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機械少女の涙は蒼穹に還る ~メガリマギアの灯火  作者: しきもとえいき
第13章 神の花を求めて

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神の花を求めてⅦ ~ 異界の街

通りを抜けていた風がぴたりと止み、次いで、見えぬ森の奥から吹いてきたかのような冷たく青い流れが、三人のあいだをすり抜ける。


 路地の奥で、巨大樹の影が揺れた。

 ルルリアが思わず息を呑む。


「……ラムス=セテルの辻」


~本文より

 風の街へ辿り着いた時、空はすでに夕暮れの色を失いかけていた。

 西の果てに残る光は細く、砕けた月の欠片をにじませる薄い藍へ、ゆっくりと呑まれつつある。

 岩砂域を越えてきた乾いた風は、街の手前で不意に匂いを変えた。

 砂と石の匂いではない。

 香草。乾いた花弁。樹脂を焚いたあとの煙。

 そして、遠くで踏み鳴らされた幾千の足跡がまだ地面に残している、熱の抜けきらぬ祭りの気配。


「……これが、風の街」


 ルルリアが低く呟く。


 街は緩やかな坂の上に広がっていた。

 白茶けた石と、風に削られた木組みでできた家々。

 通りのあちこちには色褪せた布旗が渡され、祭りに使われたらしい風車飾りが、夜を前にして弱々しく回っている。


 不意に強い匂いを風が運ぶ。

 森の香りに似ていた。あるいは、夏草が重く垂れこめる夕暮れの匂いに。

 不快ではない。

 だが胸の奥に、理由のない不安だけを残す。

 途端に、賑やかだったはずの人の気配がまばらになり、祭りのまっただ中の喧騒が消えた。

 何か大きなものが通り過ぎたあとにだけ残る、半端な静けさが街全体に沈んでいた。


「……何、これ」


 ルルリアが目を細める。


「慌てるでない」


 オルクスが答えた。


「巡礼祭そのものは要らぬ。必要なのは、祭りが街へ残した余韻じゃ。枝は、それに応じて道を開く」


 そう言って老剣士は、抱えていた布包みへ視線を落とした。

 その中に納められている王樹の枝は、昼のあいだはまったく変化を見せなかった。

 だが今は、布越しにでもわかるほど、かすかに熱を帯びていた。


 ルミナリスの百眼がそれを捉える。


「魔力波が活性化しています。余波として熱と香りが発生。匂いが位相へ干渉しています」


「始まったわけね」


 ルルリアが、冗談めかす余裕もなく、右手の戦闘籠手テンフラウに、小さな稲妻を灯した。

 オルクスは静かに告げた。


「戦うことはない。武器は要らぬ。風に従え。ほれ、風向きが変わり始めたぞ」


 街の上を吹いていた風は、先ほどまで岩砂域と同じ乾いた向きで流れていたはずなのに、いまはどこか街の内側へ巻き込むように動いている。

 布旗の揺れ方も、風車の回り方も、目で追えば追うほど妙に定まらない。


 ルミナリスは立ち止まり、周囲を観測した。


 建物の配置に異常はない。

 往来の幅、石畳の摩耗、火の灯る位置、人の歩行速度。

 どれも現実の街として成立している。


 だがその一方で、認識の奥にある何かが微かに軋んでいた。

 この街は、まだ人の街でありながら、すでに一部が別の位相へ触れ始めている。


「境界干渉を検知」


 ルミナリスが低く告げる。


「強度は低いですが、局所的に位相のずれが発生しています」


 ルルリアが嫌そうに眉を寄せた。


「その言い方、だんだん慣れてきた自分が嫌になるわ」


「慣れた方がよい」


 オルクスが前を見たまま言う。


「ここから先は、目に見えるものの方が当てにならぬ」


 三人は坂を上がり、街へ足を踏み入れた。


 石畳は昼の熱をわずかに残していた。

 軒先には風避けの骨組みが並び、祭りで使われたらしい薄絹の房飾りが、ところどころ千切れたまま垂れている。

 露店の名残もまだ残っていた。

 閉じられた木箱。香辛料の匂い。吊るされたまま忘れられた風鈴。

 だが、行き交う人々の姿は、どこか輪郭の薄い影のように見え始めていた。

 街に暮らす者たちは、夜が深くなる前に世界から引き上げようとしているように見えた。


 ルルリアが小声で言う。


