精霊の庭へⅩⅨ ~ルミナリスの秘密
歯車が噛み合う音が響き始める。
魔導機甲の音だ。
ルミナリスは星の羅針盤を胸に抱いたまま、白い冠と向き合っている。
イグニスの焔が、今度は低く、重くなった。
「器から揺さぶるのか。気に入らねえ」
突如、水の中から、声がした。
『帝国魔導装甲部隊軍司令としての権限を以て貴機官に命令する。私の娘ヴェリットを唯一無二の主人であり保護対象として、貴機官の全機能をもっていかなる時も守りその安全を確保せよ』
~本文より
ルミナリスは、少し離れた場所に立っていた。
その前には、まだ白い冠が浮かんでいる。
ルルリアの試しが終わって、ルミナリスの冠は静かに、深く光っていた。
星のような光を内側に閉じ込めた、細い白い冠。
ルミナリスは、それを見つめている。
水の広間が変わり始めた。
床一面へ細い光の線が走った。
それは魔導回路に似ていた。
白く、冷たく、正確な線。
水の中から、金属の音が聞こえる。
かちり。
かちり。
かちり。
歯車が噛み合う音が響き始める。
魔導機甲の音だ。
ルミナリスは星の羅針盤を胸に抱いたまま、白い冠と向き合っている。
イグニスの焔が、今度は低く、重くなった。
「器から揺さぶるのか。気に入らねえ」
突如、水の中から、声がした。
『帝国魔導装甲部隊軍司令としての権限を以て貴機官に命令する。私の娘ヴェリットを唯一無二の主人であり保護対象として、貴機官の全機能をもっていかなる時も守りその安全を確保せよ』
それは帝国軍司令の声。
最初に与えられた命令。
『決めましたわ。貴女のお名前をどうしようかってずっと考えていたのだけれど、たった今閃きました。星の涙が輝く乙女……ルミナリス、これが貴女のお名前ね。どう? 気に入ってくれたかしら?』
フィリアの声ではなかった。ソラデアの声でもない。
そう忘れてはいけない、あの方の声だ。
ルミナリスの肩が、わずかに震えた。
柔らかな声でドレスを着こなした美しい乙女が微笑みかけてくる
声は続く。
『貴女は私のためにだけあるのではないのだから、自分の想うようになさっていいのよ? ルミィ』
ヴェリットお嬢様。私は、私は—— 貴女を守り切れませんでした。
白磁のように滑らかな指先が、私の方を向いたまま、静止していた。光に照らされて、まるで眠るように。整えられた指先から、わずかにプラチナムローズの香油が残っていた。
私は……お嬢様の右手だけを握りしめていた。
私は守り切れなかった。
魔導機兵である私に名を下さった、唯一無二のご主人を。
私は—— 失ってしまった。
白い冠の内側で、星の光が一つずつ消えていく。
「クレデンティウム帝国 魔導機兵将官機 コグナル・マグナ七〇三式」
水の奥から声がする。
そして、水面に、金属の腕が映った。
割れた装甲。
白い指。
胸部に刻まれた古い番号。
ルミナリスは、動けなかった。
ルルリアは、息を呑む。
「嘘……うそよ」
イグニスが、低く言った。
「うろたえるな。お前の中身を見ろっ」
その声には、さっきまでの乱暴な軽さがなかった。
水の広間が、冷たい機械音で満たされていく。
凍てつく金冠は、今度はルミナリスの願いへ近づいていた。
魔導機構が動く音。
命令を受け、魔力を流し、関節を動かし、照準を合わせるための音。
ルミナリスの足元に走っていた白い光の線が、規則正しく広がっていく。
魔導回路の白い床の上に、古代アルティメアの文字が浮かぶ。
七〇三式。
自律型魔導機兵。
護衛機能、戦闘補助機能、対象防衛機能。
主登録、ヴェリット。
全てを思い出したのだ。
「用途を示せ」
「命令を示せ」
水面に、金属の腕が映った。
白い装甲。
細い指。
関節の内側に刻まれた魔導刻印。
人の手に似せられているが、人の手ではない。
壊れた胸部装甲から覗くものは、青白いエーテルが渦まく魔導核がある。
少女ではなく、人間ですらない。
壊れかけた魔導機兵。
それでも、その機兵は膝をついていた。
左手しかない腕で、横たわるソラデアの顔を覗き込んでいる。
ルミナリスの喉が震えた。
「ソラデア様……」
名が零れた瞬間、水の広間が冷たく光った。
その名は、水に奪われなかった。
それはもう、奪われるものではなかった。
血。
焼けた床。
崩れた天井。
赤い衣の影。
赤の宰相。
焼けるような赤。
命令を踏みにじる赤。
守るべきものを奪った赤。
魔導機兵は腕を伸ばしていた。
もう動かない腕を。
ヴェリットお嬢様を守るために作られた。
守るために起動した。
守るために戦い、守れなかった。
水面の声が響く。
「用途、喪失」
ルミナリスは、息ができなくなった。
いや、違う。
息ができないのではない。
呼吸が必要ないものとして、水に見られている。
機械であり兵器。命令を果たせなかった器。
水面の中で、壊れた魔導機兵が崩れる。
一度、完全に壊れたのだ。
腕も、脚も、核も、命令も。
守るべき主人も、すべて失った。
その時、胸の奥に生まれたものがあった。
後悔。守れなかった、という痛み。
そして、その痛みの奥で燃え続けていたもの。
赤への憎しみ。
ルミナリスは目を見開いた。
「私は……」
知らなかった。
自分が憎んでいたことを。
赤の宰相を、ヴェリットお嬢様を奪った者を、守るべきものを踏みにじった赤を、知らず知らずのうちに、憎んでいた。
それは、命令ではなかった。
感情だった。
だが、その感情が本当に自分のものなのか、ルミナリスには分からなかった。
魔導機兵が、壊れた兵器が抱いた後悔を、感情と呼んでいいのか。
水面が、さらに深くなる。
そこへ、星のような光が降りてくる。
ソラデアの声がした。
優しく、遠く、祈るような声。
フィリアを、探して。
お願い。
幸せな世界になるように。
助け合える、許しあえる世界で生きていけるように。
その願いが、壊れた躰に触れた。
死んだはずの魔導回路に、光が走る。
砕けた胸部に、花のような光が宿る。
失われたはずの名も、用途も、命令も、別の形で繋がれていく。
それは奇跡だった。
ただし、穏やかな奇跡ではない。
世界の理に触れる、大魔法。
星を削り、願いを押し込み、壊れたものをもう一度立たせる力。
ルミナリスは、それを見て胸を押さえた。
自分は、破壊され、そしてもう一度動き出した。
ヴェリットお嬢様を守れなかった魔導機兵として。
ソラデアの願いを受け取った器として。
フィリアを探すために歩く者として。
ならば。
今の自分は何なのか?
水の声が重なる。
「用途を示せ。命令を示せ。主を示せ。名を示せ」
白い冠が、ルミナリスの胸へ嵌まろうとする。
冠は、頭に載るものではない。
願いに嵌まるもの。
冷気が、ルミナリスの奥へ入る。
ヴェリットを守れなかった後悔。
赤の宰相への憎しみ。
ソラデアの願い。
フィリアを探す使命。
旅の中で見た人々を守りたいと思った心。
それらが凍り、形を問われる。
命令か。借り物か。
自分の願いか。
ルミナリスの指から、星の羅針盤が滑り落ちそうになった。
ルルリアが息を呑む。
水面に映る魔導機兵の姿を、ルルリアも見ていた。
次回、ルミナリスの試練を更に描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
また是非ご一読ください。




