思いの果てにⅠ ~辿り着いた先
「私は……」
「言わずともよい」
オルクスが遮った。
その声は静かだった。
「今すぐ、すべてを説明せずともよい。おぬし自身がまだ掴めぬものを、誰かへ整えて語る必要はない」
ルミナリスは顔を上げる。
オルクスは続けた。
「ただ、一つだけ言っておく」
老剣士の目は、まっすぐだった。
「おぬしを恐れぬ、とは言わぬ」
~本文より
ルミナリスはルルリアに支えられたまま、浅く息をした。
そのことが、少しだけ不思議だった。
自分は壊れた魔導機兵だった。
それでも今、息を吸い胸は上下している。
この息も、機構が真似ているだけなのか。
それとも、本当に自分のものなのか。
分からない。
分からないことばかりだった。
「立てる?」
ルルリアが聞いた。
「はい」
ルミナリスは頷くが、膝に力が入りきらない。
ルルリアは無理に離れなかった。
「はいって顔じゃない」
「すみません」
「謝らない。今は、こっち」
ルルリアは肩を貸した。
ルミナリスはその温もりに、少しだけ目を伏せる。
「ありがとうございます」
「うん」
ルルリアは短く答えた。
その声は、いつもより少し柔らかかった。
イグニスは二人の前で燃えていた。
「まだ終わりじゃねえぞ。門が開くかどうかは、これからだ」
ルルリアは顔をしかめた。
「まだあるの?」
「ああ、面倒だって言っただろ」
そのやり取りに、ルミナリスはほんの少しだけ息を緩めた。
イグニスの乱暴な声は、今はありがたかった。
水の広間が揺れた。
ルミナリスとルルリアの足元から、銀色の波紋が広がっていく。
波紋は円を描き、交わり、やがて一つの大きな輪になった。
その輪の中心から、二つの白い冠が浮かび上がる。
ルルリアの冠。
ルミナリスの冠。
鳥籠の格子と翼の形をした冠。
星の光と魔導回路を抱いた細い冠。
二つは水面の上で向かい合うように回り、やがて砕けた。
音はなかった。
氷の欠片は水へ落ちる前に、小さな光へ変わった。
その光は、ルルリアの胸へ一つ。
ルミナリスの胸へ一つ。
「これ、残るんだ」
イグニスが言う。
「試練は、終わった証が要る。それがそうだ」
ルルリアは少し黙った。
逃げること。届くこと。置いていかないこと。
胸の奥に、冷たい輪郭がある。
足が迷った時、どこへ重心を置くかを教えるようなものだった。
ルルリアは腰のメル・アラに触れた。
装具は静かに馴染んでいる。
前よりも、少しだけ自分の足に近い。
ルミナリスは胸元に触れた。
灼熱の石守。
その奥に、凍てつく金冠の残した冷たい芯。
温もりと冷気が、同じ場所にある。
矛盾しているのに、どちらも消えない。
ヴェリットお嬢様。赤の宰相。
後悔。憎しみ。
ソラデアの願い。フィリアを探す旅。
今、隣にいる仲間たち。
どれも、すぐには整理できない。
ルミナリスは目を閉じた。
その時、水の向こうから、低い音が響いた。
「冠を知る者は、庭の縁に立つ」
森王の泉の声だった。
言葉は水のようで、根のようで、霜のようでもあった。
「名を失わぬ者は、門を越える」
銀色の広間が、大きく揺れる。
壁のないはずの場所に、木々の影が現れた。
白い床が水へ戻り、足元が深くなっていく。
ルルリアは反射的に身構える。
水の底から、光が差した。
森の光ではない。
夕暮れと夜明けが混ざったような、不思議な光。
水面の向こうに、別の景色が見えた。
巨大な木々。
宙を漂う小さな光。
逆さまに流れる細い滝。
空に浮かぶ根。
根に咲く花。
精霊の庭。
その縁が、銀色の水の向こうに開いていた。
ルルリアは息を呑んだ。
「ここが……」
「まだ縁だ」
イグニスが言った。
「庭の入口の、さらに端っこだ。中へ入った気になるなよ。気を抜くと、花に名前をつけられて終わる」
