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機械少女の涙は蒼穹に還る ~メガリマギアの灯火  作者: しきもとえいき
第16章 ずれる海、白い冥界

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Ⅷ ~妖霊の船

白い霧の内側から、ゆっくりと、黒い影が滲み出してくる。


 黒鉄で覆われた船首に、そこここに備えられた砲台。

 帆はなく、煙も出さず、潮の流れを割って進む魔導機構。

 帝国海軍が誇る無敵海軍と言われる軍艦だ。


 だが、様子がおかしい。

 人の気配も音もなく、幻のように現れている。


 ~本文より

 潮喰みの船首が、白の帯へ触れた。

 その瞬間、世界がひとつ、薄く鳴った。


 音とも言えぬ、かすかな軋み。

 海と、霧と、船と、人の輪郭とが、一度だけ擦れた音だった。


 ルルリアが肩を震わせる。


「何か気持ち悪い……何これ?」


「足元だけ感じろ。この霧では人も船も突然消える」


 カルサは目を閉じたまま操舵輪を握っている。


「目ではなく、耳と躰で波を拾っておるのか。器用じゃの」


 オルクスが感心した一言を放ったその時だった。


 前方左の霧が、不自然に濃くなる。

 何か巨大なものの輪郭に、霧が貼りついているのだ。


 ルミナリスの百眼が、先にその像を拾う。


「……船が来ます」


 カルサの顔が変わる。


「どこだ」


「左前方。白の流れの向こうです」


 白い霧の内側から、ゆっくりと、黒い影が滲み出してくる。


 黒鉄で覆われた船首に、そこここに備えられた砲台。

 帆はなく、煙も出さず、潮の流れを割って進む魔導機構。

 帝国海軍が誇る無敵海軍と言われる軍艦だ。


 だが、様子がおかしい。

 人の気配も音もなく、幻のように現れている。


 まともな船ではない。

 白い霧に喰われ、波の上に引っかかり、船そのものが妖霊じみた異形へ変じている。


 船腹は、もはや本来の形を保っていなかった。

 黒鉄の外板はところどころ白く膨れ、塩に腐食したのとも違う、不気味なただれ方を見せている。逆に別の箇所は焼けた骨のように黒く痩せ、継ぎ目の隙間からは綱でも海藻でもない、白い筋が幾本も垂れ下がっていた。

 それらは波に揺られているのではない。風もないのに、ぬるりと自ら蠢いている。


 砲台も無事ではなかった。

 鉄の砲身には白い霧が薄くこびりつき、まるで砲そのものが息をしているみたいに、口の奥で青白い光がちらついている。撃てるのかどうかも分からない。だが、壊れて沈黙した兵器というより、何か別のものに“使われている殻”に見えた。


 船首はさらに異様だった。

 本来は波を切るための鋭い形であるはずなのに、いまは獣の頭蓋を思わせる歪さを帯びている。裂けた外板の影が、牙を剥いた口先のように重なり、その奥の暗がりでは灯火ではない濁った青白が、ぬらりと生き物めいて揺れていた。


 欄干のあたりには、白い影が幾つも貼りついている。

 兵の姿に見える。

 だが、次の瞬間にはもう人には見えない。肩だけがあり、顔の位置が空洞になったもの。腕だけが異様に長く伸びたもの。半身だけが船体へ埋まり、抜けきれぬまま揺れているもの。

