精霊の庭へⅩⅢ ~泉への入り口
「おじいちゃんは、見てて」
「ルルリア」
「見てて。たぶん、それも助けになる」
オルクスは、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに頷いた。
「分かった」
~本文より
ルミナリスは眼を閉じた。
指が羅針盤へ戻る。
「私は、羅針盤に従います」
声は少し震えていたが、足は声の方へ向かなかった。
森の奥で、水音が乱れた。
まるで、何かが不敵に笑ったようだった。
ルルリアはルミナリスの隣へ寄った。
「今の、ソラデアさん?」
「似ていました」
「返事しなかったね」
「イグニスさんが怒鳴ってくれました」
「俺様が怒鳴らなきゃ、危なかったぞ」
イグニスは偉そうに言った。
その焔は、少しだけ荒れている。
「ここは名前と声を盗む。思い出も使う。会いたい奴の声も出す。そういう場所だ」
オルクスは拳を握っていた。
「すまぬ」
ルミナリスは首を横に振る。
「オルクスさんが悪いのではありません」
「それでも、届かぬ」
オルクスの声は硬い。
ルルリアはオルクスを見上げた。
「おじいちゃんは、見てて」
「ルルリア」
「見てて。たぶん、それも助けになる」
オルクスは、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに頷いた。
「分かった」
森の奥で、また水音がした。
今度は近い。
はっきりとした水音。
石の上を流れる音。
深い壺の底へ雫が落ちる音。
ルミナリスは羅針盤を見る。
針は、真っ直ぐ前を指している。
だが、目の前には大きな木があった。
幹は太く、何千年もそこに立っているように見える。
根は地面を覆い、枝は天井のように広がっている。
道はない。
「行き止まり?」
ルルリアが言う。
イグニスは木を睨んだ。
「違う。こいつが道だ」
「木が?」
「中を通る」
「やっぱり嫌なんだけど」
イグニスはルミナリスの羅針盤へ近づいた。
「羅針盤を幹に近づけろ」
ルミナリスは言われた通り、星の羅針盤を幹へ近づける。
針が激しく震える。
幹の表面に、小さな光が浮いた。
星のような点。
それが一つ、二つ、三つと増えていく。
光は線になり、古い木肌の上に円を描いた。
その円の内側から、水音がする。
ルルリアは息を呑んだ。
「木の中に、水?」
「木の中に泉があるわけじゃねえ。泉へ向かう口がある」
イグニスが言う。
「ここから先は、森がもっとしつこい。特におまえら二人」
焔が、ルルリアとルミナリスを順に指す。
「人間種と、妙な器。庭は素直に通さねえ」
「妙な器?」
ルルリアが聞き返す。
ルミナリスも少し首を傾げる。
イグニスは不服そうに火花を散らした。
「細かい話は後だ。今は前を見ろ」
オルクスは木の前に立つ。
その表情は険しい。
「儂は、ここを越えられるだろう」
「そうだろうな」
イグニスが言う。
「おまえは森に近い。だが、手は出すな。こいつらの代わりに答えたら、泉は閉じる」
「分かっている」
オルクスの声は低い。
「分かっていても、嫌なものだ」
「嫌でもやれ。守るってのは、何でも斬ることじゃねえだろ」
その言葉に、オルクスは少しだけ目を細めた。
「おぬしに言われるとはな」
「俺様の重ねた年月を教えてやろうか?」
「そういう意味ではない」
ルミナリスは、木の幹に浮かんだ光の円を見た。
胸元の灼熱の石守が、静かに温もる。
栄光の星の杖が、微かに震える。
星の羅針盤は、もう迷っていない。
ルルリアは右手を握る。
テンフラウの内側で、鋼球が鳴った。
「いつでも戦えるから、言って」
「お前は少し大人しくしろ」
イグニスが即答した。
ルルリアはメル・アラの足元を確かめた。
逃げない。
追わない。
声に返事しない。
前へ進む。
ルミナリスは、静かに言った。
「行きます」
光の円へ手を伸ばす。
木肌に触れたはずだった。
だが、指先は水に沈んだ。
冷たい。
深い。
その水の向こうから、誰かが息を吸う音がした。
ルミナリス。
ルルリア。
今度は、二人の名が同時に呼ばれた。
ルルリアは歯を食いしばる。
ルミナリスは羅針盤を胸に抱く。
イグニスの焔が、二人の前で燃えた。
「返事するな」
乱暴で、短くて、はっきりした声だった。
「名を呼ばれても、おまえらの足はおまえらのもんだ」
その言葉を合図のように、光の円が大きく開いた。
木の中に、水の道が現れる。
暗い水ではない。
澄んでいるのに、底が見えない水。
その向こうで、泉の音がした。
逃げる泉が、初めて立ち止まった。
ルミナリスは一歩を踏み出した。
ルルリアも続く。
オルクスは、後ろで剣の柄を握ったまま、二人を見ていた。
手は出さない。
それでも、その視線だけは離さない。
一行は、木の中の水の道へ入った。
森王の泉は、もうすぐそこにあった。
次回、森王の泉の試練を描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
またお目にかけてください。




