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封縁乙女と学園の呪いたち  作者: コハレルギー
第六章 放課後、きみは隣にいる

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第1話 永井美香と白い放課後

 五月の陽射しはやわらかく、久遠女学園の校舎を白く照らしていた。


 高等部校舎の四階。

 一年C組の教室では、五時間目の古典の授業が続いている。


「――つまり、この歌における待つという行為には、ただ相手を待ち続けるという意味だけでなく――」


 黒板に向かった教師が、さらさらとチョークを走らせる。


 窓際の最後列。


 永井美香は、頬杖をつきながらぼんやり外を見ていた。


 グラウンドの向こう、風に揺れる木々。

 遠くで体育の授業をしている生徒たちの声。


 眠くなるような午後だった。


「ねぇ美香」


 隣から小声が飛んでくる。


「……ん?」


「先生さぁ、さっきから同じ話三回くらいしてない?」


「してないよ」


「してるって絶対」


 くすくす、と笑い声。


 美香は視線だけ横へ向けた。


 水城玲奈が、机に肘をついてにやにやしている。


 肩で切り揃えた黒髪。

 少し垂れた目元。

 整っているのにどこか子供っぽい顔立ち。


 昔から変わらない。


「玲奈、静かに」


「えー」


「あと教科書見なよ」


「なくした」


「また?」


「うん」


「胸張ることじゃないでしょ……」


 呆れながら、美香は自分の教科書を少し寄せた。


 玲奈が嬉しそうに顔を近づける。


「やっぱ美香やさしー」


「普通」


「冷たい」


「玲奈がだらしないだけ」


 そんなやり取りをしていると、前の席の女子が振り返った。


「永井さん?」


「え?」


「なんか言った?」


「あ……ううん、別に」


「そっか?」


 不思議そうな顔をして、前の席の女子はまた黒板へ向き直る。


 玲奈が吹き出した。


「完全に変な子扱いされてるじゃん」


「玲奈のせいでしょ……」


「いやーでも今の美香、普通に空間に向かって喋ってたし」


「……それはそうだけど」


 美香はため息をついた。


 玲奈は昔からこうだった。

 人をからかうのが好きで、でも本気で落ち込んでいる時には何も言わず隣にいてくれる。


 だから一緒にいると楽だった。


 授業終了のチャイムが鳴る。


 同時に教室の空気が一気に崩れた。


「終わったー!」


「次移動だっけ?」


「購買まだ残ってるかなぁ」


 椅子の音と話し声が広がる。


 美香も鞄から財布を取り出した。


「玲奈、購買行く?」


「行く。今日は焼きそばパン」


「また?」


「青春だから」


「意味わかんない……」


 二人は廊下へ出る。


 久遠女学園の校舎は古い。

 伝統校らしく、廊下も階段もどこか重厚感があった。


 磨かれた木製の手すり。

 高い天井。

 壁に並ぶ古い写真。


 その中を、生徒たちが笑いながら通り過ぎていく。


「うわ、購買混んでる」


「ほんとだ……」


 一階の購買前にはすでに列ができていた。


 玲奈が背伸びする。


「あ、ラスイチ焼きそばパン!」


「えっ」


「美香ダッシュ!」


「無理だって!」


 玲奈が勝手に盛り上がり、美香の背中を押す。


 結局、美香は人波に押されながら焼きそばパンを確保した。


「やったー!」


「なんで玲奈が喜ぶの……」


「友情の味だね」


「はいはい」


 二人で中庭のベンチへ向かう。


 五月の風は気持ちよく、噴水の水音が静かに響いていた。


 ベンチに座ると、玲奈が焼きそばパンを覗き込む。


「一口」


「やだ」


「ケチ」


「玲奈、自分で買ってないでしょ」


「細かいこと気にするとハゲるよ」


「女子高生に言う台詞じゃないからね、それ」


 玲奈が笑う。


 美香もつられて笑った。


 こういう時間が好きだった。


 特別なことはない。

 ただ、隣で馬鹿みたいな話をしているだけ。


 それだけで、少し安心できる。


「ねぇ美香」


「ん?」


「高校、楽しい?」


「……まぁ、それなり?」


「なにその反応」


「玲奈いるし」


 一瞬だけ、玲奈が目を丸くした。


 それから、少し照れたように笑う。


「なにそれ。告白?」


「違う」


「でも嬉しい」


「……そ」


 風が吹く。


 噴水の水面が揺れた。