「花に名前をつけられるの?」
ルルリアが嫌そうに聞く。
「花が勝手に名前を付けて呼び始める。放っておくと、そっちの名前が馴染み、躰が変化し記憶も無くなる」
「絶対嫌」
水の外側で、オルクスの姿が近づいていた。
これまで石の輪の外に留められていた老剣士が、ようやく泉の縁を越えてくる。
ルミナリスとルルリアのそばまで来ると、オルクスは深く息を吐いた。
「よく越えた」
その一言だけだった。
長い言葉ではない。
だが、ルルリアの胸に少しだけ温かいものが戻る。
「怖かった」
ルルリアは素直に言った。
「そうであろう」
「おじいちゃん、見えてた?」
「すべてではない」
オルクスはルミナリスへ視線を向けた。
「だが、必要なものは見えた」
ルミナリスは少しだけ身を固くする。
魔導機兵であること。
ヴェリットお嬢様を守れなかったこと。
赤の宰相への憎しみ。
一度破壊されたこと。
ソラデアの願いで、もう一度動き出したこと。
ルミナリスはうつむいた。
「私は……」
「言わずともよい」
オルクスが遮った。
その声は静かだった。
「今すぐ、すべてを説明せずともよい。おぬし自身がまだ掴めぬものを、誰かへ整えて語る必要はない」
ルミナリスは顔を上げる。
オルクスは続けた。
「ただ、一つだけ言っておく」
老剣士の目は、まっすぐだった。
「おぬしを恐れぬ、とは言わぬ」
ルルリアが少し驚いてオルクスを見る。
ルミナリスも言葉を失った。
オルクスは逃げずに続ける。
「魔導機兵というものが、どれほど危険な存在か。帝国の理を塗り替えた兵器が、どれほど多くの命を奪ったか。儂は知らぬわけではない」
ルミナリスの胸が痛む。
だが、オルクスの声は厳しいだけではなかった。
「恐れを知らぬふりはせぬ。知らぬふりをすれば、いずれおぬしを傷つける。だが、恐れだけでおぬしを見ることもしない」
オルクスは片膝をつき、ルミナリスと目線を近づけた。
「儂が見てきたのは、魔導機兵という名ではない。ルミナリスという旅の仲間だ」
ルミナリスの瞳が揺れた。
「オルクスさん……」
「おぬしが何であったとしても、今この場で変わるものではない。だが、いつかおぬし自身が向き合わねばならぬ時は来る」
オルクスの声は、優しかった。
優しいからこそ、重かった。
「その時、儂がそばにいるかは分からぬ。だが、今ここでは言える。儂は、おぬしを兵器として扱わぬ」
ルミナリスは、言葉を探した。
見つからなかった。
ただ、深く頷いた。
「ありがとうございます」
「それにの。儂にも後ろ暗いことの一つや二つはある。お互い様じゃ」
ルルリアが横から口を開く。
「私は、ちょっとびっくりした」
ルミナリスはそちらを見る。
ルルリアは頬をかいた。
「だって、普通にびっくりするよ。魔導機兵って、そういうことだったの、って」
「はい……」
「でもさ」
ルルリアは、少し困ったように笑った。
「私も、元ゴルデンオストの鳥籠の子だし。逃げ癖あるし。さっき昔の自分に会ったし。人に言いにくいもの、いっぱいある」
「ルルリアさん」
「だから、ルミィだけが変なものを抱えてるわけじゃないよ」
ルミナリスは、その名に一瞬だけ息を止めた。
水はもうざわめかなかった。
その名は、泉に奪われない。
ルルリアは続ける。
「怖いことは、怖い。分からないことは、分からない。でも、私はあなたが荷車の人を助けてたのを見た。馬を落ち着かせてたのも見た。私の手を取ってくれたのも、何回も見た」
ルルリアは、少し照れたように目を逸らす。
「それを全部、兵器だからで片づけたくない」
「ありがとうございます」
「うん。あとで考えよう」
「はい」
イグニスが不満そうに焔を揺らした。
「湿っぽい話は終わったか」
ルルリアが振り返る。
