第2話 きみと過ごした夏①
夜。
永井美香は、自室のベッドに寝転がって天井を見上げていた。
カーテンの隙間から月明かりが差し込んでいる。
部屋の壁にはお気に入りの雑貨や写真が飾られ、本棚には小説や漫画が並んでいた。
どこにでもある女子高生の部屋。
ただ一つ違うのは。
「美香ー」
床に座り込んだ少女が、勝手に漫画を読んでいることだった。
「それ私の」
「知ってる」
「返して」
「今いいところ」
「玲奈」
「あと三分」
「毎回そう言う」
美香は呆れたように身体を起こした。
水城玲奈はまるで自分の部屋みたいな顔で本棚の前に陣取っている。
二年前からずっとだ。
二年前から。
変わらず。
「ねぇ」
玲奈がページをめくりながら言う。
「今日のコンビニの子」
「ん?」
「なんか変だったよね」
美香は少し考えた。
あの少女。
同年代くらいの。
妙に印象に残る店員。
「そうかな」
「そうだよ」
「普通だったと思うけど」
「美香は鈍い」
「玲奈に言われたくない」
玲奈がむっとする。
「失礼な」
「だって中学の時もさ」
「なに」
「校門に突っ込んでいったじゃん」
「あれは向こうが動いた」
「門は動かないから」
玲奈が吹き出した。
つられて美香も笑う。
少しだけ。
本当に少しだけ。
胸の奥の重たいものが軽くなる。
けれど。
笑いながらも思う。
こういう時間は、いつまで続くのだろう。
玲奈はもう――。
「ん?」
玲奈が首を傾げた。
「なに?」
「別に」
「変な美香」
そう言って笑う顔は、昔と何も変わらない。
昔と。
本当に何も。
変わらない。
だからこそ。
ふと、思い出す。
初めて出会った日のことを。
***
あれは小学五年生の春だった。
四月。
新学期が始まって少し経った頃。
五年二組の教室には、どこか落ち着かない空気が流れていた。
「転校生だって」
「女の子らしいよ」
「どこから来るのかな」
ざわざわ。
朝からクラスが騒がしい。
窓際の席で本を読んでいた美香は、そんな様子を横目で見ていた。
当時から美香は大人しい性格だった。
友達がいないわけじゃない。
けれど自分から輪の中心に入るタイプではない。
休み時間は本。
放課後は家。
そんな子供だった。
今思えば。
あの頃の私は、自分の世界だけで十分だと思っていた。
誰かと深く関わることもなく。
ただ静かに毎日が過ぎていけばいい。
そんなふうに考えていた気がする。
だから。
あの日の出会いが、あれほど大きなものになるなんて思いもしなかった。
チャイムが鳴る。
担任が教室へ入ってきた。
「はい席につけー」
生徒たちが慌てて座る。
そして。
「今日はみんなに紹介があります」
教室が静かになった。
「転校生だ」
途端に期待の空気が広がる。
「入ってきなさい」
教室の扉が開いた。
ひとりの少女が入ってくる。
肩まで伸びた黒髪。
少し垂れた目元。
人懐っこそうな顔立ち。
その少女は黒板の前まで来ると、緊張した様子もなくクラス全員を見回した。
「水城玲奈です」
一拍置いて。
「よろしくお願いします」
それだけ。
拍子抜けするくらい普通だった。
クラスの空気も一瞬止まる。
「え、終わり?」
誰かが呟いた。
玲奈が笑う。
「うん」
教室中が笑いに包まれた。
美香は本から顔を上げた。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
面白い子だな、と思った。
今思えば。
その時から玲奈は変わっていなかった。
自分では普通にしているつもりなのに、気付けば周囲を巻き込んでいる。
明るくて。
遠慮がなくて。
人懐っこくて。
そして少しだけ変な子だった。
あの頃の私はまだ知らない。
その転校生が、この先ずっと隣にいることになるなんて。
***
休み時間。
転校生の周りには当然のように人だかりができていた。
「前の学校どこ?」
「好きな食べ物は?」
「兄弟いる?」
質問攻め。
玲奈は嫌な顔ひとつせず答えている。
その様子を見ながら、美香は本を読んでいた。
すると。
突然。
「ねぇ」
声がした。
顔を上げる。
目の前に玲奈がいた。
「え?」
「本好きなの?」
「う、うん」
「面白い?」
「面白いけど」
「ふーん」
玲奈が机に肘をつく。
「名前なんだっけ」
「永井美香」
「美香ね」
初対面なのに距離が近い。
近すぎる。
「玲奈は?」
「さっき自己紹介したじゃん」
「それもそうだね」
玲奈は笑った。
そして。
本当に自然な調子で聞いた。
「ねぇ美香」
「なに?」
「この学校って幽霊いる?」
「……え?」
一瞬、思考が止まった。
玲奈は真顔だった。
「幽霊」
「なんで?」
「気になるから」
「いや……」
普通そんなこと聞くだろうか。
転校初日に。
初対面の相手へ。
「知らない」
美香はそう答えた。
玲奈は少し残念そうな顔をする。
「そっかぁ」
「幽霊好きなの?」
「好きっていうか」
玲奈は少し考えて。
「たまに見るから」
と言った。
美香の心臓が一瞬だけ跳ねた。
だが玲奈は気付いていない。
「まぁ勘違いかもしれないけどね」
そう笑った。
美香は何も言えなかった。
当時から。
美香には見えていたからだ。
他の人には見えないものが。
だから興味を持った。
この変な転校生に。
もっとも。
後になって分かる。
あの日の玲奈は、私に合わせようとしていたわけでも、秘密を打ち明けようとしていたわけでもない。
本当に思ったことをそのまま口にしただけだった。
そういう子だった。
***
放課後。
ランドセルを背負った美香は、一人で帰ろうとしていた。
すると。
「美香ー」
後ろから声が飛ぶ。
振り返る。
玲奈だった。
「なに?」
「帰るの?」
「帰るけど」
「奇遇だね」
「みんな帰る時間だから」
「たしかに」
玲奈は納得した。
そして。
当然のように隣へ並ぶ。
「じゃ帰ろ」
「なんで?」
「方向一緒っぽい」
「知らないよ」
「今から知る」
意味が分からない。
美香は思った。
この子。
変だ。
かなり変だ。
けれど。
不思議と嫌ではなかった。
むしろ。
少しだけ楽しかった。
私の知らない場所からやって来て。
私の知らないことを話して。
私の静かな毎日に、勝手に入り込んでくる。
そんな転校生が。
少しだけ気になっていた。
「……勝手にして」
「やった」
玲奈は満面の笑みを浮かべた。
それが。
永井美香と水城玲奈。
二人の始まりだった。
まだその頃の美香は知らない。
この少女が。
これから先、自分にとって一番大切な友達になることを。
そして。
何年経っても。
どんなことがあっても。
忘れられない存在になることを。
知らなかった。




