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機械少女の涙は蒼穹に還る ~メガリマギアの灯火  作者: しきもとえいき
第19章

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金枝の鳥籠ⅩⅤ ~ ルルリアと小鳥の巣

ルルリアは歯を食いしばった。


 昔、セフィリアに教わった。

 術式にも癖がある。

 命令にも欲がある。

 作った者の性格は、必ず仕掛けに残る。


 この札を作った者は、失敗を嫌う。

 空白を嫌う。

 不明を許さない。


 だから、空白を作るのではない。

 霧を作る。


~本文より

 ルルリアは札を見下ろす。


「助けを求めた人のための札で、その人たちを測る気ね」


 札が、小さく冷たく光った。


「逃げる人に渡すんでしょ。怪我した人に渡すんでしょ。お腹空かせた子供にも渡すんでしょ。それで、誰がどこへ行ったか、誰から誰へ渡ったか、あとから全部見るんでしょ」


 ルルリアの手が震えた。

 昔の自分なら、これを便利だと思ったかもしれない。

 よくできていると思ったかもしれない。

 セフィリアに褒められたくて、もっと上手な仕込み方を考えたかもしれない。


 でも、今は違う。

 ルミナリスが、そっと隣に膝をついた。


「ルルリア」


「壊さないよ」


 ルルリアは言った。


「壊したら、知らせる流れがある。だから壊さない」


 針を構える。


「でも、名前は渡さない」


 ルミナリスが静かに頷いた。


「私は、どこを支えればよいですか」


「札の真ん中。そこに個人の癖を集める場所がある。そこは消しちゃだめ。消すと壊れたって分かる。だから、癖を集めるけど、結ばないようにする」


「結ばない」


「うん。誰かが持ったことは分かる。何人が通ったかも分かる。でも、誰が持ったかは分からない。顔も、名前も、手の温度も、全部ぼやけるようにする」


 ルミナリスは札に手をかざした。


「できます」


 その声に迷いはなかった。

 うんと頷き、ルルリアは針を入れた。

 細い術式の道をたどる。

 札の中には、いくつもの小さな部屋がある。

 温度をしまう部屋。

 魔力をしまう部屋。

 受け渡しをしまう部屋。

 最後に、それらを名前へ結びつける部屋。


 その魔力の結び目だけを、ほどく。


 切らない。

 燃やさない。

 潰さない。


 ただ、名前へ届く道を迷わせる。

 イグニスが息を潜めるように焔を細めた。


「妙なことをするな、小鳥」


「何が」


「火なら焼く。剣なら断つ。おまえは、道を迷わせる」


「悪い?」


「いや」


 イグニスは、少しだけ笑ったように揺れた。


「面白いぞ」


 ルルリアは返事をしなかった。

 余裕がなかった。


 札の奥で、術式が抵抗する。

 記録するために作られたものは、記録できない状態を嫌う。

 名を求める。

 顔を求める。

 温度を求める。


 ルルリアは歯を食いしばった。


 昔、セフィリアに教わった。

 術式にも癖がある。

 命令にも欲がある。

 作った者の性格は、必ず仕掛けに残る。


 この札を作った者は、失敗を嫌う。

 空白を嫌う。

 不明を許さない。


 だから、空白を作るのではない。

 霧を作る。


 数は合う。

 通った者はいる。

 札は使われた。

 記録も残った。


 だが、その顔だけが分からない。

 その名だけが届かない。


「……眠って」


 ルルリアは小さく言った。


「あなたは、助けるための札でしょ。だったら、助けた人を売らないで」


 針の先で、最後の結び目が緩んだ。

 札の冷たい光が、一瞬だけ淡くなった。

 そして、何事もなかったように元へ戻る。


 見た目は変わらない。

 術式も残っている。

 記録機構も生きている。

 だが、もう名前には届かない。これで使う者たちの何かを探られることはない。


 ルルリアは大きく息を吐いた。


「……できた」


 その瞬間、膝から力が抜けた。

 倒れる前に、ルミナリスが支えた。


「ルルリア」


「だいじょうぶ。ちょっと、疲れただけ」


「大丈夫ではありません」


 ルミナリスの声は、いつもより少し強かった。


 ルルリアは笑おうとしたが、うまくいかなかった。

 指先が震えている。

 目の奥が痛い。

 肩が重い。


 倉庫の中の目を、眠らせた。

 いくつかの名を、守った。

 でも、それは思っていたよりずっと重かった。

 ルミナリスがイグニスを見る。


「イグニスさん」


「嫌だ」


 即答だった。

 ルミナリスはまだ何も頼んでいない。


「まだ何も言っていません」


「顔で言った。目で頼んだ。気配で押しつけた」


「ルルリアさんを、少し温めてあげてください」


