金枝の鳥籠Ⅶ ~蜂蜜色の招待
ミレーネは三人を見比べた。
ルミナリスに視線を止め、オルクスへ一礼し、イグニスを見たところで、ほんのわずかに呼吸を止めた。
やはり、知っている。
原初たる焔だということを。
海を沸かし、海神を火傷させた神話の災い火。
どこまで、網を張っているのか。情報の入手には手抜かりなど無いのだろう。
ミレーネは一呼吸ですぐに表情を整えた。
帳簿室の女だ。
~本文より。
鉄扉の外に立っていた女は、笑っていた。
アステル・リーフの潮と鉄の匂いには似合わない、ひどく整った笑みだった。
蜜色の布を肩にかけ、髪はきっちりと結い上げられている。襟元には、鳥籠の中に止まる小鳥の留め具が光っていた。
ゴルデンオスト商会。
ただの金枝の小鳥ではない。鳥籠の紋。
ルルリアは、その紋を見ただけで喉の奥が少し詰まった。
あの鳥籠の紋を見ると、胸の奥が冷える。
まるで、消えたはずの小さな爪が、魂の壁を内側からひっかいたように。
ルルリアは、その感覚を押し込めて笑った。
「……久しぶりって言われても、私、あなたの顔に覚えがないんだけど」
軽く、少し意地悪く、いつもの自分の声に近づける。
女は微笑みを崩さない。
「ミレーネと申します。セフィリア様の帳簿室で、近年よりお側に置いていただいております。ルルリア様がこちらを離れられた後に、拾っていただきました」
「へえ。じゃあ、私の後釜ってわけだ」
「恐れ多いことでございます」
「その返し、嫌味? それとも本気?」
「どちらでも、お好きな方でお受け取りください」
「うわ、やだなあ。セフィリア様のところって感じ」
口は動く。笑えている。
昔覚えた顔が、ちゃんと使える。
そのことに、ルルリアは少しだけ嫌になる。
ミレーネは三人を見比べた。
ルミナリスに視線を止め、オルクスへ一礼し、イグニスを見たところで、ほんのわずかに呼吸を止めた。
やはり、知っている。
原初たる焔だということを。
海を沸かし、海神を火傷させた神話の災い火。
どこまで、網を張っているのか。情報の入手には手抜かりなど無いのだろう。
ミレーネは一呼吸ですぐに表情を整えた。
帳簿室の女だ。
恐怖にも、値札をつける訓練を受けている。
「原初の焔イグニス様にも、ご挨拶を」
「いらん」
イグニスが吐き捨てる。
「お前の声は湿っている。燃えにくくて不愉快だ」
「光栄に存じます」
「褒めてねえ」
「存じております」
ルルリアは思わず顔をしかめた。
「ほんと、セフィリア様のところの人って、怒鳴られると礼を言うよね。相手の棘を飾りに変えるの、やめた方がいいよ。普通に嫌われるから」
「嫌われることも、相手を知るための手段です」
「うん。すごく嫌い」
「ありがとうございます」
「だから、ありがとうじゃないんだって」
ミレーネは柔らかく頭を下げた。
その所作に、無駄がない。
かつて自分も叩き込まれた動きだった。
相手に敵意を向けられても、折れない。
怒りを受け止め、流し、形を変えて返す。
相手が疲れた時、ようやく本題を差し出す。
ルルリアは、それを知っている。知っているから、腹が立つ。
ミレーネはバルカへ視線を向けた。
「バルカ様」
「何だ」
「セフィリア様より、必要なものはご用意いたしますと、お伝えするよう申しつかっております」
「俺はまだ何も頼んでねえぞ」
「はい。承知しております」
ミレーネは微笑んだ。
その笑みが、ルルリアの胸の奥を冷やした。
頼んでいない。
まだ照会もしていない。
しかし、この女は返答を持ってきている。
聞かれていたか、あるいは、読まれていた。
その両方かも知れない。
「おい」
バルカの声が低くなる。
「盗み聞きか」
「いいえ。商館に届いた情報と、町の在庫、バルカ様の過去の仕入れ傾向、潮牙商会の到着、ルルリア様のお戻り、そして先ほどのお話の断片から、セフィリア様が推測なさいました」
「つまり盗み聞きだろ」
「推測でございます」
「言い方を磨いた盗み聞きだ」
「ありがとうございます」
「褒めてねえ」
バルカの眉間に深い皺が刻まれる。
ルルリアは、乾いた笑みを浮かべた。
「うわあ……やってる。すごくやってる。セフィリア様、相変わらず性格悪い」
「セフィリア様は、必要なものを必要な時に差し出すことを商いの基本となさっております」
「必要って言うの、便利だね。鎖にも餌にも値札にも使える」
「信用にも使えます」
「その信用、鳥籠の形してるんだけど」
ミレーネは答えず、手にした細い革筒を胸元で軽く支えた。
「具体的な詳細は分かり兼ねますが、帝国規格の微細魔導環、純度の高い魔鉄鋼、傷のない火喰い玉石などは、いずれも、当商会の倉庫にございます」
工房の空気が、わずかに変わった。
バルカの片目が細くなる。
ミレーネは続ける。
「ただし、火喰い玉石につきましては、原初の焔を受けた前例がございません。セフィリア様は、その結果について大変興味をお持ちです」
「興味?」
イグニスの焔が、低く揺れた。
「俺の火を商人の玩具にする気か」
「いいえ」
ミレーネは即座に頭を下げた。
「原初の焔を所有することなど、当商会の帳簿には不可能として記載されております。観測、保存、複製、封入、いずれも不可。ゆえに、セフィリア様はただ、火喰い玉石が一瞬だけ焔の性質を受けた場合、龍の血の暴れをどの程度鎮められるのかを知りたい、と」
「観測する気ではないか」
「記録は、バルカ様の許可がある範囲に限ります」
「許可など出さねえ」
「では、記録いたしません」
「信用できるか」
「信用していただくために、条件をご相談したく」
「鎖ではない。信用です、ってか?」
バルカは吐き捨てるように言った。
ミレーネは小さく笑った。
「さすが、職人のお言葉です」
「褒めるな。気持ち悪い」
ルルリアは苦笑した。
「火花おじさん、さっそく相性悪そう」
「その呼び名を広めるな」
「もう広まったよ。私の中で」
「一番厄介な広まり方だな」
軽口を言いながら、ルルリアはミレーネの持つ革筒を見ていた。
細い革筒。
鳥籠の封蝋。
その紐の結び方。
普通の契約書ではない。
取引条件と、招待状と、相手の反応を測るための文書。
セフィリアのやり方だ。
次回セフィリアの心の戦いを描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
また是非ご一読ください。




