金枝の鳥籠Ⅱ ~ルルリアの決意
カルサは吐き捨てるように言った。
「命がいくつあっても足りやしねえ。白い冥界を越えろだの、神域に行くだの、原初の焔を船に乗せるだの、海の精霊が戻るだの。船乗りの仕事じゃねえ。神話級の迷惑だ」
「神話の迷惑って、なかなか体験できないよ?」
「褒めてねえ」
カルサは、そこで口の端を少しだけ上げた。
「ただし、うまい飯を食って酒を飲みたいってんなら、いつでも来い。客としてなら歓迎してやる」
~本文より
カルサは東の空を見た。
「この先に、ポルト・ゼルヴァの東にある岩礁町がある。アステル・リーフだ」
「アステル・リーフ。鉱床の街だと記憶しています」
ルミナリスが繰り返す。
「ああ。岩にへばりついたような、鉄と潮と金の町だ。船具、魔導機甲、密輸品、傭兵の仲介。ろくでもねえものが集まる、くそだまりだが、腕のいい魔導機甲の鍛冶師がいる」
カルサはルルリアを見た。
「お前、もう少し戦えるようになりたいんだろ」
ルルリアは、腰の巻貝に触れながら頷いた。
「うん。前で殴り合いたいわけじゃないよ。でも、誰かが落ちそうになった時、一歩くらいは間に合いたい」
「なら、その鍛冶師を訪ねろ」
カルサは顎をしゃくる。
「名前はバルカ・レムノス。信用はするな。利用しろ。金と素材と面白そうな依頼があれば動く。帝国にもゴルデンオストにも完全には属してねえ」
ゴルデンオスト。
その名を聞いた瞬間、ルルリアの指が止まった。
ルミナリスはそれに気づいた。
オルクスも、イグニスも。
「金臭い名だな」
イグニスが吐き捨てる。
「嘘の臭いも混じってやがる」
ルルリアは笑おうとした。
「うん。だいたい合ってる」
だが、笑みは少しぎこちなかった。
カルサはそれ以上は聞かなかった。
ただ、サメのような鋭い目でルルリアを見た。
「港に着いたら、俺たちはここまでだ」
「うん。分かってる」
「お前たちとの仕事は二度と受けねえ」
ルルリアが目を丸くする。
「え、そこまで?」
「そこまでだ」
カルサは吐き捨てるように言った。
「命がいくつあっても足りやしねえ。白い冥界を越えろだの、神域に行くだの、原初の焔を船に乗せるだの、海の精霊が戻るだの。船乗りの仕事じゃねえ。神話級の迷惑だ」
「神話の迷惑って、なかなか体験できないよ?」
「褒めてねえ」
カルサは、そこで口の端を少しだけ上げた。
「ただし、うまい飯を食って酒を飲みたいってんなら、いつでも来い。客としてなら歓迎してやる」
「ほんと?」
「ああ」
カルサの笑みが、サメのように鋭くなる。
「鴨として、きっちりぼったくってやる」
「うわ、感動しかけた私の気持ち返して」
「返すわけねえだろ。商売だ」
船員たちがどっと笑った。
やがて、アステル・リーフの岩礁が見えてきた。
黒い岩肌に、木組みの桟橋と石造りの倉庫がへばりついている。鉄を叩く音が、潮風に混じって遠くから響いていた。
潮喰みが桟橋に横づけされる。
ルミナリス、オルクス、ルルリア、そしてルミナリスの傍に浮くイグニスが降りる準備を始めた時、カルサがルルリアを呼んだ。
「ルルリア」
「ん?」
カルサは懐から小さな革袋を投げた。
ルルリアは慌てて受け取る。
中身の重さに、目を瞬かせた。
「これ……」
「龍の血だ」
カルサはそっけなく言った。
「もういらねえ」
「いや、いらないって、そんな軽く言うものじゃないでしょ。これ、すごいやつなんでしょ?」
「潮喰みはもう縛られた心臓じゃねえ。海の精霊も戻った。こいつを起こすための龍の血は、もういらねえんだよ」
カルサはサメめいた目で、ルルリアを見た。
「お前が持て」
「私が?」
「後ろに引っ込んだままで満足する顔をしてねえ。だったら素材くらい持っていけ。薬にも、魔術媒介にも、魔導機甲にも使える。扱いを間違えりゃ呪いにもなるがな」
「怖いこと最後に足さないでよ」
「怖いものだと知って持て」
カルサの声が少しだけ低くなる。
「力は、軽く持つ奴から先に底に沈む」
ルルリアは革袋を両手で握った。
さきほど見たばかりだった。
龍の血で濁らされ、船の心臓に縛られていた海の精霊を。
この血はただの素材でも力でもない。
精霊を縛り、魂を濁らせるほどの危険なものだ。
魔導を志す者たちが、命に代えても欲しがる宝でもある。
ルルリアは小さく息を吸った。
「……持つよ」
声は震えていたが、決意に溢れている。
「誰かが落ちそうになった時、一歩だけでも間に合いたいから」
カルサは頷いた。
「なら、取られるな」
カルサの視線が、ルルリアの腰に下がる翡翠色の巻貝へ移る。
「それと、その巻貝もだ」
「これ?」
「お前が死んだら、その巻貝は俺がもらう」
「は?」
ルルリアが間の抜けた声を出した。
カルサは真顔だった。
「だから、他の奴に取られるな」
「それ、死ぬなって言ってるの? それとも巻貝よこせって言ってるの?」
「両方だ」
「欲張りすぎでしょ」
「海の商人だからな」
ルルリアは呆れたように笑った。
「じゃあ、あげない。絶対あげない。私が死んでも、幽霊になって抱えて逃げる」
「その時は網を投げる」
「最低」
「褒め言葉だ」
ルルリアはふっと笑った。
「まあ、取られないようにはするよ」
「そうしろ」
カルサは短く言った。
ルミナリスは深く頭を下げた。
「カルサ様。ここまで、本当にありがとうございました」
「礼はもういい。報酬はもらった。船も戻った。これ以上関わると、今度こそ命が足りねえ」
オルクスも静かに頭を下げた。
「世話になった」
「酒を飲みに来るなら歓迎する。安酒を高値で出してやる。むしり取るのは金だけにしといてやるよ」
「見事な商売だ」
オルクスが珍しく笑った。
イグニスはルミナリスの肩近くで揺れている。
カルサはちらりとその焔を見た。
「おい、原初の焔」
「なんだ、サメ」
「そいつらを焼くな。怖ろしき災いの劫火よ」
「俺に命令するな」
「ただ、釘を刺しただけだ」
カルサは鼻を鳴らした。
三人と一つの焔は、桟橋へ降りた。
背後で、潮喰みが低く鳴る。
船の奥に宿る海の精霊が、別れを告げているような音だった。
白い霧は、もうない。
だがルルリアの顔は曇っていた。
ゴルデンオスト。
金枝の小鳥。
蜂蜜色の髪をした、優しい商人。
人の未来に値札をつける優しい手。
龍の血の革袋を胸に抱き、腰の巻貝に触れた。
「……今度は、私がついて行けるように」
潮風が吹く。
アステル・リーフの町から、鉄を叩く音が響いていた。
潮喰みは、癒された海の精霊を宿し、静かに波の上で揺れている。
そしてルルリアたちは、鉄と潮と、金枝の小鳥が待つ岩礁町へと歩き出した。
次回、ルルリアが己の中身と向き合います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しでも面白く読んでもらえたなら、嬉しく思います。




