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封縁乙女と学園の呪いたち  作者: コハレルギー
第五章 水の記憶

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第4話 水の記憶

 池のほとりには、夏の湿った空気が満ちていた。白い花が、水面の周りに静かに咲いている。甘い香りが漂っていた。


 星蘭たちは、池のそばに立っていた。


 星蘭。朱音。そして――鈴木真白。三人。いや。四人だった。


 星蘭はふと足を止めた。


「……」


 胸の奥に、奇妙な違和感がある。人数。今、何人いた?


 星蘭は振り返る。朱音がいる。真白がいる。そして、もう一人。


 その瞬間。星蘭の視界が、揺れた。


 水の匂い。泥の匂い。そして。この花の香り。


 記憶が、ゆっくりと浮かび上がる。


 昔。まだ中等部に入った最初の夏の夜。


 星蘭は、ここに来た。誰かと一緒に。


 懐中電灯。暗い山道。笑い声。


 そして。池。


 水面には。灯りが浮かんでいた。灯篭。ゆらゆらと。水面を漂っていた。


 星蘭は、その光景を思い出す。あの夜。みんなで来た。三人で。いや。四人?


「……あれ」


 星蘭は呟く。


 誰がいた?


 思い出せない。ただ。覚えていることが一つある。


 水面が。突然、揺れた。


 そして。白い手が。水の中から。伸びた。


 誰かの足首を。掴んだ。


 悲鳴。水音。冷たい水。


 誰かが。落ちた。


 星蘭は息を呑む。


 誰が落ちた?


 思い出そうとする。だが。思い出せない。


 そのときだった。


「星蘭?」


 朱音の声。


 星蘭は顔を上げる。朱音が、こちらを見ている。


「どうしたの?」


「……いえ」


 星蘭はゆっくり首を振る。


「ちょっと……昔のことを思い出した気がして」


 真白が静かに言った。


「昔?」


 星蘭は池を見る。


「ここに、来たことがある気がするんです」


 風が止まっていた。水面は黒く静まり返っている。白い花が揺れていた。その香りが。さっきよりも。濃くなっていた。


 真白が、水面を見つめながら言った。


「……思い出さない方がいいかもしれません」


 静かな声だった。


 星蘭が振り向く。


「どうしてですか?」


 真白は微笑む。


「だって」


 その笑顔は。どこか。寂しそうだった。


「思い出したら」


「帰れなくなるかもしれないから」


 その瞬間。


 水面が、ゆらりと揺れた。


 風は吹いていない。それなのに、黒い池の水が静かに波紋を広げていく。


 白い花の香りが濃くなる。甘い匂い。どこか、むせるような匂いだった。


 星蘭の胸の奥が、冷たく震えた。


 ――いる。何かがいる。


 封縁乙女としての感覚が、はっきりと反応していた。


「……朱音」


「なに?」


「この池、よくないです」


 星蘭は水面を見つめたまま言った。


「何か……封じられてる」


 朱音が息を呑む。


 真白は何も言わない。ただ、池を見つめていた。


 星蘭はゆっくりと手を前に出す。指先が冷える。見えない糸のようなものが、水面に絡みついているのが分かる。


 古い封。誰かが昔、ここに何かを縛りつけた。


「封じます」


 星蘭は小さく呟いた。封縁乙女の言葉。静かな祈りのような声。


「《風縁ふうえん魔送まそう薫風くんぷう》――」


 だが。その瞬間。水面が大きく揺れた。


 星蘭の力が、池の中へと引き込まれる。


「……え」


 こんなのは初めてだった。封じるどころか。力が吸い込まれていく。


 池の奥から、何かが応えている。


 そのときだった。


 真白が、ぽつりと言った。


「やっぱり」


 星蘭が振り向く。


 真白は静かに笑っていた。


「思い出しました?」


「……何を」


 真白は池を見たまま答える。


「昔の夏」


 白い花が揺れる。


「ここに来ましたよね」


 星蘭の頭の奥で、記憶がはじけた。


 暗い山道。懐中電灯。笑い声。そして。池。水面に浮かぶ灯篭。


 そのとき。水が揺れた。白い手が伸びた。誰かの足首を――掴んだ。


「……誰かが落ちた」


 星蘭は呟く。


 真白が、ゆっくり頷く。


「そう」


「落ちたんです」


「一人」


 星蘭は必死に思い出そうとする。誰だった。あのとき。落ちたのは――


「……真白」


 その名前が、口からこぼれた。


 だが。真白は首を横に振る。


「違います」


 静かな声だった。


「落ちたのは」


 真白が、星蘭を見る。


「あなたたちの友達です」


 星蘭の背筋が凍った。


「……え」


「私は」


 真白は微笑む。


「そのあと、ここに来たんです」


 その瞬間。水面が裂けた。


 白い手。何本も。何本も。池の中から伸びてくる。


 冷たい手が、星蘭の足首を掴んだ。


「っ!」


 氷のような冷たさ。引きずり込まれる。


「星蘭!」


 朱音が腕を掴む。


 だが。水の中から、さらに手が伸びる。白い手。沈んだ人たちの手。


 星蘭はその瞬間、理解した。


 この池は。封じられていたんじゃない。足りないものを。待っていたんだ。


「一人、足りなかった」


 真白の声が、静かに響く。


 白い花が揺れる。


「だから」


「ずっと待ってたんです」


 水が大きく跳ねた。朱音の悲鳴が夜に響く。


 星蘭の視界が回転する。冷たい水。白い花。甘い香り。暗い池。


 そして。誰かの手が。誰かを掴んだ。


 次の瞬間。すべてが闇に沈んだ。



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