精霊の庭へⅤ ~覗くものの思惑
「遅いぞ、小鳥。足をもらったなら、とっとと歩け」
「小鳥じゃない」
「なら走れ。庭へ行くんだろうが」
ルルリアは苦笑した。
「イグニス、道は分かるの?」
「だいたい分かる」
「だいたい?」
「うるせえな。精霊の道なんざ、きっちり線が引いてあるもんじゃねえ。星の羅針盤が行く方向を指す。俺様が、危ない水と根っこを避ける。それで十分だ」
~本文より
工房の外で、ルミナリスが星の羅針盤を持って待っていた。
オルクスは静かに通りを見ている。
イグニスは、ルミナリスの肩近くで乱暴に焔を揺らしていた。
「遅いぞ、小鳥。足をもらったなら、とっとと歩け」
「小鳥じゃない」
「なら走れ。庭へ行くんだろうが」
ルルリアは苦笑した。
「イグニス、道は分かるの?」
「だいたい分かる」
「だいたい?」
「うるせえな。精霊の道なんざ、きっちり線が引いてあるもんじゃねえ。星の羅針盤が行く方向を指す。俺様が、危ない水と根っこを避ける。それで十分だ」
ルミナリスは羅針盤を見た。
針は、工房の外へ向いている。
方角ではなく、何かの気配へ引かれていた。
オルクスが頷いた。
「森王の泉という場所へ向かう。そこは、精霊の庭へ続く入口の一つだ。開いているとは限らぬ。だが、星の羅針盤が示し、イグニスが水と火の気配を読むなら、辿り着ける可能性は高い」
「隠れ里も、そこにあるの?」
ルルリアが尋ねる。
オルクスは少し沈黙した。
「分からぬ」
その答えは、はっきりしていた。
「マギア・ルーメで得た手がかりから、精霊の庭にアルゲントルム魔法人の隠れ里がある可能性は高い。だが、儂らはまだ見ていない」
イグニスが割り込む。
「あるだろうよ」
「分かるのですか」
ルミナリスが尋ねる。
「隠れるなら、あそこはちょうどいい。人間の地図は役に立たん。帝国の道具も狂う。悪魔の紙切れも濡れて台無しだ。逃げるには面倒で、守るには悪くない」
ルルリアが眉を寄せる。
「分かりやすいけど、言い方がひどい」
「分かりゃいいんだよ」
イグニスは偉そうに言った。
ルミナリスは、そっと栄光の星の杖に触れた。
「フィリア様の手がかりも、そこにあるかもしれません」
「行って確かめるしかねえ」
イグニスは短く言う。
「悩んでも道は開かん。歩け」
オルクスは遠くを見る。
「王子は、そこに間違いなくおる」
その声は揺れなかった。
「儂が、この手で精霊に預け、森の古きものたちは、王子を受け取った。あの庭が王子を害することはない」
「なら、心配ないんじゃないの?」
ルルリアが言う。
オルクスは静かに首を横に振った。
「問題は時の流れじゃ」
「時間?」
「精霊王の庭は、こちらと同じ時を刻まぬ。一日が一年になることもあれば、百年が朝露ほどで済むこともある。王子が生きていることは疑わぬ。だが、どのような時間を過ごしたかまでは分からぬ」
ルルリアは黙った。
生きている。
それでも、同じままではないかもしれない。
赤子のままか。
幼子になっているのか。
こちらより長い歳月を生きてしまったのか。
オルクスが心配しているのは、死ではなかった。
預けた命が、どんな時間に包まれてしまったのかという不安だった。
ルミナリスは羅針盤を胸元に抱えた。
「それでも、会いに行かなければなりません」
「そうだ」
オルクスは頷いた。
「儂は、そのためにここまで来た」
「私も、フィリア様の手がかりを探します」
イグニスが焔を強くする。
「だったら行くぞ。森王の泉は待ってくれん。精霊の入口ってのは、気まぐれだ。ぼさっとしてると閉じる」
「急ぎましょう」
ルミナリスが歩き出す。
ルルリアも続いた。
メル・アラが、かすかに鳴る。
右手のテンフラウが、小さく重さを主張する。
新しい翼。
新しい籠手。
逃げるためだけではない装備。
ルルリアは、工房を振り返った。
バルカは入口に立っていない。
鍛冶場の中から、もう次の鉄を叩く音が聞こえている。
見送りはない。
ありがたい長話もない。
道具を作り、調整し、送り出した。
それだけだった。
だからこそ、ルルリアは少し笑った。
どうやら、武骨なバルカを気に入ってたらしい。