「祭りの街なら、もう少し浮かれててもよさそうなのに」


「浮かれる刻限はとうに過ぎておるのじゃろう」


 オルクスはそう返したが、その眼は鋭かった。


 通りの角で、果実を片付けていた老婆がちらりとこちらを見た。

 その視線は、何を持って来たのかを見定める目だった。

 次の瞬間、老婆の視線はオルクスの布包みに落ちた。


 ほんの一瞬。

 それだけで十分だった。


 老婆は何も言わず、ただ目を伏せ、枯れ枝のような腕で指さした。

 影が揺れてはっきりとしない路地の方向へ。


 ルミナリスがはっきりと告げた。


「敵意は感じませんが……王樹の枝を認識しているようです」


「あれは、案内看板じゃ。捨て置け」


 オルクスは低くつぶやいた。


「えっ、どういうこと?」


 ルルリアが振り返ると、そこにはもう老婆はいなかった。

 果実も、店先も、風にさらされた一枚の絵のように、平たく夜へ貼りついているだけだった。


「嘘……って本当か」


「ルルリアさん。幻惑魔法に取り込まれると正常な判断ができなくなります。あまり気に掛けず、そのまま進みましょう」


 ルミナリスの声に、ルルリアは深く頷いた。

 それ以上は何も言わず、黙って街の奥へ進む。


 やがて、賑わいの名残は目に見えて薄くなっていく。

 広い通りは狭まり、建物の壁は近づき、石畳にはひび割れが増えていく。

 代わりに、風の通り方だけが妙に濃くなる。


 曲がり角をひとつ越えたところで、ルルリアが足を止めた。


「……香りが変わった」


 ルミナリスも同時に立ち止まる。

 たしかに変わっていた。

 祭りの香草や樹脂の匂いではない。

 もっと深い、湿り気を含んだ青い匂い。

 アルカヌム・カストルムの一室で、王樹の枝が布から解かれた瞬間に流れたものと、どこか同じ系統の香りだった。


 オルクスが布包みに触れる。


「熱を増しておる」


 その声音に、わずかな緊張が混じる。


「近いの?」


 ルルリアが尋ね、オルクスは周囲を見回しながら答えた。


「街がこちらを向き始めておる。しばしの間立ち止まれ」


 その言葉は意味が分かるようで分からない。

 だが否応なく肌は理解する。

 何かがこちらを選り分け始めている。


 前方には、崩れた壁に挟まれた細い路地が見えていた。

 行き止まりにしか見えない。

 石積みは崩れ、先には木箱と割れた壺が無造作に積まれているだけだ。


 だが、ルミナリスの百眼はそこに微かな揺らぎを捉えていた。

 空間の厚みが、わずかに違う。

 路地の奥だけ、夜の沈み方が遅い。


「……位相の歪みを確認しました」


 ルミナリスが言うと、オルクスは布を解いて王樹の枝をそっと取り出す。

 ただの木枝にしか見えないそれは、いまやはっきりと温みを帯びていた。

 木肌の奥で、金とも緑ともつかぬ色がかすかに揺れている。


 その瞬間、風が変わった。


 通りを抜けていた風がぴたりと止み、次いで、見えぬ森の奥から吹いてきたかのような冷たく青い流れが、三人のあいだをすり抜ける。


 路地の奥で、巨大樹の影が揺れた。

 ルルリアが思わず息を呑む。


「……ラムス=セテルの辻」


 オルクスが低く告げた。


「やっと、入口じゃの」


 王樹の枝が、かすかに脈を打つ。

 街の灯りは背後で上下左右に揺れている。

 人の声も、祭りの名残も、まだ完全には消えていない。

 それなのに、この細い路地の前だけが、もう別の夜へ足を踏み入れているようだった。


 ルミナリスはその暗がりを見つめた。

 解析視界は、行き止まりと示している。

 だがそれとは別のところで、内側にある何かが知っていた。


(安心シテ……フィリア。貴女は、私が守るカラ。この先へ)


 目に見える先には何もない。

 だが、あるはずのない道が、いままさに開こうとしている。


次回、さらなる異界へ足を踏み入れる3人を描きます。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

楽しんでもらえたなら、書き手としてとても嬉しく思います。

またお目にかかれるようしっかりと描いていきます。

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