 その瞬間、美香はふと違和感を覚えた。


 中庭には大勢の生徒がいる。


 なのに。


 誰一人として、玲奈を避けない。


 ぶつかりもしない。


 視線すら向けない。


 まるで最初からそこに“いない”みたいに。


「……美香?」


「え?」


「ぼーっとしてる」


「……ううん、なんでもない」


 美香は小さく首を振った。


 その違和感を、無理やり胸の奥へ押し込む。


 考えないようにするみたいに。


***


 放課後。


 夕焼け色に染まった教室には、もうほとんど人が残っていなかった。


 美香は窓を閉めながら、帰り支度をする。


 玲奈は後ろの机に座って、足をぶらぶらさせていた。


「今日寄り道する?」


「んー……コンビニくらいなら」


「アイス」


「また?」


「青春だから」


「それ便利な言葉だと思ってるでしょ」


 玲奈が笑う。


 美香も笑った。


 二人並んで教室を出る。


 廊下には夕陽が長く差し込んでいた。


 窓ガラスが赤く光る。


 階段を降りる途中、すれ違った教師が美香へ声をかけた。


「永井」


「はい?」


「もう遅いから気をつけて帰りなさい」


「はい」


 教師はそれだけ言って通り過ぎる。


 玲奈は横で小さく吹き出した。


「今の先生、相変わらず美香にだけ優しいよね」


「普通でしょ」


「いや絶対お気に入り」


「違うって」


 校門を出る。


 夕暮れの街並み。

 自転車を押して歩く生徒たち。

 電柱の影。


 玲奈は楽しそうに他愛もない話を続ける。


 テレビの話。

 新作アイスの話。

 クラスの変な先生の話。


 まるで。


 本当に普通の放課後みたいに。


「……ねぇ美香」


「なに?」


「美香はさ」


 玲奈が空を見上げる。


「もし、あたしがいなくなったらどうする?」


「なにそれ」


「なんとなく」


「急に変なこと言わないでよ」


「変かな」


「変」


 美香が即答すると、玲奈は少しだけ寂しそうに笑った。


「そっか」


 コンビニに入る。


 自動ドアの電子音。


 冷房の匂い。


「アイスアイスー」


「玲奈ほんと好きだよね……」


 美香は冷凍ケースを覗き込みながら適当に二本取った。


 レジへ向かう。


 レジには少女が立っていた。


 肩甲骨のあたりまで伸びた黒髪が、動きに合わせて静かに揺れる。


 前髪は眉の上で綺麗に揃えられていた。


 年齢は美香と同じくらいだろうか。


 整った顔立ちはどこか古風で、神社の巫女を連想させる。


 年相応の幼さを残しているのに、不思議と近寄りがたい。


 店内の蛍光灯の下に立っているはずなのに、その少女だけ空気の温度が違うように感じた。


「……いらっしゃいませ」


 静かな声。


 少女は商品を受け取り、バーコードを読み取る。


 その手つきは妙に丁寧だった。


 美香が財布を取り出した時。


 少女の視線が、ふと美香の隣へ向く。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 その黒い瞳が鋭く細められた。


 玲奈がぴたりと黙る。


 さっきまで笑っていたのに。


 空気が変わった。


「……?」


 美香は小さく首を傾げた。


 少女はすぐに視線を戻す。


 何事もなかったように。


「二百九十八円になります」


「あ、はい」


 会計を済ませる。


 レジ袋を受け取る時、美香はもう一度だけ少女を見た。


 少女もまた、美香の方を静かに見ていた。


 玲奈が珍しく、美香の袖を軽く引く。


「……行こ」


「え?」


「いいから」


 その声は少しだけ硬かった。


***


 帰り道。


 空はもう薄暗い。


 川沿いの道を、美香と玲奈は並んで歩いていた。


「はい」


 美香はコンビニ袋からアイスを取り出し、玲奈へ差し出した。


 玲奈は受け取ろうとして――止まる。


 触れられない。


 透明な壁でもあるみたいに。


 沈黙。


 風だけが吹く。


 美香はゆっくり俯いた。


 わかっている。


 最初から。


 ずっと。


 わかっていた。


 それでも。


 考えないようにしていただけだ。


 隣にいる少女は、普通じゃない。


 生きていない。


 もう、とっくに。


 水城玲奈は、二年前に死んでいる。


 彼女の姿は、永井美香にしか見えない。



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