「行ってくるよ」
小さく呟き、前を向く。
星の羅針盤の針は、街道を外れた森の方角を指していた。
アステル・リーフの夜は、港町特有の湿りを帯びていた。
表通りの灯が消えても、裏の灯は消えない。
商館の奥。
倉庫の隅。
帳簿室の明かりは静かであり、監察局の仮設拠点として文句はない。。
今、この町のあちこちで、人に見えない目が動いている。
その一室で、男が報告を読んでいた。
名は、ヴェルドリク・ゼナ。
帝国監察局局員。
帝国十二星将、金の異端者の配下で、監視者であり、試験官。
机の上には、いくつもの記録片が並んでいる。
西倉庫の記録。支援物資の搬送経路。
ゴルデンオスト商館への出入り。
バルカ・レムノスの工房に運ばれた素材。
そして、先ほど観測された軽量機動装具の初動記録。
ヴェルドリクは、怒っていなかった。
記録核が眠らされた。
通行証の人物照合術式が改変された。
個人名の追跡が曖昧化された。
工房外の微細観測片に気づかれた。
新型機甲の加速性能も、一部を見られただけで追跡を中止された。
どれも、監察局の運用としては失敗に近い。
「興味深いですね」
ヴェルドリクは、細い筆で報告書に一行を書き加えた。
破壊ではなく、沈黙。遮断ではなく、曖昧化。
追跡反応あり。 ただし誘引には乗らず。
筆先が止まる。
「よい試験結果です」
そばに控えていた部下が、わずかに眉を動かした。
「失敗ではありませんか」
「失敗ですよ」
ヴェルドリクは、あっさりと言った。
「ですから、よいのです。成功した試験は、こちらが用意した答えしか教えてくれません。失敗した試験は、こちらの知らない穴を教えてくれます」
部下は黙った。
ヴェルドリクは記録片を一つ持ち上げる。
「記録核は外部破壊に強い。ですが、内部から眠らされる場合に弱い。通行証の術式は、個体識別に偏りすぎています。人数と経路を残したまま、名だけをぼかす改変への耐性がありません」
「改修しますか」
「当然です。ただし、今はまだ触れないでください」
「なぜですか」
「試験は続いています」
ヴェルドリクは別の記録を見る。
潮翼機甲メル・アラ。
製作者、バルカ・レムノス。
素材、銀青鋼、中空魔導骨、帝国規格微細魔導環、火喰い玉石。
特殊火性反応、主精霊に類似。原初の精霊と推測。
その項目で、筆先が止まった。
「原初級、ですか」
ヴェルドリクの目が細くなる。
「白い冥界から戻った一行。古い杖。星の羅針盤。精霊の庭への接近。そこへ原初級の焔。偶然として処理するには、項目が多すぎますね」
「捕縛命令を出しますか」
「出しません」
即答だった。
「今捕らえれば、分かるのは捕らえられた時の反応だけです。動かしましょう。庭へ向かわせてください」
「危険ではありませんか」
「危険だからこそ、試験になります」
ヴェルドリクは記録片を机に戻した。
「金の異端者様へ上げる報告は三つに分けます。一つは機構の欠陥。一つは装具の性能。一つは同行者の異常性」
「アラン卿への共有は」
ヴェルドリクは薄く笑った。
「必要な分だけでよいでしょう。アラン卿は友人ですが、悪魔の目は人間種の名を好みすぎます」
「敵対なさるのですか」
「まさか」
ヴェルドリクは、静かな笑みのまま言った。
「友人だからこそ、渡す札と渡さぬ札を選ぶのです」
部下は深く頭を下げた。
机の上で、小さな観測片がかすかに光る。
バルカ工房の外で砕けたものと同じ型の欠片だった。
ヴェルドリクはそれを指でつまむ。
「ルルリア、ですか」
名前を口にし、記録の上に置く。
「逃げる小鳥ではありませんね。観察結果を修正しましょう」
筆が動く。
対象、ルルリア。旧ゴルデンオスト系斥候技術保持。
解除技術、高。倫理的抵抗、増大。
保護対象への執着、形成。
新装具により、逃走性能ではなく救出到達性能が向上。
ヴェルドリクは、そこでまた笑った。
「面白いですね。ゴルデンオストの密偵さんは」
次回ヴェルドリクの観察をさらに監察する者を描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
また是非ご一読ください。