 それらが甲板の上を歩いているのではなく、船そのものに取り込まれているように見えた。


 ルミナリスの百眼が、白い霧の下にあるものを拾う。


 沈んでいるのではない。

 浮いているのでもない。

 船底のあるべき輪郭が、途中から白い濁りへ溶け、海と霧の境目に半ば引っかかったまま進んでいる。

 まるでこの軍艦だけ、正しい海の上から外され、ずれた層を無理やり滑っているようだった。


 ルミナリスの声が低く落ちる。


「……危険です」


 視線は軍艦から離さないまま、続ける。


「船そのものが歪んでいます。壊れているのではありません。白い霧と一体化しかけています」


 ルルリアが息を呑む。


「なに、それ……まだ動くってこと?」


「はい」

 ルミナリスは短く答えた。

「むしろ、普通の船より厄介です。こちら側に在りきっていません」


 白い影のひとつが、欄干からだらりと垂れた。


 人の腕のようにも、帆綱のなれ果てのようにも見えるそれが、波へ触れる寸前で止まり、次の瞬間にはゆっくりとこちらを向いた。


 ルミナリスの声がさらに鋭くなる。


「目を離さないでください。でも、近づく形は追いすぎないで。あれは見た目が定まりません」


 カルサが低く舌打ちした。


「……やっぱり、まともな軍艦じゃねえな」


 その間にも、妖霊と化した帝国軍艦は、白い霧を引きずるようにして、音もなく距離を詰めてきていた。


 ふいに、船腹の砲門のひとつがぬらりと光る。

 魔導砲の閃きではない。

 砲身の奥に溜まっていた濁った青白が、ひと息ぶん脈打ったのだ。


 ルミナリスの百眼が、その異常を先に捉える。


「砲撃、来ます!」


 言葉が落ちるのと、ほとんど同時だった。

 轟音はなかった。

 かわりに、空気を薄く裂くような甲高い音だけが走る。


 撃ち出されたのは砲弾ではない。

 白く濁った塊だった。

 霧を圧縮したようにも、水そのものを凝らせたようにも見えるそれは、弧を描かず、海面すれすれを滑るようにして潮喰みへ走ってくる。


「右へ寄せろ!」


 カルサの怒声が飛ぶ。


 ゼルグとハグルが綱へ飛びつき、潮喰みがぎり、と身を捩る。

 白い砲撃は船腹のすぐ脇をかすめ、そのまま波へ落ちた。


 次の瞬間、海が白く裂けた。


 爆ぜるのではない。

 そこだけが一瞬、海ではないものへ変わったように、波頭が白く立ち尽くす。


 ルルリアの顔が強張る。


「当たったらどうなるのよ、あれ」


 ルミナリスは軍艦から目を離さずに答える。


「存在を削られます。船も、人も。恐らく消失です」


 砲門がもうひとつ、またひとつと光る。


 帝国軍艦の甲板に貼りついていた白い影たちも、同時に動き始めた。


 歩く、という動きではなかった。

 欄干から剥がれ、波へ垂れ、そこから波頭の上へ“移る”。


 ひとつ。

 またひとつ。


 白い影は水面を沈まずに渡ってくる。

 波に乗っているのではない。

 波の行く先へ、先回りして現れている。


「白いのも来る!」


 ハグルが叫ぶ。


 その声を聞きつけたかのように、先頭の白い影が形を濃くした。

 無数の白い腕が蠢き、揺れながら人の様な姿に変じていく。


 だが腰から下は足にならず、白い布のように長く引き伸びたまま波と混ざり、顔にあたる部分は空洞だった。

 そこだけぽっかりと白が薄く、目も口もないはずなのに、こちらを見ているのだと分かる。


 ルミナリスの声が鋭く通る。


「近づかせないでください。触れられると、異相の向こう側へ引き寄せられます」


「どういう意味だよ!」


 ゼルグが怒鳴る。


「生きたまま、躰が半分持っていかれます!」


 その答えに、甲板の空気が一気に硬くなった。

 カルサが即座に吠える。


「小さいの、散らせ! だが見すぎるな! 形を追うな!」


 潮牙商会の海獣人たちが一斉に動く。

 短銛。浄火の矢。魔導銃。

 海の民の荒っぽいが正確な武器が、波の上の白い影めがけて飛ぶ。


 槍は影の胸を貫いたはずなのに、次の瞬間には白い輪郭ごとほどけ、もう半歩先の波頭で形を取り戻す。

 浄火の矢は白を焼く。だが焼かれた部分だけが黒く焦げるのではなく、その周囲ごと霧へ散り、別の腕のようなものが横から伸びてくる。


「ちっ、仕留められん!」


 海獅子獣人が舌打ちをしながらも、必死に攻撃を仕掛けている。

 霧の敵とは戦ったことは誰もなかった。


次回、マギア・ルーメに先んじていた帝国の痕跡を見つけます。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

また是非ご一読ください。

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