第11話 きみがここにいる理由
北浜さんと話してから、三日が経った。
コンビニで一度見かけてはいたけれど、あの時は名前も知らなかったし、言葉も交わしていない。ただ玲奈の方を見ていた、少し変わった店員。それだけだった。
だから私の中では、あの日が北浜さんと初めて会った日になっている。
『その子、普通の幽霊じゃないよ』
あれから、その言葉がずっと頭に残っていた。
「美香」
「なに」
「また考えてる」
「考えてない」
「考えてる人ってだいたいそう言うよね」
「玲奈は考えてなさそう」
「失礼」
放課後の教室。
ほとんどの生徒はもう帰っていて、残っているのは私と玲奈だけだった。
玲奈は前の席に座っている。
二年間、そんなことを考えたことはなかった。
なのに、北浜さんと会ってから変なことばかり考える。
「玲奈」
「ん?」
「自分が幽霊だって感じする?」
「何その質問」
「いいから」
「うーん……」
玲奈は自分の手を見る。
握って、開く。
「しない」
「だよね」
「でも幽霊って、自分が幽霊だって感じするものなの?」
「知らない」
「美香、見えるんでしょ」
「見えるだけ。話したことなんてほとんどないし」
「役に立たない霊能力」
「うるさい」
玲奈が笑った。
いつもの笑い方だった。
それだけで少し安心する。
玲奈は玲奈だ。
北浜さんが何と言おうと、二年間一緒にいた。
小学生の頃からなら、もっと長い。
私が知らない玲奈なんて、ほとんどない。
「……ほとんど?」
「なに?」
「なんでもない」
「今、絶対なんか考えた」
「考えてない」
「またそれ」
その時、教室の扉が開いた。
「いた」
噂をすれば、というやつだと思う。
「北浜さん」
「こんにちは」
「……なんでここに?」
「永井さんを探してた」
「どうやって?」
「一年生で永井美香って聞いたら分かった」
「そういう意味じゃなくて」
「?」
「いや、もういい」
北浜さんは時々、会話の噛み合わせが微妙に悪い。
玲奈が笑っている。
「この子ちょっと面白いね」
「聞こえてるよ水城さん」
「おお」
「聞こえるって知ってるでしょ」
「そうだった」
玲奈は妙に嬉しそうだった。
二年間、私以外と話せなかったのだから、当然なのかもしれない。
そのことに気づいて、少し胸が痛くなった。
「それで?」
私は聞いた。
「何か分かったの?」
「少し」
北浜さんの表情が変わった。
「ここだと話しにくいから、場所変えていい?」
***
連れていかれたのは、放課後はほとんど使われていない小さな準備室だった。
「勝手に入っていいの?」
「たぶん」
「たぶん?」
「鍵開いてたから」
「それを入っていいとは言わないと思う」
「細かいこと気にするね」
「普通」
玲奈が笑った。
「美香、北浜さんと相性いいんじゃない?」
「どこが」
「会話が面白い」
「玲奈は黙ってて」
「はい」
「水城さん」
「はい?」
「そこに立って」
「え?」
北浜さんが部屋の中央を指差した。
「なんで?」
「見たいから」
「言い方怖いなぁ」
「何もしないよ」
「ほんと?」
「たぶん」
「美香。この子信用していい?」
「私に聞かないで」
文句を言いながらも、玲奈は言われた場所へ移動した。
北浜さんは少し離れたところから玲奈を見る。
それから私を見る。
また玲奈。
また私。
「……やっぱり」
「なに?」
「永井さん、少し離れてみて」
「私?」
「うん」
言われるまま、部屋の端まで移動する。
「もっと」
「もう壁だけど」
「あ、じゃあいい」
何なんだろう。
北浜さんは玲奈をじっと見ていた。
「玲奈、なんかされてる?」
「なんにも」
「変な感じは?」
「全然」
「北浜さん」
「もうちょっと」
しばらくして、北浜さんが玲奈へ近づいた。
手を伸ばす。
触れる直前で止める。
「……やっぱり変」
「またそれ?」
「うん」
「具体的に言って」
「今考えてる」
北浜さんは目を閉じた。
部屋が静かになる。
窓の外から、運動部の声が微かに聞こえていた。
私は玲奈を見る。
玲奈も私を見た。
少し不安そうだった。
たぶん私も同じ顔をしていた。
「永井さん」
北浜さんが目を開けた。
「なに?」
「水城さんの近くに来て」
玲奈の隣へ戻る。
その瞬間だった。
北浜さんの目が大きくなった。