「イグニスは何か言わないの?」
「何をだ」
「ルミィに」
「俺様は最初から妙な器だと言ってただろうが」
「そういうことじゃなくて」
イグニスはルミナリスを見た。
焔の奥で、何か古いものが揺れた。
「壊れたもんが、もう一度動くことはある」
短い言葉だった。
「動いたからって、前と同じとは限らねえ。壊れる前と同じでも、直した奴の思い通りでもないことがある」
ルミナリスはイグニスを見る。
「イグニスさん」
「だから、今は歩け」
イグニスは乱暴に言った。
「立って、歩いて、見て、怒って、泣いて、迷え。機兵だろうが器だろうが、動いてるなら使え。足も、目も、変な願いもな」
ルルリアが小さく言う。
「言い方が雑」
「分かればいいんだよ」
ルミナリスは、胸元の灼熱の石守に触れた。
温かい。
凍てつく金冠の冷たさと、灼熱の石守の温もり。
その二つに挟まれるようにして、ルミナリスは立っている。
「はい。歩きます。自分の思いを載せて、自分の足で」
「よし」
イグニスは満足そうに前へ出た。
水の向こうの光が、少しずつ強くなる。
森王の泉の声が、また響いた。
「名を失わぬ者は、門を越える」
銀色の水が左右へ分かれた。
そこに、水でできた橋が現れる。
橋の下に、底はない。
ただ、星のような光が深く沈んでいる。
橋の向こうには、精霊の庭の縁がある。
巨大な葉が風もないのに揺れ、小さな灯が枝から枝へ飛ぶ。
遠くには、逆さまの滝が空へ流れている。
見知らぬ花が、こちらを見ているように開いた。
ルルリアは、花を見てすぐに目を逸らした。
「触らない。見すぎない。返事しない」
「覚えがいいじゃねえか」
「怖いからね」
「それでいい」
オルクスは橋の前で一度、泉へ向かって頭を下げた。
「森王よ。試しに感謝する」
イグニスがすかさず言う。
「感謝しすぎるな。面倒を増やされるぞ」
「礼は必要だと言ったであろう」
「だから礼だけで止めろ。頼み事をするな。水は頼まれると張り切る」
「……心得た」
オルクスは本当に少しだけ言葉を短くした。
ルルリアは小声で呟く。
「精霊相手の礼儀、難しい」
「だろうな」
イグニスは偉そうだった。
「俺様がいないと、おまえら三回はどうにかなってるぞ」
「それは本当に助かってる」
「もっと敬え」
「ありがとう、偉い火」
「雑だな」
「イグニスの教え方に似た」
「余計なことを覚えやがって」
ルミナリスは、そのやり取りを聞きながら水の橋へ足を置いた。
橋は揺れない。
冷たくもない。
ただ、足を置いた場所から小さな波紋が広がる。
ルミナリスは目を閉じない。
そして、歩いた。
ルルリアが隣へ並ぶ。
メル・アラの補助翼は閉じている。
いつでも開けるように腰で静かに待っていた。
オルクスは後ろを歩く。
今度は、手を出せないからではない。
見守るために、その距離を選んでいる。
イグニスは前で燃える。
火が水の橋を照らし、銀色の道に赤い光を落とす。
橋の中央まで来た時、背後で水音がした。
森王の泉が、何かを告げるように波紋を広げる。
ルミナリスは振り返らなかった。
振り返れば、また何かが見える気がした。
今は前を見る。
水の橋を渡りきると、足元が柔らかい草に変わった。
草は青ではなかった。
銀と緑の間のような色で、踏むと小さな光の粒が舞い上がる。
空気が違う。
湿っているのに重くない。
冷たいのに痛くない。
遠くで水が流れ、近くで花が息をしている。
そこは、森ではなかった。
森の姿を借りた、別の世界だった。
精霊の庭。
その縁に、一行は立っていた。
次回、精霊の庭へ一行は入り込みます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
また是非ご一読ください。




