金枝の鳥籠ⅩⅢ ~覗くものの痕跡
ルルリアは錠前に細い針を入れた。静かに音一つ鳴らさない。
音を立てる開け方は、錠への勉強不足だと、昔セフィリアに教わった。
鍵穴の奥に触れる。
金属の舌をなだめる。
術式の端を指で押さえ、記録の糸を切らずに、結び目だけを緩める。
錠前が、滑るように開いた。
~本文より
西倉庫の扉は、飾り気のない鉄でできていた。
倉庫というより、閉じられた箱に近い。
荷を守るための扉。雨風を防ぐための壁。盗人を退けるための錠。
ルルリアはその前に立った瞬間、喉の奥がひりついた。
守るためだけの倉庫ではない。
扉も、壁も、積まれた木箱も、吊るされた札も、まるで何気ない顔をしているのに、全部がこちらの足音を待っている。
探るためのものでもある。
「……オバリム好みだね」
ルルリアは小さく呟いた。
隣にいたルミナリスが、少し首を傾げる。
「オバリム、ですか」
「ゴルデンオストの裏の目。表の荷車じゃなくて、荷車が何を隠して運んでいるかを見る人たち。こういう倉庫、好きなんだよ。きれいで、静かで、どこに立ったかまで分かるようになってる」
ルルリアは扉に触れなかった。
指先を近づけるだけで、錠前の内側に細い術式の気配があると分かる。
鍵を開ける者を記録するもの。
鍵を持つ指の力を測るもの。
扉を押す体重の癖を拾うもの。
普通の盗人なら気づかない。
気づいたとしても、壊す。
だが、壊せば知らせる流れがある。
ルルリアはそれを知っていた。
「準備はよろしいかしら?」
セフィリアが、いつものやわらかな声で尋ねた。
ルルリアは振り返らなかった。
「うん。でも、ミレーネさんは外で待ってて」
帳簿室の女ミレーネは、少しだけ目を伏せた。
「承知しました」
その返事は、あまりに早かった。
もとからそうなると分かっていたようだった。
セフィリアは何も言わない。
ただ、扉の前に立つルルリアを見ていた。
「中に入るのは、私と、ルミィと、おじいちゃんと、イグニス。それからセフィリアだけ」
「私も?」
「うん。見届ける人は必要でしょ。だけど、増やしたくない。見た人が増えれば、守らなきゃいけない口も増えるから」
セフィリアの蜂蜜色のまつげが、ほんの少しだけ揺れた。
「よく覚えているのね」
「忘れたかったけどね」
ルルリアは錠前に細い針を入れた。静かに音一つ鳴らさない。
音を立てる開け方は、錠への勉強不足だと、昔セフィリアに教わった。
鍵穴の奥に触れる。
金属の舌をなだめる。
術式の端を指で押さえ、記録の糸を切らずに、結び目だけを緩める。
錠前が、滑るように開いた。
倉庫の中から、乾いた木と油と薬草の匂いがあふれ出す。
イグニスが火花を散らした。
「つまらん匂いだ。湿った木、古い油、気の抜けた薬。火にくべても大して鳴かん」
「鳴くんですか、物は?」
ルミナリスが真面目に尋ねると、イグニスは当然のように胸を張った。
「鳴く。そしてよい火は歌う。悪い火は喚く。嘘の火は、笑う」
「嘘の火……」
「あるぞ。この中にな」
ルルリアの背筋に、細い緊張が走った。
セフィリアが扉を押し開ける。
灯りが倉庫の奥へ伸びた。
中は整いすぎていた。
薬箱は薬箱だけで積まれている。
武器箱は武器箱だけで並んでいる。
補修具は種類ごとに分けられ、通行証や配給札を収めた小箱は入口に近い棚へ置かれている。
一見すれば、実に使いやすい倉庫だった。
急ぎの支援物資を運び出すには、理想的な配置。
ルルリアには分かった。
入口から薬箱へ向かう者。
薬箱から武器箱へ目を移す者。
補修具を確認する前に通行証へ手を伸ばす者。
棚の前で迷う者。
迷わず奥へ進む者。
全部、見られる。
これは荷のための配置ではない。
人を見るための配置だ。
「……嫌な置き方」
ルルリアは低く言った。
オルクスが倉庫の奥を見渡す。
「罠か」
「罠っていうより、試験かな。ここに来た人が、何を必要として、何に怯えて、何を隠そうとしてるかを見るための場所」
「商人の仕事ではないな」
オルクスの声は静かだった。
セフィリアは否定しない。
「商人は見るわ。でも、これは少し、見すぎている」
「知ってて置いたの?」
ルルリアの声が尖った。
セフィリアは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「流れてきた荷を、止められないときもあるのよ?」
「止めないのと同じでしょ」
「いいえ。同じではないわ。でも、あなたが怒るには十分ね」
ルルリアは唇を噛んだ。
怒りたかった。
もっと責めたかった。
どうして、と聞きたかった。
しかし、今それをしても、荷は眠らない。
札は人の名を測り続ける。
このまま流れれば、ノビリスたちのもとへ、支援物資の顔をした目が届く。
ルルリアは息を吐いた。
「ルミィ。魔力の流れ、見える?」
「はい」
ルミナリスは一歩前へ出た。
その瞳が、倉庫の中に満ちる細い魔力の線を追う。
普通の者には見えない流れ。
箱から箱へ、札から棚へ、棚から床へ、床から壁の奥へ。
まるで倉庫全体が、大きな蜘蛛の巣になっているようだった。
「入口の錠から、床へ流れています。そこから薬箱の底、武器箱の柄、補修具の杭、それから……あの小箱です」
ルミナリスが指したのは、通行証を収めた棚だった。
ルルリアの顔がこわばる。
「やっぱり」
イグニスがふわりと宙に浮き、倉庫の中央まで進んだ。
小さな焔の姿が、暗い空気の中で揺れる。
「木箱は木の燃え方をする。鉄は鉄の燃え方をする。薬は薬の燃え方をする」
イグニスはつまらなそうに言いながら、ふと薬箱の前で止まった。
「だが、こいつは違う」
「何が違うんですか」
「底が笑っている。薬のふりをして、人の匂いを食う気でいる」
次回、一行が帝国の匂いをかぎ取る場面を描きます。
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