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機械少女の涙は蒼穹に還る ~メガリマギアの灯火  作者: しきもとえいき
第16章 ずれる海、白い冥界

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Ⅶ ~白霧の中に

牙商会の者たちの目が、三人の上を静かに巡る。


 先ほどまでは“役に立つ客”を見る目だった。

 今は違う。

 海そのものが、死者を通して一度だけ守りを寄越した。

 その奇跡の只中にいた三人を、ただの陸の者として見続けることは、もはや誰にもできなかった。


~本文より

 銀の波が崩れたあと、しばらくのあいだ、誰も声を出せなかった。


 海獣の顎の面々は、水と光の筋となって海へ還っていった。

 最後に船腹を撫でたひときわ大きな波も、いまはもう跡形もなく、白い海の表へ静けさだけを残している。


 潮喰みはなおも境を泳いでいる。


 透明な巨大魚の霊に包まれた細い船体が、白く濁る海と、白く煙る空とのあいだを、ほとんど息を殺すように進んでいく。

 帆はなお不自然な膨らみを保ち、船腹を走るタラミムの印は、海の底を思わせる鈍い緑を脈のように返していた。


 カルサ=ムルは、膝を折った姿勢のまましばし頭を垂れていたが、やがてゆっくりと立ち上がった。


 濡れた外套の裾から水が滴る。

 その横顔には、先ほどまでの怒声も苛立ちもなかった。

 ただ、海の民として、いま自分たちを過っていったものの重みを受け止めていた。


 ゼルグが、珍しく言葉を失ったような顔でルルリアの手元の巻貝を見ている。

 ハグルもまた、いつもの軽口を忘れていた。


「……たいした縁だよ」


 誰へ向けたものともつかぬ言い方だった。

 だが視線は、はっきりしている。


 オルクス、ルルリア、そしてルミナリス

 潮牙商会の者たちの目が、三人の上を静かに巡る。


 先ほどまでは“役に立つ客”を見る目だった。

 今は違う。

 海そのものが、死者を通して一度だけ守りを寄越した。

 その奇跡の只中にいた三人を、ただの陸の者として見続けることは、もはや誰にもできなかった。


 カルサが舵へ片手を戻しながら、低く言った。


「……見ただろ、お前ら」


 その声で、甲板の空気が静かに引き締まる。


「海は、誰にでも道を貸すわけじゃねえ」


 怒鳴りではなかった。

 波の底から拾ってきたような、低い声だった。


「喰う時は喰う。沈める時は沈める。持っていくと決めたら、何も残さねえ」


 そこで一度、言葉を切る。


「だが今、海から兆しが出た」


 死したる戦士たちの魂、ジェルヴィスたちの波。

 海の神獣アルケイラの加護。

 口の端にすら掛けること事態がはばかられる、そんな相手であり出来事だった。


「なら、あいつらはもう客でも、ただの雇い主でもねえ」


 ルルリアが思わず息を呑む。

 ルミナリスは黙ってその言葉を待った。

 オルクスは目を細める。


「認められた……海の流れだ」


 その一言が、甲板の上へ重く落ちた。


 ゼルグが小さく鼻を鳴らす。


「頭……なら、習わしによって——」


「うるせえ」


 カルサは言葉を切るように返した。


「わかってるよ。しゃあねえ」


 オルクスが目ざとく事情を察した。


「お主ら……やっと決意は決まったかの?」


「今度こそは絶対に連れてくよ」


「そういうことならよい。白い冥界に怯えて、我らを海に沈めようなぞ考えぬことじゃ」


 カルサはルミナリスを見た。


「魔法人。花は手放すなよ」


「はい」


「お前が気を抜いた瞬間、船の上そのものが持ってかれる」


「分かっています」


 ルミナリスは静かに頷いた。

 カルサは最後にオルクスへ視線を向ける。


「年寄りの剣聖」


「何だ」


「剣を抜く抜かねえは、次の様子を見て決めろ。だが、あんたが居ると、こっち側が崩れにくい」


「心得た」


 オルクスは短く応じた。


「斬るより先に、崩れぬことを優先しよう」


「はねっかえりの小娘。お前は海の縁の巻貝を握りしめとけ」


 ルルリアが涙で潤んだ瞳で睨み返した。


「当たり前さ。おっちゃん達との約束は果たす」


「約束たぁなんだ?」


「好き勝手に楽しく暮らす……」


 カルサはそこでようやく、ほんのわずかに口元を歪めた。


「それでいい」


 その時、潮喰みの船首がわずかに沈み、白い冥界の帯がさらに近づいた。


 海の色が変わる。

 鉛色だった水面の奥へ、白が差し始める。

 泡ではない。

 霧でもない。


 海そのものの底から、薄い乳白が滲み上がってきているのだ。


 前方の空気も変わっていた。

 風はあるはずなのに、髪を撫でる感触が遅い。

 波の音が一度遠ざかり、次の瞬間には耳のすぐそばへ来る。

 距離も、時間も、音も、どれもが半拍ずつ外れていく。


 白い冥界の入口。


 それは門のように明確に開いているわけではなかった。

 ただ、海と海でないものの境目が、薄い皮膜のように広がっているだけだ。

 そこへ踏み込むということは、正しい場所から、正しく半歩だけ外れることなのだと分かった。


 ルミナリスの百眼には、そのずれが幾層にも見えていた。


 表の海。

 その一枚下にある、ずれた流れ。

 さらにその向こうに、白い霧へ呑まれたような別の層。

 潮喰みはいま、その狭間を、魚のように身をくねらせて通ろうとしている。


 花晶が静かに応じる。

 巻貝が海鳴りのような細い震えを返す。

 アシュラムは低く、こちら側の境へ杭を打つように唸っている。


 カルサが舵へ血の滲んだ手を置いたまま、短く言った。


「入るぞ」


 その一言で、甲板の空気が一段と沈んだ。

 ゼルグが帆柱を見上げ、ハグルが綱を握り直す。

 誰も声を張り上げない。

 もうここから先は、怒鳴る声の方が海に嫌われるのだろう。


 潮喰みの船首が、白の帯へ触れた。


 その瞬間、世界がひとつ、薄く鳴った。

 音とも言えぬ、かすかな軋み。

 海と、霧と、船と、人の輪郭とが、一度だけ擦れた音だった。

 マギア・ルーメへと向かうには避けては通れない霧の中に吸い込まれていく。


次回、マギア・ルーメとそこに迫るルミナリス達を描きます。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

次回もまた、是非、ご一読ください。

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