↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
機械少女の涙は蒼穹に還る ~メガリマギアの灯火  作者: しきもとえいき
第19章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
170/237

金枝の鳥籠Ⅸ ~甘い思い出

「久しぶりね、ルルリア」


 声は、記憶の中と少しも変わっていなかった。


「少し、背が伸びたかしら」


 ルルリアは唇を動かした。

 最初に出そうになったのは、昔の呼び方だった。

 セフィリア様。


~本文より

 アステル・リーフの裏路地は、表通りより静かだった。

 だが、その静けさの質が違う。

 人がいないのではない。

 見られているのに、見ている者が見えない。

 ルルリアは歩きながら、小さく呟いた。


「……やっぱり。車輪の向こう側……オバリムの歩き方だ」


「分かるのですか」


 ルミナリスが尋ねる。


「分かるよ。あれ、道を歩いてるんじゃない。視線と噂の隙間を歩いてる」


「視線と噂の隙間?」


「うん。人に見られてるようで、ちゃんとは見られない場所。聞かれてるようで、肝心なところは聞かれない他人との距離。そういうのを選んで歩いてる」


 ルルリアは苦笑した。


 車輪の向こう側。

 表の荷車が走る道ではなく、その荷車が何を隠して運んでいるかを読む者たち。

 ゴルデンオストでは、そういう裏の目をオバリムと呼んでいた。


「私も昔、さんざんやらされた」


 その声に、懐かしさなどはなかった。

 あるのは、苦い記憶だけだ。


 やがて一行は、港から見えた商館の前に着いた。

 潮に汚れた町の中で、そこだけが奇妙に清潔だった。

 窓枠は磨かれ、扉の真鍮は光り、入口には蜜色の布が掛けられている。


 看板には、鳥籠の中に止まる小鳥。

 ほんの少し、鼓動が早くなる。

 ルルリアは、その前で足を止めた。

 ミレーネが振り返る。


「どうかなさいましたか?」


「いや、何も」


 ルルリアは、少しだけ笑った。


「昔さ、ここに似た場所で、初めてセフィリア様に蜂蜜入りのお茶をもらったんだよね」


「覚えておいでなのですね」


「忘れられないよ。あの時は、あんなに甘いものがこの世にあるんだって思った」


 ルミナリスはルルリアを見た。


 ルルリアは、目の前の扉ではなく、もっと遠い場所を見ているようだった。


「でも今思うと、あれも訓練だったのかもね」


「訓練?」


 ルミナリスが問う。


「甘いものをもらった子どもは、次にその人が何を言うか、ちゃんと聞くでしょ」


 ルルリアは自嘲気味に笑った。


「私、よく聞いたんだ。すごくよく」


 ミレーネは何も言わない。

 沈黙そのものが、答えだった。


 イグニスがルルリアに低く言った。


「辛気臭く思うなら言え。全部灰にしてやる」


「焼かれると困るから、焼かないで」


「約束はしねえ」


「約束しないと連れていけないよ? 誓いに縛られる精霊でしょ」


 イグニスがバチバチと火花を散らした。


「俺は今、ルミナリスに付いてる。こいつの言うことしか聞かない」


 ルミナリスが真っすぐにイグニスの小さな目を見つめて告げた。


「はい。では、我々に危険が及ばないかぎり、何も燃やさないでください」


「少しぐらいなら燃やしてもいいよな?」


「いいえ、駄目です。何も燃やさないでください」


「……細かい娘だな」


「はい。必要なことです」


 イグニスは不満げに火花を散らしたが、それ以上は言わなかった。

 ルルリアはそのやり取りを聞きながら、一度だけ目を閉じた。

 あのころとは違う。

 自分には仲間がいる。


 ルルリアは、腰に下げた翡翠色の巻貝に指を触れた。

 潮牙の荒っぽい別れの言葉が、まだ耳に残っている。


 取られるな。

 今、この扉を開けるかどうかは、自分で決められる。


 戻るためではない。

 自分の中に何が残っているのか確かめるために、この扉を開けて、あの人に問いただす。

 ルルリアは顔を上げた。


「よし。行こっか」


「大丈夫ですか」


 ルミナリスが真顔で聞いた。


「大丈夫じゃないって言ったら、ルミィ、連れ帰ってくれる?」


「必要なら」


「言うと思った。だから言わない」


 ルルリアは扉に向き直った。


「大丈夫じゃなくても、行く。行かなきゃ……駄目なの」


 ミレーネが扉を開く。

 中から、冷えた香の匂いが流れてきた。

 潮と鉄の町には似合わない、甘く、整った匂い。


 商館の中は、外の喧騒から切り離されていた。


 床には厚い敷物。

 壁には航路図と取引証文。

 棚には茶器、宝石箱、封蝋、細い鎖で束ねられた帳簿。

 奥には丸い卓があり、その上に白磁の茶器が並べられている。


 そして、その卓の向こうに、女が座っていた。


 蜂蜜色の髪。

 柔らかな金の光を帯びた髪が、肩の上でゆるく波打っている。

 肌は白く、目元は穏やかで、唇には控えめな笑みがあった。


 年の離れた姉のような美しさ。

 誰かが迷った時、そっと手を差し出してくれそうな優しさ。


 だが、ルルリアは知っている。

 その手は、人を助ける。

 そして助けた相手が、次にどこへ歩くかまで測る。


 セフィリアは立ち上がらなかった。

 ただ、懐かしいものを見るように、ルルリアへ微笑んだ。


「久しぶりね、ルルリア」


 声は、記憶の中と少しも変わっていなかった。


「少し、背が伸びたかしら」


 ルルリアは唇を動かした。

 最初に出そうになったのは、昔の呼び方だった。

 セフィリア様。


 それは、まだ口の中に残っていた。

 だが、ルルリアはそれを噛み砕いて飲み込んだ。


「久しぶり」


 短く、そう言った。

 セフィリアはわずかに目を細める。


「あら。“様”は置いてきたのね」


「もう部下じゃないから」


「そう」


 セフィリアは楽しげに微笑んだ。


「では、お客様として迎えなければいけないわね」


 優雅な仕草で、卓の上の茶器へ手を伸ばす。


「蜂蜜は入れる?」


 その一言で、ルルリアの胸の奥に、遠い記憶が刺さった。


 雨の日。

 濡れた髪。

 空腹で震えた躰。

 差し出された温かい茶。

 優しい声が胸の中に木霊する。


 もういいのよ。

 安心してね。

 よくできました、ルルリア。

 いい子ね。


 ルルリアは拳を握った。

 そして、笑った。


「いらない」


 声は軽く、はっきりしていた。


「今は、甘すぎるの苦手なんだ」


 セフィリアは、一瞬だけ黙った。

 それから、ひどく寂しそうに、その後嬉しそうに微笑んだ。


「そう」


 白磁の茶器に、琥珀色の茶が注がれる。


「大人になったのね」


 ルルリアは席につかなかった。

 ルミナリスとオルクスもまた、立ったままだった。

 イグニスはルミナリスの肩近くで、静かに燃えている。


 商館の外では、潮風が金枝の小鳥の看板を揺らしている。

 その音は、ここまでは届かない。

 届かないはずなのに、ルルリアには聞こえる気がした。

 鳥籠の扉が、静かに閉じる音が。


次回、ルルリアとセフィリアを描きます。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

また是非ご一読ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。