「断る。俺は原初たる焔だぞ。神々も悪魔も面倒がる火だ。湯たんぽでも、疲れた小鳥を温める炉端の火でもない」


「お願いします」


「聞こえんな」


「イグニスさん」


「……その声をやめろ」


 イグニスは不満そうに火の粉を散らした。


「まったく。俺様の火を何だと思っている。癒しだの、温もりだの、軟弱な名をつけるなよ」


 そう言いながら、イグニスはルルリアの近くへ降りてきた。

 焔が、ふわりと広がる。


 熱くはなかった。

 燃える火ではない。

 冷えた指先に、そっと命の端を思い出させるような火だった。


 ルルリアの震えが、少しずつ収まっていく。

 目の奥の痛みが和らぐ。

 肩に張りついていた重さが、ゆっくりほどける。


「……癒しの焔?」


 ルルリアが呟くと、イグニスがすぐに怒った。


「違う。俺様の火だ。癒しなどという軟弱な名前で呼ぶな」


 ルミナリスは、静かに微笑んだ。


「私は、癒しの焔だと思います」


「思うな」


「でも、とても優しいです」


「優しくない」


「はい」


「納得するな」


 ルルリアは、今度こそ少し笑った。


 倉庫の中は、まだ静かだった。

 眠らされた仕掛けたちは、何も言わない。

 薬箱も、武器箱も、補修具も、通行証の札も、見た目には変わらない。


 しかし、いくつかの目は閉じた。いくつかの名は守られた。

 セフィリアは、そのすべてを黙って見ていた。


 ルルリアの針。

 ルミナリスの魔力。

 イグニスの焔。

 オルクスの沈黙。


 白い冥界から戻った者たち。

 原初の焔を連れた者たち。

 帝国式の記録術式を壊さず眠らせた者たち。


 売れば、どれほどの値がつくか。

 商人であるセフィリアには、分かってしまう。


 今は売らない。少なくとも、今は。


 高すぎる商品は、安い買い手に流せば価値が壊れる。

 よい商品は、もっとも高くなる時まで、傷をつけずに守るもの。


 そして、その商品が、かつて自分の鳥籠にいた小鳥なら。

 なおさら、簡単には手放せない。

 セフィリアは心の中の帳簿を開いた。


 ルルリア。買戻し不可。

 観察継続。干渉制限。

 ただし、危急時は例外。


 そこまで記して、セフィリアは静かに帳簿を閉じる。


 ルルリアはまだ、ルミナリスに支えられていた。

 疲れ果ててはいたが、その目はもう鳥籠の中で笑う小鳥の目ではない。


「終わったよ」


 ルルリアは、セフィリアに言った。


「これで、荷は流せる。数は合う。見た目も変わらない。でも、誰の名前にも届かない」


 セフィリアは頷いた。


「見事ね」


「褒めなくていい」


「褒めているのではないわ。評価しているの」


「もっと嫌だよ」


 ルルリアは顔をしかめた。

 セフィリアは、少しだけ笑った。


「そう。なら、取引は成立ね」


「素材は?」


「すべて、バルカの工房へ運ばせるわ。監視術式なし。保証印なし。商会の刻印なし。火喰い玉石の件も、帳簿には載せない」


「完成品の詳細も」


「残さない」


「ルミィたちの行動も」


「記録しない」


「約束?」


 セフィリアは、ほんの少しだけ沈黙した。


「約束は、破ると高くつくものよ」


「そこは普通に約束してよ」


「努力するわ」


「もう」


 ルルリアは呆れたように息を吐いた。

 セフィリアは商人だ。

 優しい。

 怖い。

 助けてくれる。

 値段もつける。


 でも、もう戻らない。自分の居場所ではないのだ。

 ルルリアは腰の巻貝に触れた。

 そして、ただ逃げるだけでもない。


「私は戻らない」


 倉庫の静けさの中で、ルルリアは言った。

 セフィリアが、静かにこちらを見る。


「でも、必要なら取引はする」


「ええ」


「その時も、私を買おうとしないで」


 セフィリアは答えなかった。

 その沈黙を、ルルリアはもう怖がらなかった。


 怖くないわけではない。

 セフィリアは今でも怖い。

 優しいから、なおさら怖い。

 でも、怖くても立っていられる。


 ルミナリスが隣にいる。

 オルクスが後ろにいる。

 イグニスの焔が、まだ指先を温めている。


 ルルリアは、自分の足で立ち直った。

 西倉庫の目は、もう眠っている。

 外へ出れば、また見られるだろう。

 帝国の目も、商会の目も、もっと奥にある名前のない目も。


 それでも、今日、少なくともいくつかの名前は、どこにも売られずに済んだ。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

また是非ご一読ください。


次回、ルルリアのけじめは監視する者たちの感心をかいます。

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