第7話 きみと過ごした夏⑥
神社を出た頃には、祭りの音もずいぶん遠くなっていた。
「思ったより長居したね」
「玲奈のせい」
「なんで」
「帰りたくないって言ったの玲奈でしょ」
「美香だって普通に喋ってたじゃん」
「付き合ってあげたの」
「はいはい」
玲奈は笑いながら、石段の一段目に足をかけた。
来た時よりも夜は深くなっていた。境内にはまだ灯りが残っているけれど、長い石段の先は木々に囲まれ、ところどころ月明かりが落ちているだけだった。
少し怖い。
そう思ったのは、たぶん最近のニュースのせいだった。
私たちと同じくらいの年齢の女の子が巻き込まれる、不審者に襲われる事件が続いていて、学校からも寄り道をせず帰るよう何度も言われていた。
先生が知ったら、きっと怒る。
「ねえ」
「ん?」
「さっきの話」
玲奈が振り返る。
「どれ?」
「見られてる気がするってやつ」
「ああ」
「最近ずっと?」
玲奈は少し考えてから、石段を下り始めた。
「ずっとっていうか、たまにかな。学校から帰る時とか」
「一人の時?」
「美香と一緒の時もあったよ」
「それ先に言ってよ」
「言ったら怖がるじゃん」
「怖がらない」
「怖がってる顔してる」
「してない」
むっとすると、玲奈が笑った。
「でも本当に気のせいだと思う。振り返っても誰もいないし」
「だったらいいけど」
「心配してる?」
「一応」
「一応かぁ」
「玲奈だから」
「それどういう意味?」
「そのまま」
私が先に歩くと、玲奈が横に並んできた。
肩が触れそうな距離だった。
いつもそうだった。
登校する時も、下校する時も、買い物へ行く時も、玲奈はだいたい私のすぐ隣を歩いていた。
「じゃあさ」
玲奈が言った。
「高校も一緒に行こうよ」
「またその話?」
「大事な話」
「まだ二年生だよ」
「だから今から決めとくの」
「行きたい高校も決まってないのに?」
「美香は?」
「決まってない」
「じゃあ一緒」
「何が」
「行きたい高校が決まってないところ」
「そんなので一緒って言わない」
玲奈が笑う。
少しして、今度は私から聞いた。
「玲奈は将来なにしたいの?」
「将来?」
「高校の先」
「急に遠くなった」
「玲奈が始めたんでしょ」
「うーん……」
玲奈は歩きながら本気で考え始めたらしい。
こういうところが玲奈らしい。適当に答えればいいような話でも、聞かれると妙に真剣に考える。
「まだ分かんない」
しばらくして、玲奈はそう答えた。
「でも、楽しい方がいい」
「ざっくりしてる」
「大事じゃん。美香は?」
「私も分かんない」
「じゃあ、それも一緒」
「だから何でも一緒にしないで」
「いいじゃん」
あの頃の私たちにとって、将来はずっと遠くにあるものだった。
高校生になることも、大人になることも、その先にどんな生活が待っているのかも、まだ現実味がなかった。だから好き勝手なことを言えたし、来年も再来年も同じように二人で話しているのだろうと、疑ったことさえなかった。
明日というものは、今日の続きを約束してくれるものだと思っていた。
「美香」
「なに」
「私たち、大人になっても友達かな」
「急にどうしたの」
「なんとなく」
「知らない」
「そこは友達って言うところでしょ」
「聞かれても分かんないし」
「冷たい」
玲奈は唇を尖らせた。
私は少しだけ笑った。
「でも、たぶんそうなんじゃない」
「たぶん?」
「たぶん」
「じゃあ予約」
「何を」
「大人になっても美香の親友でいる権利」
「なにそれ」
「予約したから」
「勝手にして」
「した」
玲奈は満足そうだった。
その顔を見ながら、ふと思い出す。
「そういえば」
「ん?」
「好きな人」
玲奈の足が一瞬止まった。
「まだ言ってる」
「結局、誰なの」
「秘密」
「ずっと一緒にいたい人なんでしょ?」
「うん」
「同じ学校?」
「うん」
「同じ学年?」
「うん」
「同じクラス?」
「さあ?」
「今のでだいたい分かった」
「絶対分かってない」
「じゃあ言って」
「嫌」
「なんで」
玲奈は答えなかった。
二、三段先まで下りてから振り返る。
「いつか教える」
「いつ?」
「いつか」
「ずるい」
「そういうものです」
得意そうに言う。
「じゃあ高校卒業するまでに」
「長い」
「大人になるまで」
「もっと長い」
「じゃあ……」
玲奈は少し考えて、それから笑った。
「美香が自分で気付くまで」
「なにそれ」
「秘密」
そう言って、玲奈は笑った。
石段はまだ半分ほど残っていた。
私たちは再び歩き出した。
祭りの帰り道だった。
くだらない話をして、笑って、これから先のことを話した。
どこにでもある夏の夜だった。
だから最初、それが何なのか分からなかった。
玲奈が突然、立ち止まった。
「……美香」
「なに?」
返事がない。
数段先にいた玲奈が、石段の下を見ていた。
「玲奈?」
その横顔から、さっきまでの笑顔が消えていた。
私も玲奈の視線を追った。
石段の途中。
木々の影が濃く落ちる場所に、人がいた。
男だった。
顔まではよく見えない。
ただ、そこに立っている。
登ってくるわけでもなく、下りていくわけでもなく。
私たちの方を向いて。
じっと。
「……行こ」
玲奈が小さく言った。
「うん」
どちらからともなく、私たちは手を繋いだ。
玲奈の手が、少しだけ震えていた。
私の手も、たぶん同じだった。
そして二人で、ゆっくり石段を下り始めた。




