偽りである」
「便利なのは本当だ」
「それだけではない」
岩の主精霊の目が、鈍く光る。
「山は覚えている。大地は覚えている。空を裂く焔も、海を干上がらせる火も、夜を昼へ変えた空覆いつくす火柱をも、すべて覚えている」
ルミナリスは数値化できない存在をただただ見上げていた。
小さな火の玉のようなイグニス。
乱暴で、偉そうで、時々雑で。
それでも、旅の中では肩の近くで燃えていた優しき存在。
そのイグニスを見る大地の主精霊の目には、まるで別のものが映っているようだった。
世界を焼いた火。
神話の時代の焔。
原初の名にふさわしい、巨大な姿。
「何故、偽る?」
岩の主精霊は詰め寄る。
地面が沈む。
「何故、己を削る」
イグニスの焔が、一瞬だけ荒れた。
「うるせえな」
それは、いつもの調子に聞こえた。
だが、ルルリアには少し違って聞こえた。
苛立ち。
ごまかし。
そして、触れられたくないものへ手を伸ばされた時の声。
「俺様がどういう姿を取ろうが、俺様の勝手だ」
次回 精霊の庭へさらに進む3人を描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
また是非ご一読ください。




