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機械少女の涙は蒼穹に還る ~メガリマギアの灯火  作者: しきもとえいき
第20章

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精霊の庭へⅦ ~悪魔の『料理人』

「まだ精霊の領分ではない。外縁だ」


「外縁?」


「自分たちに近づく者を、森が見始める場所だ」


 ルルリアは思わず周囲を見回した。

 葉の間に、何かの目があるような気がした。

 動物ではない。

 人でもない。


~本文より

 アステル・リーフの町外れには、朝靄が残っていた。

 港の匂いは少しずつ薄れ、代わりに湿った土と草の匂いが強くなる。

 道はまだ街道と呼べるほど整っていたが、左右には低い木々が増え始めていた。


 星の羅針盤は、まっすぐな道を嫌がるように震えている。

 ルミナリスが足を止めるたび、針は街道の外へ、細い獣道の方へ傾いた。


「こっちで合っているのですか」


 ルミナリスが尋ねる。


「合ってる」


 イグニスが即答した。


「街道は人間の道だ。泉に行くなら、人間が歩きやすい道から外れろ」


「危なくない?」


 ルルリアが聞く。


「お前たちの身の安全なんぞ知らん」


「そこは安心させてよ」


「安心したいなら旅はやめろ。精霊の泉に近づくんだ。危なくないわけがねえ」


 イグニスは乱暴に言った。

 言い方はひどいが、分かりやすかった。

 オルクスは周囲の木々を見た。


「まだ精霊の領分ではない。外縁だ」


「外縁?」


「自分たちに近づく者を、森が見始める場所だ」


 ルルリアは思わず周囲を見回した。

 葉の間に、何かの目があるような気がした。

 動物ではない。

 人でもない。


 風が止まる。

 草が揺れる。

 枝が、ほんの少しだけ向きを変える。


「見られてる感じがする」


「いい加減に覚えろ。目が無くても見えるんだよ」


 イグニスが言う。


「こっちが森を見る。森もこっちを見る。礼儀みたいなもんだろ」


「礼儀にしては怖い」


「怖がっとけ。怖がる奴は、余計なことをしにくい」


 ルミナリスは羅針盤を見つめた。

 針の先に、薄い光が浮かんでいる。

 それは道ではない。

 しかし、歩くべき方向を示していた。


「この光を追えばいいのですね」


「そうだ。ただし、水の音が聞こえても、すぐ寄るな」


 イグニスが言った。


「森王の泉に近い場所には、ろくでもねえ水があるんだよ。こっちを呼ぶ惑わしの水もあれば、命を食う水もある」


「水が食うの?」


「食うぞ。足からな」


「嫌すぎる」


「だから俺様がいるんだろうが。面倒くせえのは蒸発させてやる」


 ルルリアはテンフラウの右手を軽く握った。

 内側で鋼球が小さく鳴る。


「水に雷を撃ったら?」


「は? お前自分を分かってねえな」


 イグニスが即答した。


「中途半端で脅しにもならねえ。水を怒らせて、森も怒る。全てが面倒になるぞ」


「あたしが弱いってことね」


「ああ、精霊の庭では半端者ですらない」


 オルクスが静かに補足した。


「精霊の領分では、戦うということは慎重に使わねばならぬ。剣も、雷も、火も同じだ」


「はい」


 ルルリアは頷いた。


 メル・アラは前へ進もうとする。

 テンフラウは右手に重い。

 使える。

 でも、使えば何かが動く。

 ルルリアは、その重さを覚えておこうと思った。



 屋根の上には、ルルリアやルミナリスから視線を外さない、黒い鳥が一羽止まっていた。

 普通の鳥ではない。

 羽は煤のように黒く、目は小さな琥珀色に光っている。

 嘴の内側には、悪魔の印が刻まれていた。


 その鳥の目を通して、一人の悪魔がアステル・リーフの外れを眺めていた。


 遠い部屋には、黒い机がある。

 未完成の契約書が、整いすぎた間隔で並んでいる。


 壁に掛けられた鏡には、黒い鳥が見ている景色が映っていた。

 悪魔は椅子に腰かけ、静かに茶を飲んでいた。


「私が出向いてきたのだ。アラン卿にも、一息ついていただこう」


