金枝の鳥籠Ⅲ ~戸惑いのルルリア
看板らしきものはない。
ただ、扉の中央に炭で乱暴な文字が書かれていた。
用のない奴は帰れ。
金のない奴も帰れ。
つまらん依頼の奴はくたばれ。
~本文より
鉄を叩く音が、町の奥から響いていた。
かん、かん、かん、という軽い音ではない。
岩の骨を砕くような、重く、荒い音だった。
アステル・リーフの道は、進むほどに狭く、湿っぽくなっていく。
上の通りには商館や宿が並び、港に近い場所には帳簿係と荷運びがいた。だが奥へ入るほど、町は職人の腹の中へ潜っていくようだった。
壁には錆びた歯車。軒先には外された義手。
魚油の煙と、焼けた魔導線の匂い。
足元の石畳には、黒い油が染みついている。
ルルリアは、胸元に抱えた革袋をそっと押さえた。
中には龍の血がある。
カルサから渡された時は、重いと思った。
ただ、存在が重いのだ。
潮喰みに宿っていた海の精霊。
龍の血で魂を濁らされ、船の心臓として縛られていた、あの巨大な魚の姿が脳裏にちらついている。
力は、便利なものではない。扱う者を選ぶ。
そう言ったイグニスの声が、耳の奥に残っていた。
「……怖いなあ」
ルルリアは、小さく呟いた。
すぐ隣を歩くルミナリスが顔を向ける。
「ルルリア?」
「あ、ごめん。声に出てた?」
「はい」
「うわあ、恥ずかしい。今のなしで」
「怖いのですね」
「そこ、確認しないでほしかったなあ」
ルルリアは苦笑した。
ルミナリスは、まっすぐにこちらを見る。
この子は、こういう時に逃げ道を塞ぐ。責めるためではない。
ただ、こちらが嘘で自分を誤魔化す前に、そっと本当の言葉を置いてくる。
嫌ではないのだが、時々痛い。
「うん、怖いよ」
ルルリアは正直に言った。
「龍の血も怖いし、ゴルデンオストも怖いし、古巣の影が見えたのも怖い。あと、火花をまき散らしている鍛冶屋のおっちゃんが、本当に原初さんみたいな、火花のおっちゃんっぽかったら、それもちょっと怖い」
「最後の方には、まだ会っていません」
「会う前から分かることってあるじゃん」
ルミナリスが少し首を傾げる。
オルクスが後ろから静かに言った。
「偏見とも言うがな」
「おじいちゃん、急に正論で刺さないで」
ルルリアは肩をすくめる。
その肩の近くを、イグニスがふわりと横切った。小さな焔は、町の湿った空気がよほど気に入らないらしく、ずっと不機嫌に燃えている。
「火花ごときで怖がるな、小娘」
「イグニス神話基準で言われても困るよ。あなたが数えるの、神様とか悪魔とかいろいろでしょ?」
「燃えやすくて薄っぺらな奴らを、神とか悪魔とか怖がることが間違ってんだ」
「うん、その発想がもう原初」
イグニスはふん、と炎を尖らせた。
「だが、用心するのは悪くない。忘れた奴から、色々に呑まれる」
ルルリアは少しだけ目を見開いた。
「……それ、ちゃんと助言?」
「そう聞こえたなら、ありがたく受け取れ」
「分かった。ありがたく受け取っとく」
言いながら、ルルリアは自分の胸元に触れた。
かつて、知らぬ間に体内へ仕込まれていた監視の妖霊。
宿主の魂を少しずつ削り、最後には宿主自身を同じ隠れ鬼へ変えてしまう、陰湿な呪い。
それは、ルミナリスとオルクスによって解かれ、消滅した。
あの時、ルルリアは初めて知った。
自分がどれほど深く、ゴルデンオストの鳥籠に閉じ込められていたのかを。
そして、あの時からだった。
胸に秘めた問いが生まれたのは——。
あなたは私に何を望んだのか。何を思って私を育てたのか?
今、自分の中には別の呪いがある。
でも、魂の内側からこちらを覗く妖霊は消えている。
ルミナリスとオルクス。
アルゲントルム魔法人の変わった少女と、伝説のエルフの大剣士は何も求めない。己の為すことに責任を持てと、言葉ではなく行動で嫌と言うほど見せつけてくる。
だから、あたしは—— 逃げるためではなく、この二人の隣に立つために力が欲しい。
行きかう人々の値踏みをするかのような、投げかけられる目線、
ギシギシ音を立てる荷車の陰から覗く殺意。
気付いてしまうし、見えてしまう。
この、胸の奥が冷える感覚。
自分の歩き方、自分の言葉、自分の笑い方まで、誰かの帳簿に記録されているような感覚。
古巣の荷札を見ただけで、それは戻ってくる。
「ルルリア」
オルクスが静かに呼んだ。
「うん?」
「足が止まりかけておる」
「あ、ほんとだ」
ルルリアはわざと軽く笑った。
「やだなあ。私、意外と繊細なんだ。そういうの見逃してくれてもいいんだよ?」
「見逃してほしいのか」
「……ううん」
少し迷って、首を横に振る。
「見てて。たぶん、その方が戻ってこられる」
オルクスは頷いた。
「心得た」
はっきりとした短い言葉だった。
だが、それで十分だ。
ルルリアはほっとした表情で歩みを進める。
道はさらに下へ続いた。
岩礁の腹の中へ潜るような階段を降りる。
壁には、古い魔導灯が青白く灯っている。灯りの周りには小さな虫が集まり、その死骸が黒い粉のように積もっていた。
やがて、鉄扉が見えた。
巨大な頑丈そうな扉だった。
表面には古い船板、魔導機甲の装甲片、折れた錨、獣人用の大斧の刃が無造作に打ちつけられている。
看板らしきものはない。
ただ、扉の中央に炭で乱暴な文字が書かれていた。
用のない奴は帰れ。
金のない奴も帰れ。
つまらん依頼の奴はくたばれ。
ルルリアは、それを読んで真顔になった。
「うん。火花おっちゃんだ」
「まだ分からぬだろう」
オルクスが言う。
「いや、これはもう火花おっちゃんでしょ。文字に火花散ってるもん」
「炭で書いてあるだけです」
ルミナリスが真面目に言った。
「ルミィ、そういう正確な指摘、好きだけど今は違うんだよ」
ルルリアは扉の前に立った。
叩こうと手を上げる。
その瞬間、扉の向こうから声が飛んできた。
「叩くな。響く」
次回、鍛冶師とルルリアを描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しでも面白く読んでもらえたなら、嬉しく思います。
ツイデニ、ブックマークなんてものも、入れてくれると更に嬉しいです。
誤字脱字の達人より。




