金枝の鳥籠ⅩⅥ ~思い出と覚悟と
セフィリアのまつげが、ほんのわずかに伏せられた。
その表情を見て、ルルリアの胸が痛んだ。
嫌いになれたら楽だった。
セフィリアがただの悪人なら、もっと簡単に背を向けられた。
蜂蜜入りの温かいお茶をいれてくれたその手が、鳥籠の扉を閉める手でもあったとしても、助けられた事実まで消えるわけではない。
~本文より
「素材は、約束どおりバルカの工房へ運ばせるわ」
セフィリアが言った。
「監視術式は?」
「入れない」
「ルミィたちの行動は?」
「記録しない」
「完成品の詳細も?」
「残さない」
ルルリアは、じっとセフィリアを見た。
「商人として答えるわ。取引は成立した。こちらは条件を守る」
「約束?」
セフィリアは少しだけ笑った。
「契約じゃなくて、約束なのね」
「そこは普通に、約束するって言ってよ」
「努力するわ」
「もう」
ルルリアは呆れたように息を吐いた。
昔はセフィリアの声の温度を読もうとして、目の動きを追って、怒っていないか、失望していないか、捨てられないか、そればかりを考えた。
セフィリアは怖い。
昔はその期待を裏切ることがもっと怖かった。
雨を避ける屋根をくれる。
空腹を埋めるパンをくれる。
眠る場所をくれる。
生き延びるやり方を教えてくれる。
でも、今では良く解っている。
セフィリアは、そのすべてに、値段をつける。
愛情らしいものまで値札をつけていた。
ルルリアは一歩だけ、セフィリアに近づいた。
「私は戻らない。必要なら取引はする」
「ええ」
「いつかまた、あたしの生きざまを正しく伝えるよ。約束だからね。でも、その時も、私を買おうとしないで」
セフィリアは答えなかった。
沈黙が落ちる。
ルルリアは、その沈黙を見つめた。
昔なら、そこで負けていた。
答えてくれないことが怖くて、笑って、ごまかして、鳥籠の中へ戻っていた。
今は違う。
答えがなくても、自分の足で立っていられる。
「そこも、努力するわ、じゃないの?」
ルルリアが少しだけ皮肉を込めて言うと、セフィリアは困ったように微笑んだ。
「あなた、本当に変わったわね」
「変わったよ」
「寂しいわ」
「うん」
ルルリアは頷いた。
「私も、少し寂しい」
セフィリアのまつげが、ほんのわずかに伏せられた。
その表情を見て、ルルリアの胸が痛んだ。
嫌いになれたら楽だった。
セフィリアがただの悪人なら、もっと簡単に背を向けられた。
蜂蜜入りの温かいお茶をいれてくれたその手が、鳥籠の扉を閉める手でもあったとしても、助けられた事実まで消えるわけではない。
ルルリアは唇を結んだ。
「ありがとう」
声は小さかった。
風が通れば、すぐに消えてしまうほど小さかった。
「お姉ちゃん」
セフィリアは何も返さなかった。
聞こえなかったふりをした。
たぶん、それがいちばん高くつかない返事なのだ。
ルルリアも、無言のまま、ただ、背を向けた。
ルミナリスが隣に立っていた。
何も聞かない。
何も言わない。
選んでいいのだと、ただそこにいる。
オルクスは少し後ろにいた。
必要なときだけ支える距離で、黙って歩き出すのを待っている。
イグニスは宙に浮いたまま、腕を組むように焔を揺らしていた。
「人間どもの別れは湿っていてかなわん。乾かすにも燃やすにも手間がかかる」
「イグニスさん」
ルミナリスがたしなめるように名を呼ぶ。
「事実を言っただけだ」
「ルルリアさんは疲れています」
「だから温めてやった。俺様にしては破格の慈悲だ。感謝して崇めてもよい」
「ありがとうございます」
「素直すぎる。調子が狂う」
ルルリアは少しだけ笑った。
胸の奥の痛みは消えていない。
それでも、笑えた。
セフィリアから離れても、自分は壊れない。
鳥籠から出ても、息はできる。
ミレーネが静かに歩み寄る。
「搬送の手配はすでに済ませております。素材は半刻以内にバルカ様の工房へ」
「早いね」
ルルリアが言うと、ミレーネは涼しい顔で答えた。
「必要になる頃合いかと」
「それ、嫌な言い方」
「失礼いたしました」
「謝るのも早い」
「必要になる頃合いかと」
「そこも読まないでよ」
ミレーネはわずかに目を伏せた。
笑ったのかどうかは分からなかった。
セフィリアが横から言う。
「ミレーネ。余計な札はつけないで」
「承知しております」
「保証印も」
「はい」
「商会の刻印も」
「残しません」
「搬送人は?」
「荷の中身を知らない者を選んでおります。道順も通常搬送と同じに見せます」
「よろしい」
そのやり取りは、流れるようだった。
命じる前から、答えが用意されている。
ゴルデンオストの怖さが、そこにあった。
ルルリアは、その流れを見て息を吐く。
鳥籠には戻らない。
それでも、鳥籠の中で教わった目は、今も自分の中にある。
なら、捨てなくていい。
使い方を変えればいい。
人を売るためではなく。
人を守るために。
「行こう、ルミィ」
「はい」
ルミナリスが頷く。
ルルリアは一度だけ振り返った。
セフィリアは、まだ倉庫の前に立っていた。
蜂蜜色の髪が風に揺れている。
昔のように手を振ることはなかった。
呼び止めることもなかった。
ルルリアも手を振らなかった。
それでよかった。
別れは、いつもきれいな形をしているわけではない。
言えない言葉もある。
返せない言葉もある。
約束できない優しさもある。
それでも、終わったわけではない。
鳥籠の扉を閉めたままの関係では、もうない。
ルルリアは前を向いた。
次回、ルルリア用の機甲が完成するところを描きます。
此処まで読んで頂き、ありがとうございます。