 誰に聞かせるでもない声だった。


 柔らかい。

 丁寧。

 そして、冷たい。


 その声には、自分が動けば十分だという確信があった。

 主の命を待つ従者の声ではない。

 主の望みを先に読み、場を整え、必要なら獲物の喉元まで契約書を運ぶ者の声だった。


 黒い鳥の目は、ルルリアの腰と右手を追う。


 潮翼機甲メル・アラ。

 右手籠手テンフラウ。

 跳ぶための翼。

 雷を纏った鋼球を放つ籠手。


 悪魔はカップを置いた。


「ふむ。悪くない。小鳥が翼を得たか。ついでに、雷の嘴まで」


 羽根ペンが勝手に紙の上を滑り、見えない書き手でもいるのかと思うくらいの速度で、次つぎに書き溜めていく。


 対象一。

 ルルリア。

 完全な人間種。

 新装備、潮翼機甲メル・アラ。

 右手籠手テンフラウ。

 雷性鋼球射出武装。

 逃走性能より救出到達性能に重点。名称保持への執着あり。

 保護欲、罪悪感、恩義あり。


 悪魔は、わずかに微笑んだ。


「逃げるだけの子は、契約しにくい。逃げたいという願いは単純すぎる」


 紙の上で、文字が淡く光る。


「守りたい子は違う。守れなかった時、心がよく割れる」


 黒い鳥の視界が、ルミナリスへ移る。

 星の羅針盤。

 栄光の星の杖。

 白い冥界を越えた気配。

 探している名。

 借り物の使命。


 悪魔の指が、机の上で止まった。


「こちらは、もっと危うい」


 黒い鳥がルミナリスの輪郭を読もうとする。


 その瞬間、視界がかすかに乱れた。

 星の光。古い杖の守り。焔の熱。

 さらに奥にある、読みづらい何か。


 悪魔は楽しそうだった。


「人の形。人ではない気配。精霊の庭なら、隠し事は剥がれるだろうが、その時どんな顔になっているのだろう?」


 対象二。

 ルミナリス。

 人型。魔力構造、不明。

 魂の重なりあり。

 使命依存の可能性。

 精霊の庭にて正体露見の余地あり。


「アラン卿がお喜びになる」


 悪魔は、そこで小さく首を振った。


「とはいえ。今はまだだな。旬な頃に提供しないと。『料理人』の名が堕ちる」


 黒い鳥の視界が、オルクスへ移る。


 老いた精霊人エルフ。

 守護剣聖。古い誓いに縛られた守る剣。


 悪魔は、少しだけ目を細める。


「守れる相手がいる時は強い。守れない場所に立たせれば、よく効く」


 最後に、イグニスの焔が映った。

 黒い鳥の視界が赤く焼けた。

 悪魔は、すぐに視線を逸らす。


「相も変わらず乱暴な火だ。見ているだけで目が焼ける」


 遠い部屋で、悪魔は笑った。

 その笑みは、上品だった。

 上品だからこそ、毒が深かった。


 机の上の未完成の契約書を一枚引き寄せる。

 名前の欄は空白。


「森王の泉。精霊の庭。凍てつく金冠」


 悪魔は、空白の名欄を指先で撫でた。


「そこで、何が剥がれるか見せてもらおう」


 その時、鏡の端を金の線が横切った。


 黒い鳥の嘴に刻まれた悪魔の印が、薄く焼ける。

 悪魔の笑みが、ほんの少しだけ消えた。


「また、帝国の天秤か。人間風情にしては面倒だな」


 鳥はまだ飛べる。

 視界も残っている。


 ただし、肝心なものが削られていた。


 ルルリアの名の輪郭。

 ルミナリスの内側へ触れようとする記録。

 精霊の庭へ続く推察。

 王国残党と象徴を結ぶ線。


 それらは、金の封に包まれている。

 悪魔は、しばらく黙っていた。

 やがて、静かに笑う。


「なるほど、悪魔の文章を切ることまでできるとは」


 銀の羽根ペンが、机の上で一度だけ回された。


「感心、感心。見事というほかはない。私のレシピを邪魔されるのは久々だ」


 それでも、声から余裕は消えない。


「よろしい。名が読めぬなら、願いを見よう。願いは隠しにくい」


 黒い鳥は、朝の空へ飛び立つ。


次回、精霊の庭を目指す一行の苦難を描きます。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

また是非ご一読ください。

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