神の花を求めてⅧ ~影の辻
不意に、行き止まりだったはずの石壁の向こうに、もうひとつの石畳が現れた。
影の中から、じわじわと“思い出される”ように現れていく。
ひび割れた街路の先に、もっと古い石の列が重なる。
苔むし、細い根に抱かれ、月を知らぬ森の湿りを宿した石畳。
それは人の街の道ではない。
~本文より
オルクスの掌の上で、枝の木肌がかすかに震える。
「……来るぞ」
低い声と同時に、路地の奥の暗がりが揺らいだ。
風ではない。
夜気のゆらめきでもない。
そこにあった“行き止まり”という形そのものが、静かに曖昧になり始めていた。
割れた壺。
積まれた木箱。
崩れた石壁。
見つめるほどに輪郭が薄れ、現実の像と別の場所から重なってくる何かとが、狭い路地の中で音もなくせめぎ合っていた。
ルルリアが思わず一歩下がる。
「……これ、何とかなるのかしら?」
その声すら、どこか遠くへ吸われていくようだった。
石畳の継ぎ目に、淡い光が走る。
足元の石の下から、金とも緑ともつかぬ色が細く滲んでいた。
まるで地の奥で眠っていた根が、いまこの路地の下まで伸びてきているかのようだった。
王樹の枝が脈を打ち、香りがさらに強くなる。
その匂いに触れた先から景色が変わっていく。
行き止まりだったはずの路地が、瞬く間に先の見えぬ長さへ伸びていった。
森の強い匂いが風に乗って辺りを覆う。
湿り気を含んだ土の匂い。
若葉と苔むした樹木の匂い。
深く青い匂いが、今度は路地そのものから流れ出してくる。
ルミナリスの百眼が明滅した。
位相接続確認。局所空間、再定義中。
進路情報、更新不能。
異常だった。
だが、だからこそ確信していた。
これが、枝の道。
見えている道ではない。
見えているものの裏側にだけ繋がる、位相の異なる路。
路地の奥で、影がさらに揺れた。
巨大樹の枝めいた影が、路の奥を指し示すように揺れる。
細く分かれ、絡み、揺れながら、深く根を張る古い王樹の気配が重なり、世界の輪郭を変えていく。
オルクスが枝をそっと前へ掲げ、はっきりと告げた。
「王樹の枝よ。正しき道を示してくれ」
その瞬間、路地の奥で音がした。
こつ、と音が鳴った。石を踏む音に似ていた。
軽く、誰かが小石を蹴ったような音だった。
オルクスは路地の奥を細く見据える。
「まだ動くな。道がこちらを見ておる」
ルミナリスは百眼を用いながらも、感覚で理解していた。
値踏みされ、選別されている。
その感覚が、理屈より先に肌へまとわりついていた。
王樹の枝は、いまやはっきりと熱を帯び、乾いた木肌の奥で淡い色が脈打っていた。
オルクスの指のあいだから、かすかな光が漏れている。
不意に、行き止まりだったはずの石壁の向こうに、もうひとつの石畳が現れた。
影の中から、じわじわと“思い出される”ように現れていく。
ひび割れた街路の先に、もっと古い石の列が重なる。
苔むし、細い根に抱かれ、月を知らぬ森の湿りを宿した石畳。
それは人の街の道ではない。
王樹の根が記憶する位相の路であった。
ルミナリスは目を細める。
百眼には解析不能の文字が浮かんでいた。
だが、眼の前にあるものが幻ではないことだけは分かる。
路は、ただそこにあるのではなかった。
問いかけ、選別していた。
何のために進むのか。
進む資格はあるのか。
歩み続ける覚悟はあるのか。
オルクスが、かすかに息を吐く。
「……ラムス=セテルの辻が、こちらを通す気になったらしい」
ルルリアは一言も発せず、ただ見ていた。
背後にはまだ人の街の灯りがある。
祭りの残り香も、遠い話し声も、消えきってはいない。
それなのに目の前には、もう別の世界の夜が口を開いている。
これまで起こったこと。
これから越えるべきこと。
そして何より、成し遂げたいこと。
そのすべてが、この狭い路地の先に枝のように絡み合って続いていた。
ルミナリスは迷うことなく、一歩を踏み出した。
その瞬間、足元の石畳が微かに鳴る。
歓迎ではない。
拒絶でもない。
ただ確かに、重みを計るような音だった。
オルクスが静かに言う。
「ここから先は、目で見た道を信じるな。枝の香りを追え。風に逆らうな。振り返るな」
ルルリアが乾いた唇を舐める。
「……いよいよね」
誰に言うでもないその呟きに、答える者はいなかった。
ただ王樹の枝だけが、なおも熱を増し、強い香りを光とともに放ち続けている。
次回、異界の中に取り込まれたルミナリスたちを描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
また是非、ご一読ください。




