精霊の庭へⅩ ~語られる噂
一行は、ザイム隊商に聞こえぬよう、細心の注意を払っていた。
道で出会った商人へ聞かせてよい内容ではなく、また気軽に語るべきものではない。
ザイムに秘密を聞かせてしまうと、危険に巻き込む可能性がある。
そのための最大の配慮だったが、一つというか一人というか、肝心なものの口を封じていなかった。
原初の焔の主精霊、イグニス。
存在の次元が違いすぎて、そういう配慮をほとんどしなかった。
~本文より
隊商の行き先が途中まで同じということを知ったオルクスが、
「ならば、途中まで共に参ろう。馬鹿どもが仕返しに来ぬとも限らんしな」
そう提案し、しばらく道行を共にすることに成った。
隊商の者たちは、ルミナリス、オルクス、ルルリア、そしてイグニスという、奇妙奇天烈な一行であるにもかかわらず、あれこれ質問をしてこなかった。
培ってきた商才と何らかの情報によるものだろう。
ルミナリスは思考領域に、自分たちの情報が広く知られている可能性を書き込んでいた。
領域は黄色。要警戒だ。
隊商が進むにつれ、道は静かになっていった。
鳥の声が減る。
風の音が近くなる。
木々の幹が、少しずつ太くなる。
星の羅針盤の針は、隊商の進む道の先と、右手の森の奥との間で揺れていた。
ルミナリスはそれを見つめる。
「……分岐までは、まだ大丈夫そうです」
その声は小さかった。
あくまで、仲間へ伝える声だった。
オルクスも静かに頷く。
「道を外れるのは、南の外れのあたりで、よかろう」
ルルリアは周囲を見回した。
「この先、森が深くなるね」
「うむ。街道を外れれば、獣道じゃな」
オルクスの声も低い。
一行は、ザイム隊商に聞こえぬよう、細心の注意を払っていた。
道で出会った商人へ聞かせてよい内容ではなく、また気軽に語るべきものではない。
ザイムに秘密を聞かせてしまうと、危険に巻き込む可能性がある。
そのための最大の配慮だったが、一つというか一人というか、肝心なものの口を封じていなかった。
原初の焔の主精霊、イグニス。
存在の次元が違いすぎて、そういう配慮をほとんどしなかった。
「水の臭いが混じってきたな」
イグニスが、ルミナリスの肩近くで乱暴に焔を揺らした。
「普通の水じゃねえ。古い水だ。森王の泉に近い。このまま精霊の庭へ行けそうだな」
ルミナリスが、少し慌ててイグニスを見た。
「イグニスさん」
「何だ」
「声が大きいです」
「聞こえたら何だ。聞こえただけで泉に入れるなら、世話はねえ」
イグニスは気にした様子もない。
「精霊の庭ってのは、名前を知ったくらいで開くほど安くねえ。場所を聞いて、地図に丸をつけて、はい到着なんて場所じゃないんだよ」
「だからこそ、あまり話さない方が」
「俺様がいるんだ。変な奴が寄ってきたら燃やせばいい」
「燃やさないでください」
「分かってる。少しだけだ」
「少しもだめです」
ルルリアは小さくため息をついた。
「イグニス、強い人って秘密を雑に扱うよね」
「強いからな」
「否定しないんだ」
「弱い奴は隠す。強い奴は通る。俺様は後者だ」
「すごく分かりやすいけど、だめな考え方だと思う」
「知るか」
ザイムは少し離れたところで、その会話の一部を聞いていた。
全てではない。
細かな事情も分からない。
ただ、いくつかの言葉だけが耳に残る。
古い水。
森王の泉。
精霊の庭。
名前を知っただけでは開かない場所。
ザイムは首元のお守りに触れ、しばらく考えてから、ルミナリスたちへ声をかけた。
「差し出がましいことを申しますが」
ルミナリスが振り返る。
「はい」
「皆さまが探しているのは、森の奥にある水場でしょうか」
