第5話 きみと過ごした夏④
夏祭りの日は、少し特別だった。
今思えば別に珍しい行事でもない。毎年あったし、町の人は普通に集まって、花火を見て、屋台を回って帰る。そういう、どこにでもある夏のイベントだった。
でも中学生くらいの頃って、少し遅い時間まで外にいるだけで特別な気分になる。
制服じゃない服を着いて出かけるだけで、普段と違う世界に来たみたいに思える。
あの日も、そうだった。
***
待ち合わせは駅前だった。
夕方六時。
まだ空は明るい。
人通りが多い。
浴衣姿の人がちらほら見える。
屋台の匂いも、祭囃子も、まだ遠いのに風に混じって届いてくる。
少しだけ落ち着かない。
時間より少し早く着いてしまった。
スマホを見る。
連絡はない。
だから待つ。
そのくらいしかやることがない。
「お待たせー」
声がした。
振り返る。
玲奈だった。
一瞬だけ分からなかった。
白地の浴衣だった。柄は青と淡い水色で、遠目だと涼しそうに見える。髪も少しだけまとめていて、いつも制服で見ている時とは雰囲気が違った。
別人、というほどじゃない。
でも、少しだけ遠く見える。
たぶん、知っている人なのに知らない格好をしているからだ。
玲奈が首を傾げた。
「なに」
「別に」
「似合う?」
「……普通」
玲奈は笑った。
「美香って褒めるの下手」
「褒めてない」
「今ちょっと考えた」
「考えてない」
玲奈は満足そうだった。
なんとなく、こういうやり取りは毎回負ける。
昔からそうだった。
玲奈は会話の中で少しだけ先にいる。からかうのも上手いし、反応を見るのも好きだった。
でも嫌じゃなかった。
嫌じゃないというより、たぶん安心していた。
変わらないから。
浴衣を着て少し大人っぽく見えても、中身はいつもの玲奈だった。
「行こ」
玲奈が歩き出す。
少し先。
振り返る。
「迷子になるよ」
「ならない」
「なる」
私は追いかける。
***
祭りは思っていたより人が多かった。
参道まで続く道に屋台が並んでいて、人の流れもゆっくりだった。
焼きそば。
たこ焼き。
かき氷。
綿あめ。
音楽。
笑い声。
全部混ざっている。
「まず何食べる?」
玲奈が聞く。
「別に」
「興味なさすぎない?」
「来たら満足した」
「おじいちゃん?」
玲奈は少し考えて、
「たこ焼き」
と言って並び始めた。
結局買う。
二人で食べる。
熱い。
口を火傷する。
玲奈が笑う。
「学習しないね」
「玲奈もじゃん」
「仲良し」
「嫌な言い方」
歩く。
射的を見る。
やらない。
金魚すくいを見る。
やらない。
でも見ている。
そういう時間だった。
何か目的があるわけじゃない。
ただ一緒に歩いて、目についたものを見て、話しているだけ。
でも不思議と退屈しなかった。
あとになって思う。
楽しい時間って、案外イベントの中身じゃない。
誰といたかの方が残る。
花火の形なんて忘れても、その時笑っていた相手は覚えている。
***
暗くなってきた。
人が少し静かになる。
空を見上げる人が増える。
花火が始まった。
音。
光。
空が明るくなる。
歓声。
私は空を見る。
玲奈を見る。
玲奈はちゃんと空を見ていた。
少し目を細めて。
笑っていた。
「綺麗」
小さく言う。
「うん」
それだけだった。
そのあと少し黙っていた。
別に気まずくない。
花火の音が全部埋めてくれる。
その沈黙も含めて、たぶん楽しかった。
***
花火が終わる。
人が帰り始める。
祭りが終わる空気というのは少し独特で、急に現実へ戻される感じがする。
玲奈が空を見上げた。
「終わっちゃった」
「帰る?」
玲奈は少し考えた。
「……もうちょっと」
「どこ行くの」
玲奈は少し先を見る。
祭りの灯りの向こう。
丘の上。
神社。
「あそこ」
私は見る。
神社だった。
小さい頃から知っている場所。
祭りの日だけ夜も人がいる。
少し登れば、町が見える。
「ちょっとだけ」
玲奈が言う。
その言い方が少し子供っぽくて、少しだけ笑った。
「ほんとに少しだけね」
玲奈は満足そうに頷いた。
そして先に歩き出した。
私はその後ろを追いかけた。
浴衣の裾を少し気にしながら、石段へ向かう玲奈の背中を見ていた。
その時の記憶は、妙にはっきり残っている。
景色じゃない。
花火でもない。
ただ、星明りに照らされて少し先を歩く玲奈の後ろ姿だけが、なぜだか妙に綺麗だった。振り返ればいつでも声が届く距離にいたはずなのに、その背中だけ少し遠く見えた。




