第13章 神の花を求めてⅣ ~牙の命
「俺は、俺は、ロド様と共に在った。あの方の作る世界を見てみたくて、そのためだけに生きていた。俺では代わりになれないっ、なれないんだっ!」
ゼイロスはロアンの足元にどっかと腰を下ろすと、真っすぐに見つめた。
「ロド様の遺志を継ぐと言え。言えばこの場で俺の首を今差し出す。そうすれば、この城にいる兵士たちはお前の言うことを聞きやすくなるだろ? さあ、言えっ」
~本文より
グラウナが去ったあとも、しばらく広間には誰も口を開かなかった。
血の匂いは消えず、兵たちの怒りも、怨みも、なお燻っている。
それでも先ほどまでのような剥き出しの殺意は、オルクスの一喝と、届いた言葉の重みによって、かろうじて押し留められていた。
ロアンは銀月の爪を握ったまま、動かなかった。
ゼイロスは胸の傷を押さえながら、食い入るようにロアンを見つめていた。
もしロド陛下の遺志を蔑ろにするのなら、銀狼族だろうが関係ない。俺のこの手で殺す。
密やかな決意が血を滴らせる痛みと共に渦巻いていた。
ロアンの瞳は揺れていた。
その小さな爪に封じられているものが、あまりにも重い。
王狼の名。銀狼族の未来。獣人たちの希望と怨嗟。
そのすべてが、いまや自分の掌の内にある。
だが、その重さに応えられるだけのものが、自分にあるのか。
その問いだけが、何度も胸を抉った。
そんなロアンの横へ、ランバートが静かに歩み寄った。
「……逃げぬのですね」
低く落ち着いた声だった。
ロアンは鼻で短く息を吐く。
「逃げたら、全部終わる。それだけはできない」
「そうですね」
短い応答。
それだけで、ランバートはそれ以上すぐには言葉を継がなかった。
ロアンが横目で見る。
「何が言いたい」
「いや」
ランバートは疲れた目を細めた。
「もう少し噛みつかれるかと思っていたので」
「アンタにか?」
「人間の将に、ですよ」
ロアンは少しだけ黙った。
それから低く答える。
「あんたが気に食わないのは、今も同じだ。ガイルは……もういない」
「正直で結構」
「俺は銀狼族だ」
ロアンは掌の中の銀月の爪へ目を落とした。
「ロドさんが死んで、神人様は帝国の軍にいる。そんな中で、王国の生き残りまで敵に回したら……今度こそ、獣人は終わるだろう。未来永劫ただの家畜だ」
その言葉に、ランバートはロアンを見た。
若い。荒い。未熟だ。
だが、ただ激情に振り回されているだけではないことが、今の一言で分かった。
「よく見えているんだな。感心する」
「見たくもないし、考えたくもない」
吐き捨てるように言って、ロアンは空を仰いだ。
その目には先ほどまでの怒りだけではなく、置いていかれた者の冷え切った孤独がまだ残っていた。
「……俺は、未熟だ」
誰に向けるでもなく、零れた声だった。
「強さも、覚悟も、背負ってきたものも、何ひとつ届かない。ロド・グリムは重い——」
「同じになる必要はありません」
言葉を断ったのは、ルミナリスだった。
ロアンが振り向く。
ルミナリスはゼイロスの応急処置を施しながら、はっきりと静かに告げた。
百眼の奥で、銀月の爪の魔力がなおも微かに脈打っているのを観測している。
「ロド様と同じであることは、継承の条件ではありません」
無機質なはずの声は、妙に柔らかかった。
「銀月の爪は、あなたをロド様に作り変えようとはしていません」
ロアンの眉が寄る。
「……」
「託したのです」
ルミナリスは迷いなく答えた。
「ロド様は、王の資質を、あなたの中に見たのでしょう」
その言葉に、オルクスが腕を組んだまま、低く頷く。
「うむ」
老剣士の声は、岩のように重かった。
「そんな器用な真似ができる男なら、あのような道を選ばずに済んでおったじゃろう」
思いがけぬ言葉に、ロアンがわずかに目を見開く。
オルクスは口元をほんの少しだけ歪めた。
「ロド殿は最期まで、不格好にしか生きられぬ男であった。じゃが、それでも王狼であった」
「……」
「ならばお主も同じじゃ」
オルクスはロアンを真っ直ぐ見据える。
「最初から王である必要などない。立つと決め、背負い、信じぬいて、潰れぬよう足掻く者が、後から王になる」
その一言は、慰めではなかった。
むしろ逃げ道を塞ぐ、老英雄らしい苛烈な言葉であった。
ロアンは言葉を失う。
ルミナリスが構わず続ける。
「神人様も、あなたに完成を求めているのではありません。示せ、と言っただけです」
「何をだ」
「未来を守る者であることを」
その答えは、あまりにも簡潔だった。
「王狼の名に値するかどうかは、いまここで決まるのではありません。これから決まるのです」
ゼイロスはルミナリスの手を乱暴に振りほどくと、血を滴らせながらロアンへ歩み寄った。
「俺は、俺は、ロド様と共に在った。あの方の作る世界を見てみたくて、そのためだけに生きていた。俺では代わりになれないっ、なれないんだっ!」
ゼイロスはロアンの足元にどっかと腰を下ろすと、真っすぐに見つめた。
「ロド様の遺志を継ぐと言え。言えばこの場で俺の首を今差し出す。そうすれば、この城にいる兵士たちはお前の言うことを聞きやすくなるだろ? さあ、言えっ」
ゼイロスの赤い眼には強い悲しみと渇望が浮かんでいた。
死ぬことの理由を求める者の光だ。
ロアンは銀月の爪をじっと見つめると、おもむろに自らの首へ掛けた。
「お前の首など要らん」
低く、だが揺るがぬ声だった。
「王狼として命じる。お前はノビリス殿の手駒であろう。ならばノビリス殿のもとで働け。同胞のために働き、同胞のために死ね。それが贖罪だ」
その場にいた誰も、すぐには声を上げられなかった。
「これが、俺の――王狼としての最初の命令だ」
ゼイロスはしばらくロアンを見上げ、長い尻尾を地に打ちつけると、目を閉じて深く息を吸った。
次回、ルミナリスたちが再び旅立ちます。陰謀と思惑が渦巻く旅路へ。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しでも面白く読んでもらえるよう、しっかりと描いていきます。
またお目に是非かけてください。