オルクスの目が、ほんの少しだけ鋭くなった。
ザイムはすぐに両手を軽く上げる。
「詮索するつもりはありません。先ほど、そちらの火の精霊様が水の話をされていたので、少し気になっただけです」
「火の精霊ではない。原初たる焔だ」
イグニスが偉そうに言った。
「失礼しました」
ザイムは丁寧に頭を下げた。
イグニスは満足そうに焔を揺らす。
ルルリアが小声で言う。
「そこは満足するんだ」
「当然だ」
ザイムは話を続けた。
「商人の間で、森の逃げる泉という噂があります」
その言葉に、オルクスの目がわずかに動いた。
イグニスの焔も、少しだけ強くなる。
「続けろ、火トカゲ」
ザイムは頷いた。
「場所を聞いて向かうと見つからない泉です。古い木こりや薬草採りが、時々その話をします。水音は聞こえる。草も濡れている。足元には泉へ続くような湿り気がある。ですが、近づくと水音が遠ざかる」
「森の逃げる泉……」
ルミナリスが小さく呟く。
「はい。追えば遠ざかり、諦めると近づく。探す者には見つからず、迷った者の前にだけ開く。水を汲もうとするとただの湿った窪みになり、怪我人を抱えていると水面が現れる。そんな話です」
ルルリアは腕をさすった。
「怖いんだけど」
「商人としては、近づきたくない場所です」
ザイムは正直に言った。
「荷車がはまったという話もあります。道が一晩で変わったという話も。昔、私の祖父が薬草商から聞いた話では、その泉のそばで名前を呼ばれても返事をしてはいけないそうです」
「名前を?」
「ええ。自分の名前を、自分の声で呼ばれることもあるとか」
ルルリアの顔が引きつった。
「嫌すぎる」
「だから言っただろ」
イグニスが言う。
「水の声に返事するな。森の中で自分の声が聞こえたら、まず罠だと思え」
イグニスの言葉は乱暴だったが、分かりやすかった。
オルクスは、ザイムへ静かに尋ねた。
「その噂は、どのあたりで多い?」
「この先の南分岐から、古い獣道へ入ったあたりです。今は誰も使いません。荷車は通れませんし、道が湿りすぎています。私たちはそこを避けて南へ抜けます」
ザイムは道の先を指した。
「もし皆さまが森の奥へ向かわれるのであれば、その獣道は手がかりになるかもしれません」
ルミナリスは羅針盤を見た。
針は、ザイムの言葉に反応するように、森の奥へ傾いた。
淡い光が、細く震える。
「……示しています」
ザイムは、それ以上は聞かなかった。
商人らしく、必要なところで口を閉じた。
「なら、噂は噂ではなかったのでしょうね」
イグニスがふんと焔を揺らした。
「森の逃げる泉か。人間が勝手につけそうな名前だな」
「違うの?」
ルルリアが尋ねる。
「逃げてるんじゃねえ。選んでるんだ」
「選ぶ?」
「来る奴を見てる。追いかけてくるだけの奴は嫌う。奪う気の奴も嫌う。水を道具だと思ってる奴も嫌う。だから逃げたように見える」
「じゃあ、どうすればいいの」
「追うな。急ぐな。だが、遅れるな」
「矛盾してる」
「精霊ってのはそういうもんだ」
ルルリアが頭を抱える。
オルクスは小さく息を吐いた。
「ザイム殿の話は、大きな手がかりだ」
「お役に立てたなら何よりです」
ザイムは頭を下げた。
「ただし、商人の噂話には、半分は誇張があります」
「もう半分は?」
ルルリアが聞く。
ザイムは少し笑った。
「商売上、残しておいた方がよい真実です」
その答えに、ルルリアも少し笑った。
次回、さらに森の奥へと分け入る一行を描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
また是非ご一読ください。