「……あ」
「なに?」
「分かったかも」
「何が?」
北浜さんは答えず、私と玲奈の間を見ている。
そこには何もない。
少なくとも私には。
「北浜さん?」
「繋がってる」
「え?」
「二人」
北浜さんが指を向けた。
私ではない。
玲奈でもない。
私たちの間。
「ずっと?」
「たぶん」
「何で?」
「分からない。でも、すごく強い」
北浜さんは困ったように眉を寄せた。
「普通の霊と人間にも繋がりはある。家族だったり、友達だったり、強い未練があったり。でもこれは、そういうのと違う」
「どう違うの?」
「太すぎる」
「太い?」
「それに……流れ方がおかしい」
嫌な言葉だった。
「流れ方?」
「普通なら、霊は霊としてそこにいる。その人自身の想いとか、残った力とか、そういうものが中心になって存在してる」
北浜さんが玲奈を見る。
「でも水城さんは違う」
「……私?」
「うん」
そして。
北浜さんは私を見た。
「永井さんから流れてる」
「何が?」
「力」
意味が分からなかった。
「私から?」
「うん」
「玲奈に?」
「そう」
玲奈が私を見る。
「美香、なんかしてる?」
「してない」
「だよね」
「当たり前でしょ」
「じゃあ何だろ」
玲奈はいつも通りだった。
でも私は、さっきまでと同じようには受け取れなかった。
「その力がなくなったら?」
気づけば聞いていた。
「え?」
「私から玲奈に流れてるもの。それがなくなったらどうなるの?」
北浜さんは答えなかった。
「北浜さん」
「……分からない」
「また?」
「本当に分からない。でも」
少し迷ってから言った。
「水城さんが今の形でいられるのは、その力が関係してると思う」
胸の奥が冷たくなった。
「どういう意味?」
「まだ決めつけられない」
「じゃあ言わないで」
「美香」
「玲奈は玲奈だよ」
自分でも驚くくらい強い声が出た。
玲奈が黙る。
「二年間ずっと一緒にいた。喋って、笑って、喧嘩して。私が知らないことだって玲奈は知ってる。だから」
何を言おうとしているのか、自分でも分からなかった。
北浜さんは何も言っていない。
玲奈が偽物だなんて、一言も。
なのに私は、それを言われたような気がした。
「……ごめん」
北浜さんが言った。
「そういう意味じゃない」
「じゃあどういう意味?」
「分からないから調べてる」
「……」
「私にも、水城さんはちゃんと水城さんに見えるよ」
その言葉で少しだけ力が抜けた。
「ただ」
まだ続きがあった。
「水城さんがここにいる理由は、水城さんだけにはない」
「……どういうこと?」
北浜さんは私を見る。
「永井さん」
「なに」
「二年前、水城さんが亡くなった時に何か起きなかった?」
白い天井が頭に浮かんだ。
病室。
玲奈の最後の姿。
思い出したくない記憶。
そして。
あの感覚。
胸の奥で、何かが弾けたような。
「……分からない」
「本当に?」
「はっきり覚えてない」
嘘ではなかった。
あの日のことは、今でもところどころ曖昧だ。
ただ。
一つだけ覚えている。
玲奈に会いたかった。
いなくならないでほしかった。
それだけを、何度も願った。
「美香」
玲奈が呼んだ。
「なに」
「私ってさ」
玲奈が自分の手を見る。
さっきまで笑っていた顔から、笑顔が消えていた。
「もしかして、美香がいるからいるの?」
「……何言ってるの」
「だって北浜さんの話だと」
「違う」
「でも」
「違うって」
玲奈が黙った。
私は玲奈の手を掴んだ。
「ここにいるでしょ」
「うん」
「だったら玲奈だから」
「……すごい理屈」
「うるさい」
玲奈が少し笑った。
でも、その笑顔はいつものものとは少し違った。
北浜さんは私たちを見ていた。
何か言いたそうだった。
でも、何も言わなかった。
その日の帰り道。
玲奈はいつも通り私の隣を歩いていた。
くだらない話をして。
途中でコンビニに寄るかどうかで揉めた。
結局寄って、玲奈が食べられもしない新商品のアイスを見ながら、勝手に味を想像していた。
何も変わらない放課後だった。
それなのに私は何度も、隣を歩く玲奈を見てしまった。
玲奈は玲奈だ。
そう思うたび。
今まで一度も考えたことのなかった疑問が、頭の奥から離れなくなった。
じゃあ。
どうして玲奈は、ここにいるんだろう。




